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神戸の水族館リベンジと、海の王者


「よし! ホテルまでは歩けないので、ここはタクシーです」


新神戸駅の出口を出ると、千海ちかは目の前に広がる神戸の道と、手元にある大きな荷物、そして先ほど美観地区で買い込んだデニムの数々を見比べ、即座に「戦術的撤退」ならぬ「タクシー召喚」を決断した。


「たくしー……? ああ、駅前に並んでいる、辻馬車のような車のことだね」


璃景りけいが昨日までの記憶を鮮やかに手繰り寄せると、千海は「その通りです!」と嬉しそうに頷いた。


ロータリーに滑り込んできた一台のタクシーのドアが自動で開くのを待って、千海は手際よく声をかける。


「荷物いいですか?」


「はい、トランク開けますね」


タクシーの運転手がトランクを開け、荷物を入れてくれる。


千海はタクシーの中へと滑り込み、璃景も長身を器用に折り曲げて、千海の隣へと滑り込んだ。


ドアが自動で閉まり、タクシーが静かに動き始めると、璃景は心地よさそうに背もたれに身体を預けた。


「ふむ。新幹線という圧倒的な巨獣の後に、この小回りの利く小獣に乗ると、なんだか不思議な安心感があるね。我が国で言えば、大軍を動かした後に、信頼できる一騎の駿馬に跨って本陣へ帰還するような心地よさだ」


「ふふ、例えが相変わらず格好いいですね。新神戸は山が近いので、ホテルまでは車が一番楽なんですよ」


千海がシートの横でデニムのトートバッグを大切そうに抱えながら笑う。


窓の外には、宮島の厳かな海とも、倉敷の古風な白壁とも全く違う、近代的な洋館や洗練された高層ビルが立ち並ぶ、洒落た港町・神戸の街並みが流れていく。


「それにしても、千海。君の移動術の選択には、本当に一片の無駄もない。飛行機、フェリー、新幹線、徒歩、そして車。これほど鮮やかに兵法を切り替えられたら、どんな敵も君の進軍を阻むことはできないだろうね」


「ふ、ふふふ。璃景さん、毎度敵ありの会話なのがさすがですね」


「しかし、あらゆる手段での移動ができることが凄くてね」


「確かに。かなり便利ですね。しかし、私は兵法ではなく、ただの食いしん坊の計画性です」


千海が照れくさそうに笑っているうちに、タクシーは今日の滞在先であるホテルのエントランスへと滑り込んでいく。


お揃いのデニムバッグを肩にかけ、二人は神戸の心地よい風が吹く新たな本陣へと、堂々と足を踏み入れた。


「明日、中華街へ寄ってまたお腹いっぱい食べたら、JRで東京に帰ります。なので、露天風呂を楽しめるのは、今回の旅では今日が最後ですね」


部屋に入り、窓の向こうに設えられた立派な半露天風呂を見つけて、千海は楽しそうにそう告げた。


宮島での至福の温泉に続き、この神戸の地でもまた湯船を堪能できる贅沢に、千海の心は弾んでいるようだ。


それを聞いた璃景は、かちりと小気味よい音を立てて、いつものサングラスを外した。


サングラスを外した切れ長の瞳が、部屋の明かりを受けて優しく和らぐ。


「千海、ありがとう。明日の中華も楽しみだね」


彼はサングラスをそっと座卓の上に置くと、心底嬉しそうに、そしてどこか名残惜しそうに微笑んだ。


この世界に迷い込んでからというもの、彼女の細やかな気配りと、恐るべき食への情熱には驚かされてばかりだ。


けれど、そのおかげで自分の心の中にある郷愁すらも、美味しく温かい思い出へと昇華されていくのを、彼は感じていた。


「新幹線に乗って、あの作家殿の本陣『東京』へ帰還するのだね。そこへ至る最後の遠征地が、その中華なる美味の街か……」


璃景は、肩からお揃いのデニムバッグをそっと下ろし、愛おしそうにその風合いを見つめる。


「我が完璧な作家殿が連れて行ってくれる場所だ。期待に胸が膨らまないわけがないよ」


「ふふふ、明日も食べますよ」


「もちろんだ」


璃景は穏やかに頷いた。


「次の地へ向け、今夜はこの美しい湯船で、しっかりと英気を養わせてもらうとしよう。千海、君も今日の強行軍で疲れているはずだ。まずはゆっくりと身体を休めようではないか」


璃景は、どこまでも真っ直ぐで力強い瞳で千海を見つめた。


異界の旅の終わりが見え始め、二人の絆がより一層深まっていくのを感じながら、神戸の夜は静かに、そして優しく更けていこうとしていた。


――はずだった。


「その前に、近くに水族館あるので行きましょう」


部屋に荷物を置き、ようやく一息つけるかと思ったその瞬間、千海の瞳に再び「進軍」の光が宿った。


彼女はくるりと身を翻すと、休む間もなく部屋を飛び出していく。


「お、おい、千海……!? 露天風呂は後回しかい!?」


璃景は慌てて座卓の上のサングラスを掴み、長い脚を早足に動かして彼女の後を追った。


ロビーを抜け、エントランスで再び手際よくタクシーへと乗り込む。


「神戸須磨シーワールドへ! お願いします」


「しーわーるど? 次は何をするんだい?」


「璃景さん、お約束の水族館ですよ」


千海が運転手に行き先を告げると、車は滑らかに走り出した。


サングラスをかけ直した璃景は、息を整えながら、隣の席でスマートフォンを握りしめている我が作家殿を振り返る。


「すいぞくかん……おぉ。千海、水族館へ行くのだね」


「ふふふ、そうです。海の生き物たちに会いに行きましょう。とってもおっきな“海の王者”がいるんです。絶対に璃景さんに見せたくて!」


千海が興奮気味に胸を張るのを見て、璃景はサングラスの奥の目を丸くした。


「海の王者……? 宮島で見た厳かな海とはまた違う、本物の荒ぶる巨獣でも飼い慣らしているというのかい」


璃景は、お揃いの斜めがけバッグの紐をきゅっと握り直した。


「……いいだろう。露天風呂を預けてまで向かう突撃だ。その王者の姿、この目でしかと検分させてもらおうじゃないか」


どこまでも予測不能で、どこまでも刺激的な我が作家殿の強行軍。


タクシーの窓の外には、きらきらと輝く神戸の青い海が、二人の新たな目的地へと向かってどこまでも広がっていた。


「下関で休館だったのでリベンジです!」


「あぁ……! あの、海峡の街で門前払いを食らってしまったリベンジ――雪辱戦というわけだね!」


璃景は合点がいったように拳をぽんと叩き、サングラスの奥の瞳をぎらりと輝かせた。


千海の並々ならぬ執念と、護衛官である自分にその景色を見せたいという真っ直ぐな情熱が、武人である彼の心を激しく揺さぶる。


「なるほど、それは絶対に負けられない戦いだ。我が作家殿の無念を晴らすためなら、私はどんな巨獣の檻へも同行しよう。……しかし、下関の雪辱をここで果たすとは、まさに見事な兵法だね」


「ふふ、ありがとうございます! でも、本当に凄いんですよ。大迫力の海の王者ですから!」


千海が隣で熱く語ると、タクシーは海岸線に沿ってぐんぐんと速度を上げていく。


窓の外には、午後の光を浴びてきらきらと輝く、広大な瀬戸内の海が広がっていた。


「海の王者、か。一体どれほどの威容なのか、私の本能が早くも警鐘を鳴らしているよ」


璃景は不敵で頼もしい笑みを千海に向けた。


「下関での敗北を糧に、今度こそ完璧な勝利――観光を収めようじゃないか」


お揃いのデニムバッグを携えた二人のリベンジ戦。


青く輝く須磨の海のすぐそばに佇む巨大な水の城塞へと、タクシーは勢いよく滑り込んでいくのだった。


タクシーが神戸須磨シーワールドのエントランス前に滑り込むと、千海は「急ぎましょう!」と璃景の手を引き、敷地内へと駆け込んだ。


運良く、水族館の目玉であるオルカパフォーマンスが始まる直前のタイミングだった。


「始まる直前ですよ、間に合って良かった」


観客席へ続く通路を急ぎ足で抜け、なんとか席に滑り込んだその瞬間、目の前の巨大な水槽から水飛沫を上げて、黒と白の巨体が姿を現した。


「……っ!!」


あまりの迫力と美しさに、璃景は息を呑んだ。


彼が想像していた「海の生き物」の枠を、圧倒的に超えていた。


しなやかで強靭な筋肉の塊が、重力を無視するかのように水面を舞い、空中で激しい音を立てて水面へと着水する。


その水飛沫が観客席の近くまで届き、大きな歓声が上がった。


「これが……『海の王者』……っ!」


璃景は、戦場で磨き上げた武人の本能が「これは只者ではない」と告げているのが分かった。


知性さえも感じさせるその瞳。


そして、人間を遥かに凌駕する圧倒的な体躯。


もし彼が戦場でこの巨獣と対峙したとしたら、どんな兵法をもってしても太刀打ちできないだろう。


「凄い……! 璃景さん、見てください、あのジャンプ!」


千海の興奮した声が隣で響く。


彼女はスマートフォンでその躍動を必死に撮影しようとしているが、あまりの速さにシャッターチャンスを逃しては「くっ……!」と悔しそうな声を漏らしていた。


その姿もまた、璃景にとっては愛おしい光景だった。


下関での悔しさを完全に塗り替えるほどの、圧倒的な衝撃。


璃景は観客席に座っていることも忘れて、食い入るように水槽の中の王者の舞を見つめ続けた。


異界の海の王と、蒼嶺国そうれいこくの近衛長。


互いに言葉を交わすことはなくとも、その力強く生きる姿に、璃景は戦士としての深い敬意を感じていた。


「すごいね……千海。連れてきてくれて本当に良かった。下関の無念など、今この瞬間、完全に消え去ってしまったよ」


璃景はサングラスを外し、潮風と水飛沫で濡れた顔に爽快な笑みを浮かべた。


その横で、千海もまた満面の笑みを浮かべ、海の王者の勇姿を追い続けている。


二人はしばらく言葉を忘れ、青く輝く水の舞台で躍動する圧倒的な命の力を、胸いっぱいに焼きつけていった。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


今回は、新神戸に到着した二人が、ホテルで一息つく……はずが、水族館へ向かうお話でした。


下関で行けなかった水族館のリベンジ。

千海としては、どうしても璃景に“海の王者”を見せたかったようです。


初めて見るオルカの迫力に、璃景もすっかり圧倒されていました。

武人として、あの力強さには感じるものがあったのかもしれません。


神戸での新たな景色と、二人の強行軍を楽しんでいただけましたら嬉しいです。


二人の掛け合いと旅の雰囲気を、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。


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