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滞在費は小説のネタでお願いします


千海ちか璃景りけいの顔を見て、少しだけ微笑んだ。


「璃景さん、洋服を買うにしても身長が分からないと困るので、後でメジャーで測らせてくださいね」


そう言ってから、千海は現状について話し出す。


「不思議なことが起きてますが、残念なことに、ご都合主義で“お父さんの服が一着ありました”なんて展開はないので、後から買ってきます」


璃景は、そのあまりにも現実的な言葉に、少し驚いたように瞬いた。


「千海、私はこの国のお金を持っていない。何か……玉佩ぎょくはいなり、簪でも、売ってくれて構わない」


千海は少し考えた。


「えーと。簪も玉佩ぎょくはいも……とてつもなく高そうなので、出所を聞かれると私が困ります。かなり困ります。説明なんてできません。璃景さんには申し訳ないのですが、お気持ちだけで結構です」


「しかし……」


「それより、璃景さんには、璃景さんを題材にネタとして書かせてもらいますから」


千海は力強く頷き、自分に言い聞かせるように言った。


「ここまで来たら、“現実は小説より奇なり”で、そのまま小説にしてやります!」


ふんす、と手を握って宣言する千海に対し、璃景は思わず声に出して笑っていた。


「ふふ。やはり君は、物語を紡ぐ人なのだな。言葉の端々に、その、小説家としての魂を感じるよ」


「えぇ。小説家ですから」


「なるほど。私を題材に、か。私の存在や、この奇妙な衣服が君の物語の役に立つのであれば、いくらでも使ってくれて構わない。いわば、これが私の滞在費というわけだね。……少し気が楽になったよ」


千海も、璃景が悪い人ではなさそうだと、少しずつ思い始めていた。


それに、ただ巻き込まれただけだと思えば頭が痛いが、この現実をそのまま小説のネタにできると思えば、少しだけ気持ちが切り替わる。


目の前の異世界美男子。


現代日本。


瀬戸内。


そして締め切り。


(……うん。もう、全部ネタにしよう)


千海は心の中で、そっと腹をくくった。


千海はテーブルの上に朝食を並べていく。


こんがり焼けた食パン。

大きな皿にのった、ぷっくりと膨らんだ黄金色の卵。

香ばしく焼けたウインナー。

それから、トマトと胡瓜。


璃景は、目の前に並んだ朝食を見て、静かに息をのんだ。


「素晴らしいな……。とても素早く作られたものとは思えないほど、美しい色彩だ。これが、君の国の朝の食事か」


「えぇ。一人暮らしなのに、ご都合主義でたまたま冷蔵庫にありました」


「ご都合主義という言葉が好きなのかい?」


「今現在、非現実なので」


千海は笑いながら言った。


「璃景さん、食べましょう。毒はありませんので安心して、どうぞ。――いただきます」


璃景は促されるまま席につき、自然と居住まいを正した。


「千海、本当にありがとう。ありがたくいただくよ。……それで、この『しょくぱん』というのは、どのようにして食べるのが正しい作法なのかな?」


「このマーガリンをつけます」


千海はバターナイフを使い、自分の食パンにマーガリンを塗って見せた。


璃景はそれをじっと見つめたあと、見よう見まねでマーガリンを塗り、千海と同じように食パンへかぶりつく。


次の瞬間、璃景の目が見開かれた。


「……っ!」


食パンの香ばしさ。

外側の軽い歯触りと、中のふわりとした柔らかさ。

そこに溶けたマーガリンの風味が重なって、璃景の知るどの朝餉とも違う味が広がった。


千海は、少し目を細めて微笑む。


「食パン、美味しいですよね」


「あぁ。初めて食べたよ。香ばしくて、サクッとして、ふわっとして……とても美味しいね」


「よかったです」


千海は璃景の前に置いた箸を指さした。


「服装からなんとなくですが、お箸は使える気がしたので、こちらにしました」


「箸、か。これは馴染みがある。ありがとう」


璃景は箸を器用に動かし、卵を口に運ぶ。


ほどよい塩気と、焼かれた香ばしさ。

それに続けて食べたウインナーは、璃景にとって初めての味だった。


「これは……肉、なのかな?」


「ウインナーです。肉ですね」


「ういんなー」


「また増えましたね」


「本当に、この国は言葉だけでも忙しい」


璃景が少し笑うと、千海もつられて笑った。


食事が少し進んだところで、璃景がふと顔を上げる。


「ようふくの買い物は、私も行ってもいいのかな?」


「だめです」


「だよね」


即答だった。


「とりあえず、近くのお店で買ってきます。その後、日用品を買いに行きましょう」


「いいのかい?」


「今日、泊まるところあるんですか?」


「ない……」


「でしょ? それに、着替えたら私、買い出しと取材準備もしたいんです」


「取材?」


「えぇ。瀬戸内を題材にした小説を書きたいんです」


「小説……お仕事かな?」


「そうです。締め切りが近いので急いでいて」


璃景は本当に恐縮したように目を伏せた。


「忙しいのに、申し訳ない……」


「ネタになるので、気にしないでください」


千海は、もう本当に気にしていないように笑った。


その笑顔に救われたように、璃景も降参したように笑う。


「……ふっ。本当に君という人は、頼もしいな」


璃景は箸を置き、千海の笑顔を見つめ返した。


「分かった。ならばその『せとうち』の取材準備にも、私を同行させてほしい」


「えぇ。来て早々悪いのですが、明日から瀬戸内へ取材旅行なので」


「あぁ。努力する」


「何をですか?」


「邪魔しないようにかな?」


「無理を言うのは私です。本当は慣れてからにしたいのですが、時間がなくて」


「かまわない。君の生活に勝手に入ってきたのは私だから」


「ふふふ。真面目ですね。でも、助かります」


璃景も頷く。


「居候では、私の矜持が許さなくてね。君の荷物持ちでも、『ネタ』としての振る舞いでも、何でもこなしてみせよう。……締め切りという戦に、遅れをとるわけにはいかないのだろう?」


璃景がいたずらっぽく微笑み、少し居住まいを正した。


「まずは、君が買ってきてくれる『ようふく』を楽しみに待っているよ」


「璃景さん、モデル体型なので何でも似合いそうですよね」


朝食を終えたあと、千海はメジャーを取り出し、璃景の身長を測った。


「百八十三センチ……やっぱり高い……」


「この世界でも高いかい?」


「そうですね。高い方ですね。スーツを着せたくなります」


「すーつ……?」


璃景は首を傾げる。


「はい。黒……ストライプ……あー、似合いそうですね……」


千海の思考は、少し現実逃避しかけていた。


「それは正装なのかい?」


「えぇ、基本は」


「私の身長は、この世界でも高い方か。……私の国でも、兵を率いるにはこれくらいの背があった方が都合がよくてね。だが、ここでは衣服を探すのに苦労をかけるサイズなのだな。すまないね」


「最近は身長の高い方もいますし、大丈夫だと思います。とりあえず今からの分を買ってきます。あとは取材時の分と、それ以外は今後はネットです」


「わかった」


璃景は千海を見つめた。


「君の期待に沿える男になれるか分からないが……まずは、その近くのお店で買ってきてくれるという衣服を楽しみに待っているよ。留守番は、静かにしていると約束するからね」


「そうですね。誰か来ても開けないでください。イケメンすぎて、見た人が死にます」


「いけめん?」


「異常なほどの美男子の意味です」


「千海は死んでいないよ」


「作家なので」


「それ、関係ある?」


「はい。多分」


「……ふふ。分かった」


璃景が笑ったのを見て、千海は少しだけ安心した。


食器を片付けると、急いで身支度をして、近くの量販店へ向かう。


さすが、量販店。

XLサイズがあった。


「感謝だよー。量販店さまだね」


そう呟いてから、千海はふと気づいた。


「男性服なんて買ったことないから、どれがいいの……。マネキンと同じでもいいかな……」


結局、悩んだ末に、少しワイドなスラックスや、VネックのTシャツ、マネキンが着ていた服を選ぶ。


そのまま会計へ向かいかけて、千海は足を止めた。


靴のサイズを測ることを忘れている。


「やってしまった……スマホで調べてみるか……」


璃景の身長と体格から、おおよそのサイズを調べる。

もちろん正確ではない。けれど、裸足で歩かせるわけにもいかない。


千海は深く考えることを諦め、靴と下着も一応買った。


「合わなかったら、また買い直し……。うん、必要経費。取材費。多分」


そう自分に言い聞かせながら、千海は大きな袋を抱えて部屋へ戻った。


「ただいまです」


「おかえり、千海」


その言葉に、千海は少し驚いた顔をした。


璃景が不思議そうに首を傾げる。


「どうしたんだい?」


「……家に誰かがいるのが、不思議で」


千海は、少しはにかむように笑った。


その笑みを見た瞬間、璃景の胸にも、温かいものが満ちるのを感じた。


璃景はソファから立ち上がり、千海の手にある大きな袋へと視線を落とした。


「ずいぶんたくさん買ってきてくれたのだね。私のために苦労をかけたね。……それで、これがその『ようふく』かい?」


「はい。着替えは手伝えないので、着方を教えますね」


千海は袋の中から、服を取り出していく。


「わいど、な、すらっくす……? ぶいねっく……?」


「これは下です。足を入れます」


「足……」


「これは上。私が着ているのと同じ感じですね」


「上……」


千海は目線を少し逸らしながら、袋から下着を取り出した。


「これは……えっと、下に履くものです。前後はこっちです。これも、寝室で着替えてください」


「分かった」


璃景は、ひどく真剣に頷いた。


未知の衣服を前に、まるで戦の支度でもしているかのような顔をしている。


その様子がおかしくて、千海は思わず笑いそうになった。


「璃景さん、そんなに緊張しなくても大丈夫です」


「いや、君の国の衣服を正しく身にまとうのだから、失礼があってはいけないだろう」


「服に失礼とか、あまりないと思います」


「そうなのかい?」


「多分」


「この国は、服にも寛容なのだね」


「たぶん、今の話はそういうことではないです」


千海がそう返すと、璃景は少し楽しそうに目を細めた。


「千海、本当にありがとう。……あぁ、靴や下着とやらまで」


璃景は感嘆しながら、衣服の束を抱えた。


「では、さっそく着替えてみよう。……君を驚かせられるような姿になれているといいのだが。寝室を借りるよ」


璃景は一礼し、手渡された「ようふく」を抱えて寝室へと向かった。


異界の衣服をまとった自分が、千海の目にどう映るのか。


少しの緊張と、それ以上の高揚感を胸に抱きながら。


璃景は一礼し、寝室へ入っていった。


リビングには、千海だけが残された。


(丁寧な人ね。自分もかなり困惑の中にいるのに)


ふっと笑ってしまう。

自分が相手を判断できるくらいには、落ち着いているらしい。


そして、今の装いの璃景も美男子だ。

なのに、現代の服を着た彼がどうなるのかを楽しみにしている自分に、少し笑ってしまった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


千海の小説家魂は逞しく、何でもネタにしていこうとする姿に、璃景も少し救われているようです。


次回は、現代服に着替えた璃景と、千海の瀬戸内取材への準備で少しずつ動き出します。


二人がどんな会話をして、どんな風に巡り逢っていくのか、楽しんでいただけましたら嬉しいです。


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