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異世界美男子、大水槽に言葉をなくす


水面を優雅に滑り、息の合った回転ジャンプを披露するイルカたちの姿は、先ほどのオルカの力強さとは対照的で、見ていて心が洗われるような軽やかさがあった。


璃景りけいは、さっきまでの武人としての鋭い視線を少し緩め、思わずといった様子で口元に笑みを浮かべる。


「イルカ、可愛いですね」


千海ちかの呟きに、璃景もまた深く同意するように頷いた。


「確かに。あれほど俊敏な動きを見せながら、どこか愛嬌がある……不思議な生き物だな。見ていて自然と顔がほころんでしまうよ」


水飛沫を浴びてきらきらと光るイルカたちの背中を、璃景はサングラスを外し、見つめた。


戦場では常に命のやり取りに緊張を強いられてきた璃景にとって、こうして海の精鋭たちが見せる「遊び」にも似た絆の光景は、どこか魂を休息させてくれるものだった。


「千海、この生き物たちは戦士というより……まるで友のようだね。群れで動き、互いを助け合い、こうして観客を喜ばせることに喜びを感じているように見える」


「そうですね。賢く、人間の言うことを理解してくれてるので友達で間違いないですね」


「友達……」


「動物たちって人間の言葉が話せないだけで、私たち人間の生活になくてはならない存在ですよね」


「そうなのかい? 蒼嶺国そうれいこくでは馬は欠かせなかったが……」


「こちらでは、セラピー犬……介助犬や警察犬などのお仕事をしてくれる犬もいるんですよ。観客を喜ばせてくれる水族館の動物たちも、立派なお仕事をしてくれていますよね」


「なるほど。そう考えれば、動物たちが友であり、相棒というわけだね」


「見ているだけで、癒されます」


彼は、観客席で無邪気に手を振る千海の横顔と、水槽の中で楽しげに泳ぐイルカたちを交互に見比べた。


異界で出会う未知の命の輝きに、璃景の心は昨日よりもずっと柔らかく、そして穏やかに解きほぐされていくのを感じていた。


「いや、本当に……来てよかった。倉敷からこの神戸の地まで、君の案内は完璧だ」


璃景は心からの満足を込めて、そう千海に告げた。


ショーがクライマックスを迎え、イルカたちが一斉に高く舞い上がる光景を、二人は並んで眩しそうに見つめていた。


「あぁー満足です」


「確かに。……いや、満足という言葉では足りないな。我が作家殿の采配のおかげで、これほど濃密な記憶を刻めるとは思わなかった」


千海が深く息を吐いて充実感を漂わせる横で、璃景もまた、その力強い海の王たちに心からの敬意を表すように深く頷いた。


「カッコいいと可愛いを一気に見られましたねー」


「本当に。硬軟織り交ぜた、見事な戦術――いや、パフォーマンスだったよ」


千海は満足げにスマートフォンを仕舞うと、すぐさま次なる目的地を見据えたように瞳を輝かせた。


「でもー、まだまだ楽しめますよ。さあ、館内を隅々まで見に行きましょう」


「ほう、まだ本陣の奥深くに何か隠されているのかい?」


「きっと璃景さんの心を射止める海の生きものが現れますよ」


「私は“くらげとチンアナゴ”が好きです。何時間でも見ていられます」


「なるほど。千海は海の生きものたちが好きなのかい?」


「好きです。動物は大抵好きですけど、海の生きものは特に好きです」


「では、千海の好きな海の生きものたちとご対面といこうじゃないか」


「はい。行きましょう」


璃景は少しだけ驚いた表情を見せながらも、弾むような千海の足取りに続いて、屋内へと歩みを進めた。


しかし、あるエリアへと足を踏み入れた瞬間、彼の歩調がぴたりと止まった。


そこには、壁一面を覆い尽くす、巨大で青く澄み渡った水槽が広がっていた。


無数の魚たちが、まるで意思を持っているかのように群れをなして舞い、陽光が水面を透過して作り出す光の紋様が、ゆらゆらと底へと沈んでいく。


静寂の中で、ただ水の流れる音だけが聞こえてくるような、幻想的で美しい海の世界。


「……っ」


璃景は言葉を失った。


サングラスをそっと外すと、彼はその深い青色の中に吸い込まれるようにして、一歩も動かなくなった。


戦場で見上げる空の青とも、蒼嶺国そうれいこくの湖の色とも違う。


どこまでも深く、どこまでも澄み渡ったこの青に、璃景は圧倒されていた。


城下町や食の美味も素晴らしかったが、この全てを圧倒するような美しさと迫力は、彼の魂の奥底に直接触れるような感覚だったのかもしれない。


「千海……」


彼は振り返ることもせず、ただ静かに呟いた。


「はい、璃景さんどうされましたか?」


千海は璃景の感動を感じ取っていたが、あえて急かすことはせず、微笑みながら尋ねた。


「この光景は……我が国のどんな美しい湖や海にもない色だ。まるで、この世界そのものを閉じ込めたような、そんな器に見えるよ」


璃景は、そのあまりの美しさに息を呑み、まるで時が止まったかのように、青い大きな水槽を見つめ続けていた。


「そうです。海の中を縮小して見ている感じですね。綺麗ですよね」


千海が優しく語りかけるように言うと、璃景はゆっくりと、まるで壊れやすい宝物に触れるかのように、水槽のガラスの手前まで一歩近寄った。


「あぁ。言葉が出ない……」


そう漏らした彼の瞳には、ゆらゆらと揺らめく深い青と、光の粒をまとって泳ぐ魚たちの影が美しく映り込んでいた。


これまで戦場を駆け巡り、常に周囲の気配に神経を研ぎ澄ませて生きてきた武人にとって、これほどまでに無防備で、ただ美しいためだけに存在する空間は、かつて経験したことがないものだった。


ただただ、澄んだ青が世界を優しく満たしている。


千海はそんな璃景の横顔を隣で見守りながら、あえて次の場所へ急かすことはしなかった。


この沈黙は、この美しい異界の景色を、自身の心と記憶にそっと刻み込んでいる証拠だと分かっていたからだ。


小さな魚の群れが、光の帯を浴びて一斉にきらりと銀色に翻る。


璃景はサングラスを握る手に少しだけ力を込め、深く、深く息を吐き出した。


胸の奥に澱のように溜まっていた璃景の心の緊張が、その青い水の中にゆっくりと溶け出して消えていくような感覚を覚える。


「千海……君が海の生きものを好きな理由が、今ようやく本当に分かった気がするよ」


璃景は水槽から静かに視線を外し、隣で微笑んでいる千海を見て、心からの穏やかな微笑みを浮かべ返した。


「こんなにも静かで、こんなにも美しい世界が、存在していたのだね。私に見せたいと言ってくれて、本当にありがとう」


「いい思い出になってよかったです」


肩にかけたお揃いのデニムバッグが、館内の仄暗い青色に静かに馴染んでいる。


二人は言葉を尽くす代わりに、ただ並んでその広大な青を見つめ、心安らぐ穏やかな時間を分かち合った。


「くらげと、チンアナゴ。ふむ、またなんとも不思議な響きを持つ名前だね。我が作家殿がそこまで言うのなら、ぜひ案内してもらおう」


璃景は青い大水槽から名残惜しそうに視線を外すと、いつの間にか次の標的を見据えて瞳を輝かせている千海に向き直り、優しく微笑んだ。


千海に導かれて少し薄暗いエリアへと進むと、そこには幻想的な光に照らされた、いくつもの円柱状の水槽が並んでいた。


「あ、これです! くらげ!」


千海が指差す先を見つめた璃景は、驚きに少しだけ目を丸くした。


そこにいたのは、骨も牙も持たない、まるで透き通る薄衣のような生き物だった。


光を浴びて淡い青や紫に色を変えながら、ただ自らの身体をふわふわと収縮させて、水の中をあてもなく漂っている。


「……ほう。これは、生き物というよりは、水の中に咲いた意思を持つ花のようだね。ただ見つめているだけで、こちらの心の波風まで吸い取られていくようだ」


「そうなんです。この理由のないふわふわ感がたまらないんですよ」


千海がガラスに少し顔を近づけて嬉しそうに呟く。


その横顔を見つめながら、璃景もまた、異界の海が持つ「戦わぬ命」の不思議な癒やしを、その身にじわじわと感じていた。


「さあ、次はあっちです! チンアナゴ!」


千海がるんるんとした足取りで次に立ち止まったのは、白い砂がこんもりと敷き詰められた水槽の前だった。


「ちん、あなご……? どこにいるんだい?」


璃景が首を傾げて覗き込むと、砂底からひょっこりと、小さな細長い生き物たちが一斉に顔を出した。


水流に逆らうようにして、ゆらゆらと揺れている。


しかし、周囲の観客が少し大きな動きをすると、驚いたように一瞬で砂の中へすぽっと隠れてしまった。


「あはは、隠れちゃいました。でも、またすぐ出てきますから」


千海の予言通り、しばらくすると、また警戒しながら、ひょこっ、ひょこっと細い身体を砂から突き出していく。


「……くくっ、これはまた、実におかしな奴らだね」


璃景はたまらず声を立てて笑ってしまった。


「地面に隠れては隙を見て出てくるなど、まるで優れた斥候のようだが、その姿はあまりにも無警戒で愛らしい。千海が『可愛い』と言うのも頷けるよ。我が国にこのような生き物がいたら、兵たちも戦を忘れて見入ってしまうだろうな」


「カッコいい」オルカから始まり、「可愛い」イルカ、そしてこの「癒やし」のくらげとチンアナゴ。


千海の完璧な案内によって、璃景の心はすっかりこの水の城塞に魅了されていた。


二人は並んでガラス越しにゆらゆら揺れる小さな命を見つめながら、時間が経つのも忘れて、ただただ穏やかな笑みを交わし合うのだった。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


今回は、水族館で璃景がさまざまな海の生きものたちに出会うお話でした。


オルカには武人として敬意を。

イルカには友や相棒を見るような柔らかさを。

大水槽には言葉を失うほどの感動を。

そして、くらげとチンアナゴには、戦わない命への癒やしを。


下関で行けなかった水族館のリベンジとして、千海がどうしても璃景に見せたかった景色でした。


神戸での新たな景色と、二人の強行軍を楽しんでいただけましたら嬉しいです。


二人の掛け合いと旅の雰囲気を、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。


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