驚きすぎた異世界美男子、サングラスでも美貌は隠せない
璃景が、少し照れたように寝室から出てきた。
「どうかな? 千海……」
千海は振り返った。
そして、少しのけ反った。
「……璃景さん……殺人級ですね」
「殺人級?」
「似合うと思ってましたが、異常に似合いますね」
長衣をまとっていたときとは、印象が違う。
異国の美しさが、現代の服に収まったことで、むしろ現実離れが増していた。
少しゆとりのあるスラックスは長い脚をさらに強調し、VネックのTシャツから見える首筋と鎖骨が、妙に色気を持っている。
璃景本人は、ただ慣れない服に戸惑っているだけなのに。
それがまた、よくない。
非常によくない。
「千海にそう言ってもらえると嬉しいよ」
「えぇ。やっぱり、人殺せますよ」
「千海は死んでいないでしょ」
「作家なので」
「それ、本当に意味ある?」
「多分?」
「君、たまに雑だよね……」
璃景は少し疑わしそうに千海を見る。
千海は「ははは」と悪びれもせずに笑ってみせた。
千海の雑さに、璃景の口元も自然と緩んでしまう。
「人を殺せます、なんて……大袈裟だな」
「いや。自覚してください」
「だが、この『ようふく』というのは、本当に驚くほど動きやすい。上衣の首元が少し開いているのも、最初は少し心許ない気がしたが、風が通って心地いいものだね」
璃景は、千海が選んでくれたVネックの襟元にそっと触れた。
少しだけ身を屈めて、千海と視線を合わせる。
長い髪が、肩からさらりと流れ落ちた。
千海は一瞬、目を逸らした。
「下衣も……この『すらっくす』というのかい? 布がたっぷりと使われていて、足を動かすのに何の引っ掛かりもない。衣服に縛られないというのは、これほど楽なことなのだね」
「そうですね。快適に慣れると戻れないですよね」
「怖いことを言うね」
「便利を知った高貴な方が国に戻って困る……って小説、書けそう……メモメモ」
千海は真顔で呟き、スマホにメモを取っていく。
璃景は、もう驚くより先に少し笑ってしまった。
千海が買ってきてくれた靴――スニーカーというものも、玄関の床に置いて確かめてみたが、驚くほど軽く、足を柔らかく包み込んでくれた。
この世界の技術というものは、衣食住のどれをとっても、蒼嶺国のはるか先を行っている。
そう思うしかなかった。
「さて、千海。これで外へ出ても、君が言う警察に捕まる心配はなくなっただろうか?」
璃景は両手を広げて見せたあと、楽しげに目を細めた。
「身なりは整った。次は君の取材の準備だね。締め切りが近いのだろう? 私にも手伝わせてほしい」
「はい。今日は車で動きます」
「くるま?」
「えぇ。馬じゃない何かですよ」
千海は微笑みながら、さらりと言った。
璃景は一瞬だけ固まる。
「……あぁ、下に見えていたアレかい?……」
「はい。行けば分かりますよ」
「その説明は、少し怖いね」
まず璃景は、エレベーターに驚いた。
箱の中に入ったと思えば、息をつく間に高い場所から地上へ運ばれる。
次に、自動ドアに驚いた。
壁が生き物のように勝手に左右へ開いたのだ。
そして、ようやく辿り着いた先にあったのが、千海の言う「くるま」だった。
ミルクティー色のコンパクトカー。
千海は助手席の扉を開け、璃景に座るよう促した。
「大丈夫です。中に座ってください」
「あぁ。……これが、車、か」
璃景は千海に促されるまま、ミルクティー色をした鉄の塊の中に、恐る恐る体を滑り込ませた。
座った瞬間、璃景は一度目を閉じる。
心を落ち着けるためだった。
この「にほん」という国に来てからというもの、璃景の心臓は驚きの連続で休む暇もない。
箱の中に入ったと思えば地上へ運ばれ、壁が勝手に開き、今度は馬もいないのに走るという鉄の獣の腹の中にいる。
「千海、本当にこれは……馬がいなくても走るのかい? どのような術を使っているのだろう……」
璃景は助手席の窓から外を眺め、それから隣の運転席に座った千海を、少し緊張した面持ちで見た。
千海の小さな手が、円形の舵――ハンドルというものに添えられている。
「君がこの巨大な鉄の獣を御するのだな。……私の国では、女が馬を駆ることも珍しくはなかったが、これほど未知のものを動かす千海は、やはりただの作家ではないようだ。少し、背筋が伸びる思いだよ」
「ただの作家です」
「そうなのかい?」
「そうです。あと、璃景さん。これをつけてください」
千海は、座席の横から伸びていた黒い帯を引いた。
「これは?」
「シートベルトです。体を守るものです」
璃景は千海に手伝ってもらいながら、その黒い帯を斜めに体へ掛ける。
カチリ、と小さな音が鳴った。
「よし。これで私は、君の操る『くるま』の同乗者だ」
璃景は少しだけ身を固くしながらも、これから始まる取材準備へ向けて、期待を込めて微笑んだ。
「千海、行こう。取材準備のための買い物だね。……少し怖い気もするが、君が隣にいるなら、不思議と安心できる」
「ふふ。いい反応ですね。ネタにできます」
車がゆっくりと動き出した。
「あぁ……本当に動くのだね……」
「大丈夫です。多分」
「なぜ、今、多分と言うのかい?」
「璃景さんの反応が可愛くて」
千海は、少し意地悪が成功した子どものように笑った。
車が動き出した瞬間、璃景は完全に固まった。
だが、しばらく走るうちに、少しずつ周りを見る余裕が出てきたらしい。
窓の外を流れていく景色。
整えられた道。
行き交う車。
歩道を歩く人々。
どれも見慣れないものばかりだというのに、千海が平然と運転しているせいか、璃景も少しずつ肩の力を抜いていった。
「今から、日用品と旅行用品を買いに行きます」
「わかった」
「旅行先にパジャマ……寝間着はありますけど、今日の分がないですし、追加の旅行日数分の服も必要ですからね」
「ぱじゃま……」
「今の服では寝にくいですからね」
「そうだな……?」
璃景の声が、少し沈んだ。
「どうしました?」
「かなりの金額になるのではないかい?」
「あぁ。確かに? でも、大丈夫です。ネタにしていつか稼ぎますから」
「逞しいな」
「リアル後宮ネタも貰いますし、璃景さんの今の反応もそのまま貰いますので」
千海は笑った。
璃景が、そっと玉佩に手を伸ばしかける。
それを見た千海は、すかさず言った。
「やめてくださいよ。出所不明の高級品、私が捕まるんですからね」
「しかし……」
「じゃあ、荷物持ちと、高いところの物を取る係も追加でお願いしますね」
「わかった。全力で務める」
「ふふっ。お願いします」
少し間を置いて、千海はまた真面目な顔になった。
「あ、買い物場所でかなり声をかけられると思います」
ちらっと璃景を見てから、続ける。
「かなり、本気で。なので、微笑むのはやめてくださいね。死人が出て、明日には捕まるかもしれませんので。一緒に居た私も」
「わ、わかった」
「あ、そのサングラスつけてください」
千海はサングラスを指さす。
璃景は素直に取り、そっと顔にかけてみる。
千海はまじまじと璃景を見た。
「ダメだ。何も変わらない。美男子恐るべし」
「すまない……」
「あ、今の、思ってない謝罪でしたね」
千海が笑う。
「お見通しだね」
璃景は苦笑しながら、鼻梁に乗せられた「サングラス」と呼ばれる黒い硝子の道具の位置を指先で直した。
視界は少し暗くなった。
だが、千海の言う通り、これで自分の容姿が隠せているとは到底思えない。
むしろ怪しさが跳ね上がっているのではないだろうか。
「それにしても、微笑むだけで人が死ぬとは……この国の民は随分と繊細なのだな。私の国では、私の笑顔を見て卒倒した者など、後宮の侍女たちくらいのもの……いや、それも似たようなものか」
自分の言葉に自分で納得してしまい、璃景はまた笑いそうになった。
慌てて口元を引き締める。
隣の千海が「ほら、すぐそうやって笑う」とでも言いたげな呆れ顔をこちらに向けたのが、暗い硝子越しでもよく分かった。
「冗談はさておき。荷物持ちでも、高い場所の物取りでも、言われたことは完璧にこなしてみせよう。千海が私のために背負ってくれたその『負債』、必ずや働きで返してみせる。……その、後宮のネタとやらも含めてね」
車は滑るように進み、やがて大きな建物が立ち並ぶ場所へと差しかかった。
窓の外を見渡せば、昨夜は暗闇で見えなかったこの世界の日常が広がっている。
色鮮やかな看板。
せわしなく歩く人々。
そして、千海が操るものと同じ車が何台も行き交う光景。
璃景は、少しだけ背筋を伸ばし、黒い硝子の奥の瞳を輝かせた。
「千海、もうすぐ目的地かい?」
「はい。まずは地下駐車場に入りますね」
「ちか、ちゅうしゃじょう?」
「車を停める場所です。建物の下にあります」
「下に……?」
璃景がまた固まる。
車はそのまま地下駐車場へ入り、千海は慣れた様子で車を停めた。
「暗いね……。車を下に停めるのかい」
「そうですね。ここ、かなり人が多いので、お願いしますね」
「わかった。微笑まない。声をかけられても、むやみに返事をしない。高いところの物を取る。荷物を持つ」
「完璧です」
二人は車から降り、買い物フロアへ向かった。
璃景は、小声で千海に尋ねる。
「千海、なぜこんなに沢山の、上下に動く箱があるんだい?」
「それだけ人が集まるからですよ」
「この世界は、人も物も多いのだね」
「そうですね。だいぶ多いです」
やがて、エレベーターの扉が開いた。
その瞬間、璃景は完全に固まった。
目の前に広がっていたのは、天井まで明るく照らされた巨大な空間。
色とりどりの看板。
行き交う人々。
整然と並ぶ商品。
服、鞄、靴、雑貨、食べ物。
何もかもが璃景の知る市とは違っていた。
「璃景さん?」
千海が声をかけても、璃景は動かない。
「璃景さん。動かないと扉が閉まりますよ」
「あぁ……」
千海はそっと璃景の手を引いた。
璃景はようやく一歩を踏み出す。
その横顔は、完全に衝撃を受けていた。
千海は思った。
(しまった。これ、めちゃくちゃいい反応……!)
そして、心の中で力強く呟く。
(メモメモ)
ここまでお読みいただきありがとうございます。
やはり、異世界美男子は何を着ても破壊力があったようです。
それでも、千海は千海。
すべてを小説のネタにするため、メモは必須です。
買い物へ出た璃景は、はたして美貌を隠せるのか……。
二人がどんな掛け合いをしていくのか、楽しんでいただけましたら嬉しいです。
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