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お揃いバッグと、美味しいもの


「宮島とは違う雰囲気でしょ?」


「そうだね」


白壁の蔵屋敷が整然と並び、緑に輝く柳の葉が川面に影を落とすその光景は、どこか厳かで神秘的だった宮島とはまた異なる、穏やかで洗練された美しさを湛えていた。


やがて二人が川沿いの開けた場所に差し掛かると、璃景りけいの視線が、水面をゆっくりと進む小さな舟に釘付けになった。


「おぉ。我が国にもある渡し舟だね、千海ちか


「はい。昔はこの世界でも荷物や人を運んでいましたが、今は観光で乗れるようになっています」


「体験、ということかい?」


「はい。乗ってみます?」


「いいよ。見ているだけで」


「そうですか?」


「あぁ」


璃景はそれきり言葉を切り、川面を静かに滑る舟と、それを操る船頭の竿さばきをじっと見つめ始めた。


その横顔には、いつもの快活な笑顔はなく、どこか遠くを見るような、静かな物思いの影が落とされている。


流れる水を見つめる彼の脳裏には、きっと今、ここではない遥か彼方の故郷――蒼嶺国そうれいこくの景色が去来しているのだろう。


同じように川が流れ、同じように舟が行き交う城下町。


けれど、そこには彼が命を賭して守るべき人々と、置いてきた責務がある。


異界の穏やかな観光の舟を眺めながら、璃景は己の守るべきものや、離れてしまった祖国に静かに思いを馳せているようだった。


千海は、そんな彼の張り詰めたような、それでいてどこか寂しげな横顔を見て、あえてそれ以上は声をかけなかった。


物語を紡ぐ者として、彼の沈黙の重さをそっと察したのかもしれない。


千海はただ、隣で同じように穏やかな川の流れに視線を預け、時折吹き抜ける川風に柳が揺れる音を聞きながら、璃景の心が落ち着くまで、その静かな時間を待ち続けた。


川面を流れる風が、柳の枝をさらさらと揺らした。


長い沈黙のあと、璃景はゆっくりと視線を戻し、隣に立つ千海と静かに目を合わせた。


彼は少しだけ気恥ずかしそうな、それでいてどこか清々しい笑みを浮かべた。


「千海、連れてきてくれてありがとう」


その一言には、異国の地で慣れない技術に翻弄されながらも、こうして彼女と穏やかな時間を共有できていることへの、素直な感謝が滲んでいた。


千海は彼のその言葉の裏にある、祖国への郷愁や葛藤といった繊細な感情を、あえて深掘りすることはしなかった。


今の彼には、その静かな想いを咀嚼する時間が必要だと分かっていたからだ。


彼女はいつもの明るい調子で、ひょいとスマートフォンを構えた。


「はいっ。では、いい雰囲気なので、絵になるから写真撮らせてもらいますよー!」


「えっ、今かい?」


璃景は少し驚いたように目を瞬かせたが、逃げることもなく、柳並木と川面を背にして自然に佇んだ。


照れを隠すように、少しだけ視線を川の向こうへと泳がせる。


ぱしゃり。


電子音が静かな川辺に響く。


画面の中に収まったのは、どこか遠い異国を思わせる歴史的な街並みに溶け込みながら、凛とした表情で立つ美男子の璃景の姿だった。


「うわぁ、完璧です……。璃景さん、やっぱり柳と白壁が似合いすぎます。これ、最高の一枚ですね」


千海が画面の中の彼を確認して満足げに頷くと、璃景は少しだけ照れながら、それでも嬉しそうにサングラスの端を指で押さえた。


「ふふ。君のその『メモ』のおかげで、私もこの世界の歩き方を少しは理解できてきた気がするよ」


璃景は、いつもの調子を取り戻したように穏やかに笑う。


「……さて、作家殿。次の『でぇーれぇー』素晴らしい景色はどこかな?」


先ほどまでのしんみりとした空気が嘘のように、二人の間には再び軽やかな旅の空気が戻ってきた。


璃景は力強い足取りで一歩を踏み出し、千海の隣を歩き始める。


二人は再び、美観地区の散策へと心を弾ませていった。


「岡山はデニムが有名なので、買って帰ります。璃景さん、デニムも似合う気がするんですよー」


「でにむ、とは?」


「ズボン……下に履いてるこれです。あと、小物入れも欲しいな」


千海に連れられてお洒落なデニム専門店へと足を踏み入れた璃景は、藍色に染められた様々な衣服や小物が整然と並ぶ光景を、興味深げに見回した。


「これです。これ」


「また違うズボンだね。生地がしっかりしていて色合いも鮮やかだ」


「この色味もいいなぁ、暗いのも……捨てがたい……」


千海は棚に並んだ二本のデニムを交互に見比べながら、本気で頭を抱えている。


そんな彼女の様子を、璃景はいつものサングラスを少し指で直しながら、苦笑交じりに見守っていた。


「私はどっちでも構わないよ。千海が好きな方を選んでくれたら」


「あー、どっちも可愛い! ……よし、ここはもう、暗めと明るめを一本ずつで手を打ちましょう!」


千海が拳を握って勢いよく宣言すると、璃景は端正な眉をわずかにひそめて首を傾げた。


「それは、選んでいるというのかい?」


「ん? 二本までには絞りました」


「それは……選んだと言うのだろうか……」


「璃景さんが何でも似合うからいけないんです!」


なぜか理不尽な抗議をぶつけられ、璃景は「あぁ、すまないね?」と思わず両手を上げて苦笑いするしかなかった。


近衛の長ともあろう者が、うら若き作家殿の謎の勢いに完全に圧倒されている。


「はい。なので、これとこれですね」


千海は満足げに二本のデニムを抱えると、レジへと意気揚々と向かっていった。


支払いを済ませ、手際よく大きな紙袋を受け取る彼女の後ろ姿を見つめながら、璃景は再び漏れ出そうになる苦笑を噛み殺した。


(選べないから両方買う、か。我が作家殿の戦術は、時に豪快で予測不能だな)


新しく手に入れた異界の「戦装束」が、自分の体躯にどう馴染むのか。


璃景はほんの少しの気恥ずかしさと、それを嬉しそうに勧めてくれた千海への感謝を胸に、ずっしりと重みのある紙袋をそっと受け取るのだった。


デニム専門店を後にした二人は、次に藍色の暖簾が揺れるお洒落な雑貨店へと足を踏み入れた。


店内には様々な趣向を凝らしたデニムの小物が並んでおり、千海はある棚の前でぴたりと足を止めた。


その視線の先にあるトートバッグを見つめ、彼女は歓声を上げる。


「可愛い〜! これは買って帰らなくては」


「ふふ、ふふ。一目惚れだね」


璃景がその様子を微笑ましく見守っていると、千海は「はい! この子は外せなくなりました」と力強く頷いた。


しかしその直後、彼女の目がさらに一段と輝きを増す。


「あ、同じデザインで男性用の斜めがけバッグある――これは買うしかないですね」


千海は棚からそのバッグをひょいと手に取ると、璃景の前に回り込み、彼の胸元へと躊躇なくかざして見せた。


「やっぱり似合いますね!」


自分の体躯に合わせるようにバッグを当てる千海の勢いに、璃景は一瞬だけ身体を硬くした。


しかし千海は、そんな護衛官の動揺など露知らず、満足げに二つのバッグを抱えて、そのままレジへと意気揚々と向かって行った。


(……同じ意匠、ということは……)


それが俗に言う「お揃い」というものであることに気づいた瞬間、璃景の耳の端が一気に熱くなった。


彼女自身は、純粋にデザインの良さと「美男子にはこれが似合う」という作家としての直感だけで動いているようで、色恋の情や特別な意識は全くないのだろう。


現にレジの向こうの千海は、弾むような足取りで、実に楽しそうに会計を済ませている。


無意識に自分との「お揃い」を選んでくれたことへの、言葉にできないほどの嬉しさ。


そして、それを指摘することもできない気恥ずかしさ。


璃景は、戻ってきた千海から「はい、これ璃景さんの分です!」と手渡されたバッグの紐を大きな手で受け取りながら、サングラスの奥で喜びを噛み締めつつ、ただただ照れ隠しの苦笑いを浮かべることしかできなかった。


「ここからは鞄を持って動きましょう」


「あぁ。ありがとう、千海」


「はい。璃景さん、やっぱり似合いますね」


千海にバッグの紐の長さを調整してもらい、璃景はそれを身につけてみた。


オシャレでいてポケットが沢山あり使い勝手が良さそうな鞄だった。


千海は満足げに頷き、店を後にした。


そのまま町を散策していると、ある店の前で千海がぴたりと足を止めた。


「あったー。璃景さん。これこれ〜美味しい甘味です」


とある店の前で、千海は宝物でも見つけたかのように、この日一番の嬉しそうな笑顔を弾けさせた。


その場で手際よく二つの甘味を購入してきた彼女は、満足げに璃景の前に戻ってくると、細長い形をした独特な菓子――ロング調布ちょうふを一本、彼の大きな手へと手渡した。


「カリ、ふわ、もちってなるんですよ。どうぞ」


「おぉ、ありがとう。これが倉敷の誉れ高き甘味というわけだね」


璃景は手渡された包みを丁寧に開き、じっとその不思議な形をした菓子を見つめた。


薄く焼かれたきつね色の生地からは、香ばしい卵と砂糖の甘い香りがふわりと立ち上り、旅の疲れを優しく刺激する。


千海がさっそく「いただきまーす!」と嬉しそうに口に運ぶのを見届け、璃景もまた、その細長い甘味を端正な口元へと運んだ。


一口、しっかりと噛み締める。


「……っ!」


璃景はサングラスの奥の瞳を瞬時に見開いた。


千海が予言した通りの食感の三段突きが、彼の口内で見事な陣形を敷いて押し寄せてきたのだ。


外側のカステラのような薄皮は香ばしく「カリ」としており、そのすぐ内側は優しく「ふわ」と解ける。


そして何より、中心に包まれた餅のような求肥ぎゅうひの、どこまでも瑞々しく弾力のある「もち」とした食感。


「これは……実に素晴らしいね、千海。食感がこれほど鮮やかに変化するとは、まさに美味の波状攻撃だ」


「でしょう!? 調布は岡山名物なんですけど、このロング調布は食べ応えもあって、出来立ては本当に最高なんです!」


千海が頬をリスのように膨らませながら、幸せそうに笑う。


その無邪気な姿を見つめながら、璃景もまた、カリ、ふわ、もち、と絶妙な調和を奏でる甘味を心ゆくまで堪能した。


先ほど買ったお揃いのバッグを肩にかけ、かつて彼女が暮らしたという白壁の街で、並んで同じ甘味を頬張る。


「宮島のカキや肉も至高だったが、この地元の作家殿が選ぶ甘味もまた、私の心を完璧に射止めてしまったよ」


璃景は口元を指先でそっと拭いながら、心底幸せそうに喉を鳴らした。


「次はコロッケでしょ〜」


ロング調布を堪能したばかりだというのに、千海の「食の遠征」は止まることを知らなかった。


彼女は楽しげに小走りで近くの店へと向かうと、今度は揚げたての芳しい香りを漂わせながら、紙に包まれた熱々のコロッケを手にして戻ってきた。


「はい。甘い次は、しょっぱい系で」


千海は満面の笑みを浮かべ、璃景の手へとその黄金色のコロッケを渡してきた。


「おぉ……これはまた、なんとも罪深き香りがするね」


手渡された包みからは、油の香ばしい匂いと、肉やジャガイモの甘い湯気が立ち上っている。


璃景は「甘い次はしょっぱい系」という、千海が提示した完璧な味の循環に内心で深く感銘を受けていた。


甘味で満たされた口内が、今度はこの揚げ物の刺激を激しく求めているのが分かる。


「では、ありがたく頂戴しよう。……いただきます」


璃景が大きな口でさくっと音を立てて噛み締めると、薄い衣が小気味よく弾け、中からほくほくとしたジャガイモの旨味と、ジューシーな肉の塩気が口いっぱいに広がった。


「……っ、美味い! これは美味いね、千海」


「でしょう!? 買い食いのコロッケって、どうしてこんなに美味しいんでしょうね」


熱そうに息を吐きながら、嬉しそうにコロッケを頬張る千海。


その隣で、璃景もまた熱々の衣に苦戦しながらも、夢中になって異界の「兵糧」を口へと運んだ。


「先ほどの調布の『もち』とした優しさから一転して、この『さくっ、ほくっ』とした力強さ。まさに完璧な緩急だ。我が作家殿の食の進軍には、一片の隙もないね」


「ふふん、美味しいものの前では、引きこもりの私もでぇーれぇー俊敏になるんですよ」


そう言って胸を張る千海の肩には、先ほど買ったばかりのデニムのトートバッグが揺れている。


そして璃景の胸元にも、それとお揃いの斜めがけバッグがしっかりと収まっていた。


歴史ある白壁の街並みの中、お揃いのバッグを身につけ、甘いものとしょっぱいものを交互に手にして笑い合う。


二人の賑やかで美味しい倉敷の取材旅は、お腹も心も満たしながら、どこまでも心地よく続いていくのだった。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


今回は、倉敷美観地区を歩く二人のお話でした。


宮島とはまた違う、白壁の町並みと川舟のある景色。

璃景はその風景に、少しだけ蒼嶺国を重ねていたようです。


そして、倉敷といえばデニム。

千海は璃景に似合うものを選ぶつもりが、気づけばお揃いのバッグまで選んでいました。


本人はあまり意識していませんが、璃景の方はしっかり気づいていたようです。


ロング調布にコロッケと、食いしん坊作家の食べ歩きもまだまだ続きます。


二人の掛け合いと旅の雰囲気を、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。


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