表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
33/45

ロープウェイの手つなぎと、初めての着物姿


「帰りはロープウェイで……」


「あれに乗るのかい?」


「できれば……というか、絶対に乗ります! もう私の足の体力はゼロなんです……!」


ベンチから動こうとしない千海ちかの必死の訴えに、璃景りけいは空中に吊るされた鉄の箱――ロープウェイを再び見上げ、喉を鳴らして楽しそうに笑った。


「ははは! いいだろう。そこまで言うなら、我が作家殿のその『徹底抗戦』の進言を受け入れよう」


璃景は、千海の足元へちらりと視線を落とす。


「無理をしてその危うき靴で転びでもしたら、私の護衛官としての名誉に関わるからね」


そうは言ったものの、璃景の視線はじっと、山頂の駅へと滑り込んでくるガラス張りの箱に釘付けになっていた。


「しかし……ロープウェイ、本当に細い紐で支えられているだけなのだね」


璃景は、慎重に目を細める。


「あのような空中を渡る檻に乗るなど、我が蒼嶺国そうれいこくであれば、奇策を好む伏兵の強襲か、あるいは呪術師の仕業としか思えないよ」


「たしかに。魔法みたいですよね。モノレールもロープウェイも」


「私は、飛行機、車、舟と来て、今度はついに空中を走る技術にまで手を出してしまうのか……」


少しだけ緊張で強張った璃景の横顔を見て、千海は疲れも忘れてニヤリと笑った。


「あれ? 璃景さん、もしかして……かなりビックリしてますか?」


「い、いや。だから、私は何度目か分からない驚きに、武人として真摯に向き合っているだけだと、宮島へ向かう時のナビでも言ったはずだよ」


璃景はわざとらしく咳払いをした。


「怯えているわけではない。ただ……ロープウェイの防御陣形と、万が一紐が切れた際の着地法を、頭の中でシミュレーションしているだけだ」


「ふふ、ふふふ。ナビの時と同じ反応ですね。そういうことにしておきます!」


千海が楽しそうに笑いながら、ようやく少し休まった足で立ち上がると、璃景は小さくため息をつきながらも、すぐにその隣へと歩み寄った。


「あぁ、そうしておくれ。……だが、乗るからには、千海。君が私の隣をしっかり固めていてくれないと困るよ。空中での不測の事態に備えてね」


そう言って、璃景は再び千海に向けて大きな手を差し出した。


今度は山道のサポートではない。


未知の「空を渡る鉄の箱」に挑むための、ほんの少しの心細さを隠すような、優しくも頼もしい手だった。


「さあ、我が食いしん坊作家殿。足の体力を温存したところで、山を降りたら、いよいよ待ちに待った、あの『きもの』という伝統の正装と、宮島の新たなる美食が待っているのだろう?」


璃景はロープウェイへと視線を向ける。


「鉄の蜘蛛の糸に身を委ねて、いざ、下山の空中戦へ出陣だ!」


「ロープウェイです」


「ロープウェイと分かっててもね、千海……蜘蛛の糸のように細くてだね……なんとも……」


「どきどき、しますね」


「千海でもどきどき、するのかい?」


「だって、下が見えるとどきどきしますよ。でも、前を見て景色を見ると凄く綺麗で楽しいですよ」


「なるほど。下を見るのではなく、前を見て景色を楽しむんだね」


「はい。それに、ちゃんと今回も手を繋いでおきますから」


「ははは。作家殿と手を繋いでおけば飛行機も大丈夫だったんだ。護衛官として立派に役目を果たそう」


二人は手を繋ぎ、宮島の風景をロープウェイという、また別の角度から楽しんだ。


無事に下山した二人は、地上に降り立つなり、同時に大きく息を吐いた。


「地上に戻ってこられましたね」


「地上だね」


二人は顔を見合わせた。


同じことを言っているのがおかしくなり、千海は疲れから、璃景は空中からの無事な帰還に、それぞれ弾けたように笑い合った。


「さあ、お昼を食べに行きましょう」


千海の案内でお好み焼きの店に入り、二人はカウンター席に腰掛けた。


「注文は任せてもらってもいいですか?」


「構わないよ、千海」


「肉玉の麺なしと、スペシャルそばでお願いします。半分ずつで食べましょう」


「違うものなのかい?」


「はい。麺が入っていて美味しいんですが、量が多いのと、麺なしのキャベツが私は好きで」


「なるほど。両方食べられるわけだね」


やがて、目の前の鉄板に、湯気を立てるスペシャルそばと麺なしのお好み焼きが運ばれてきた。


璃景は小さな鉄のヘラを見つめ、千海から「コテというんです」と教わると、すぐに器用に使いこなし始めた。


切り分けた一片を口へ運ぶ。


「おぉ。この『すぺしゃる』というものは、食べ応えがあるね」


「ソースの味が食欲を誘いますよね」


続いて麺なしを口に運んだ璃景は、驚いたように目を丸くした。


「千海、君の言うように、野菜の甘みが増している。これはこれで、とても美味しいね」


「ですよね。このキャベツのうま味を増殖する美味しさなんですよ」


「キャベツのうま味を増殖……?」


璃景は感心したように喉を鳴らした。


「ふむ。美味をさらに強固な陣形へと進化させる、まさに食の魔術だね」


彼は改めて、鉄板の上のお好み焼きを見つめた。


「千海の言う通りだ。この『すぺしゃる』という麺が入った方は、肉や海の幸の旨味が渾然一体となって、実に兵糧としての食べ応えがある」


璃景は次に、麺なしの方へと視線を移す。


「だが、この麺のない方は……驚いたな。ただの野菜――キャベツが、じっくりと熱を通されることで、まるで蜜のような甘みを放っているよ」


「そうなんですよ! じっくり蒸し焼きにすることで、キャベツ本来の甘みがぎゅっと凝縮されるんです。そこにこの濃いソースが絡むと、もう最高で……」


千海は熱そうに口を動かしながら、本当に幸せそうな顔で笑っていた。


その様子を見つめながら、璃景もまた、ソースの焦げる香ばしい匂いに誘われるように、次の一片を口へと運んだ。


「なるほど。濃厚なソースの塩気と香ばしさが、キャベツの甘みをこれ以上ないほどに引き立てている、というわけだね」


璃景は楽しげに頷いた。


「麺ありの力強さと、麺なしの素材の引き立つ美味。これを半分ずつ分け合うことで、一度の戦で二つの勝利を得るような贅沢ができる。やはり君は、最高の食いしん坊作家だね」


「ふふふ、両方楽しめてお得ですよね。璃景さんにも気に入ってもらえてよかったです!」


鉄板の熱気で、千海の頬は山登りの時とはまた違う、健康的な赤みに染まっている。


「あぁ、大満足だよ。山を登った甲斐があったというものだ」


食べ進めるうちに、千海は満足そうにお腹に手を置いた。


「お腹いっぱいですね。美味しかった」


璃景はコテを綺麗に置き、胸元に掛けたサングラスに指を触れながら、どこか挑戦的で、それでいてひどく甘やかな微笑みを千海に向けた。


「……さて、お腹も十分に満たされたところで、次はいよいよ、君が楽しみにしていたあの着物という伝統の正装を纏う時間だね?」


「はい。行きましょう」


「この国の歴史ある正装に身を包み、文字の特訓の成果を試す時が来たようだ」


璃景は、楽しげに目を細める。


「我が麗しき作家殿、お腹が満たされたら、いざ、伝統の世界へ出陣と行こうじゃないか!」


「ごちそうさまでしたー」


お好み焼きの店を出て、二人は大満足で息を吐いた。


しかしその直後、香ばしくも濃厚な、磯の芳醇な匂いがふわりと鼻腔をくすぐった。


屋台から立ち上る、カキを焼き上げる匂いだった。


「わぁぁー、食べたい!」


千海が思わず声を上げて、屋台へと引き寄せられていく。


お好み焼きを食べたばかりだというのに、その食欲は留まるところを知らない。


「頼むのかい?」


璃景が苦笑しながら尋ねると、千海は力強く頷いた。


「はい! これは買うために、匂いが私たちを誘惑してきています」


千海はなんの躊躇もなく注文し、やがて焼き立ての熱々なカキが二人の手元へとやってきた。


さっそく口に運んだ千海は、その濃厚な旨味に身を震わせた。


「おいしいーー!」


「千海は、食べる時は本当に美味しそうに食べるね」


璃景がしみじみと呟くと、千海はカキを熱そうにしながら、真面目な顔で返した。


「おいしいんですもん。それに、なにより、おいしくいただかなくちゃ食事に失礼ですよ」


「確かに、その通りだ」


璃景はカキを見つめ、静かに頷いた。


「作ってくれた者、自然、そして命をくれた食材への最高の礼儀だね。……うん、本当に美味しいよ、千海」


「はい!」


二人は屋台の傍らで顔を見合わせ、至福の味を噛み締めた。


食べ終わり、スマートフォンで時間を確認した千海が「よし、着替えにいきましょう!」と声を上げた。


あらかじめ予約していた着物レンタル店へと向かい、二人はそれぞれ衣装を選んで、着付けの部屋へと分かれた。


しばらくして、先に着替えを終えた璃景が姿を現した。


その姿は、一言で言えば凄まじいほどに様になっていた。


元々高身長で引き締まった体躯を持つ彼が、この国の伝統的な着物を纏うと、まるで古い絵巻物から抜け出してきた美剣士のような、圧倒的な存在感を放っている。


長い黒髪をいつもより高い位置で一つに結い上げたその佇まいは、非の打ち所がないほどに美しかった。


そこへ、着付けを終えた千海が少し緊張した面持ちで部屋から出てきた。


お気に入りの柄の着物に身を包んだ千海の姿を見た瞬間、璃景の動きがぴたりと止まった。


普段のカジュアルな服装や浴衣ともまた違う。


伝統の意匠に包まれた彼女の、凛とした、それでいて少女らしい華やかさを纏った姿に、彼は完全に目を奪われていた。


「千海、きれいだね。……とてもよく似合っているよ」


不意に真っ直ぐな言葉を向けられ、千海は頬を赤く染めながらも、負けじと璃景を見上げた。


「璃景さんこそ、めちゃくちゃ似合っていますね。これは完全にメモ案件です……」


「あはは。そうだね。ぜひ君のその物語に書き加えておくれ」


千海はまじまじと彼の顔を見つめ、ふと思いついたように真顔で言った。


「というか璃景さん、今サングラスをしていないので、このまま真っ直ぐ歩くと街で倒れる人が出ますよ」


「まだ出ていないよ」


「これから出ます。確実に出ます」


あまりの顔面破壊力に危機感を募らせる千海に、璃景はいつものサングラスをそっと手元で弄びながら、悪戯っぽく微笑んだ。


「そうか。では、私の護衛対象である君にまで被害が及ばないよう、周囲の視線には細心の注意を払うとしよう」


異なる世界から来た美男子の、サングラスのない麗しい瞳が、お揃いの着物姿となった千海を優しく映し出す。


二人は恥ずかしさと高揚感を胸に抱きながら、歴史ある宮島の古い町並みへと、ゆっくりと歩みを進めていった。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


今回は、前回、璃景に手を引かれて山道を登った千海が、今度はいつものように璃景を導くために手を繋ぐお話でした。


自然と手を繋ぎ、自然と支え合う二人の関係が、少しでも皆様に伝わっていましたら嬉しく思います。


食いしん坊作家・千海の食欲に付き合う璃景。

屋台から漂う焼きガキの香ばしい匂いには、やはり千海も勝てませんでした。


そして、お互いの着物姿に少し照れながらも、少しずつ近づいていく二人の距離と、明日への期待も楽しんでいただけましたら嬉しいです。


二人の掛け合いと旅の雰囲気を、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。


よろしければ、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ