ナビへの驚きと、宮島の優しい宿
次のサービスエリアでの休憩を無事に済ませた二人は、いよいよ宮島へと向けて車を走らせていた。
その道中、車内の静寂を破るように機械的な音声が響き渡ると、璃景は驚いたように目を丸くし、ダッシュボードのあたりを凝視した。
「千海、何か車が言っているけど……」
「はい。これは声と地図で、目的地までの道を教えてくれるんです。さすがに宮島は行ったことはあっても、案内できるほどではないので。一緒にナビに案内してもらいましょう」
千海が指さした画面には、鮮やかな色彩の地図と、自分たちの乗った車を示す小さな印が、動きに合わせて滑らかに移動していた。
「なるほど……便利だね」
璃景は感心したように呟いたものの、その声は心なしか少し強張っており、シートベルトを握る手にもわずかに力が入っていた。
そんな璃景の様子を横目で盗み見た千海は、いたずらっぽく唇を吊り上げた。
「璃景さん、ビックリしてます?」
「い、いや。何度目か分からない驚異に、武人として真摯に向き合っているだけだよ」
「ふふ、ふふふ。そういうことにしておきます」
「あぁ。頼むよ」
「はい。ふふふ」
「……しかし、この車は、ただの乗り物ではないね」
璃景は助手席の前に埋め込まれた、怪しく光る画面をまじまじと見つめた。
「まさか、目に見えぬ精霊のように声を発し、この小さな光る板の上に、私たちの進むべき道筋を正確に描き出すとは……」
そこには、自分たちが今走っている道と、その先に待つ『宮島』という地への経路が、まるで予言書のように青い線で示されている。
しかも、曲がるべき場所が近づくと、どこからともなく理知的な女性の声がして二人を導くのだった。
蒼嶺国であれば、見知らぬ土地の案内は高名な道先案内人を雇うか、あるいは偵察兵を先行させるものだ。
だが、この世界では、車そのものが完璧な斥候の役割を果たしている。
千海に硬直した様子を見抜かれ、ニヤリと笑われたため、璃景は少し声を張ってみせた。
「千海……不覚を取ったわけでも、怯えているわけでもない。この世界のハイテクの驚きに、ただ、武人として感心しているだけだからね」
動揺を隠そうとしているのが丸わかりだったのだろう。
千海は完全に彼の負け惜しみを楽しんでいる。
「二人の秘密にしてあげます」
「あぁ。……そうしておくれ。近衛の長ともあろう者が、車から流れる麗しい声に気圧されていたなどと、その『ネタ帳』に書かれたら末代までの恥だからね」
璃景は小さくため息をつきつつも、画面の中で刻一刻と近づいていく『宮島』という文字を見つめた。
千海が「行ったことはあっても、案内できるほどではない」と言う場所。
それはきっと、彼女にとって特別な場所なのだろう。
「しかし、この『なび』という軍師の案内があれば、どんなに複雑な迷宮のような道であっても、私たちは迷わず進むことができるのだね」
「そうなんですよ。ナビができるまでは地図を見て動いていましたが、今ではナビがないと知らない土地では困るんですよ。かなり便利です」
璃景は、少しだけ表情を和らげた。
「千海、君が少しだけ不安そうにしていた理由も、この頼もしい声のおかげで消え去ったようだね。さあ、謎の声の主と共に、いざ『宮島』という新たなる聖地へ、堂々と乗り込もうじゃないか!」
「乗り込もうって……また戦闘態勢ですか。あはは」
車から降り、荷物を持ってフェリーに乗った二人は、厳島神社へと向かった。
「ほう……。車の次は、この巨大な『ふぇりー』という鉄の舟で海を渡るのか。本当にこの国の移動術には目を見張るばかりだね」
璃景は千海の足元に気を配りながら、荷物を片手に持ち、波に揺れる大きな船の甲板へと進み出た。
サングラスを外し、潮風をいっぱいに受ける。
目の前に広がる穏やかな瀬戸内の海の向こうには、こんもりと緑を湛えた美しい島が近づいてくるのが見えた。
宮島。
千海が、ナビに案内させてまで彼を連れてきたかった特別な場所だ。
「千海、見てごらん。あの島の岸辺に、まるで海の中から生えているかのような、鮮やかな朱色の巨大な門が見えるよ」
璃景は、海に浮かぶように立つ鳥居を見つめた。
「あれが、君の言っていた『いつくしまじんじゃ』という聖域の入り口なのだね?」
船が立てる白い波しぶき。
近づいてくる、神聖な佇まいの島。
それらを見つめながら、璃景はかつて故郷の辺境で見た、古い神々を祀る神殿を思い出していた。
しかし、これほど大胆に海と調和した美しい社は、大陸のどこを探しても存在しない。
「不便なところがあっても、人と人の付き合いや文化が素敵、と君は車中で言っていたね」
璃景は、潮風の中で静かに言う。
「この海を渡る舟の賑わいや、遠くに見える壮麗な社を見ていると、まさにその言葉の意味が肌で理解できる気がするよ」
璃景は荷物を持ち直し、隣に立つ千海に向かって、潮風に髪を揺らしながらにこりと微笑みかけた。
「この美しい景色も、きっと君の心の中で新しい物語の『歌』となって、スマホに刻まれていくのだろう?」
「そうですね。その為の取材旅行です」
「宮島も楽しみだ」
二人が宮島について話しているうちに、船はあっという間に島へと近づいていった。
「そろそろ着いちゃいますね」
「本当にはやいね。近づくにつれて、厳島神社の神秘さが増していくね」
「そうですね。綺麗ですよね」
「あぁ」
二人はそんな会話を交わしながら、宮島の港へと降り立った。
宿に到着し、客室へと案内される。
「なるほど、ここが今日の宿というわけだね。昨日、小倉で泊まった場所ともまた違って、どこかこの島の神聖な空気に寄り添うような、落ち着いた佇まいだ」
璃景は手荷物を部屋の端に置き、窓の外へと視線を向けた。
少し開けられた窓からは、心地よい潮の香りと、島を包む穏やかな風が静かに流れ込んでくる。
千海はスマートフォンの画面で何やら地図を確認しながら、楽しそうに言った。
「チェックインもできましたし、この辺を散策しようかなって思ってます」
ここで二日も滞在するということは、それだけこの宮島という地が、作家である彼女にとって深く、価値のある取材地だということなのだろう。
「二日間の滞在か……。それだけ時間があれば、あの海に浮かぶ朱色の社だけでなく、この島に息づく人々の営みや、君が楽しみにしていた広島の美味も、余すことなく堪能できそうだね」
璃景は胸元に掛けていたサングラスを再び指先で弄び、ふっと口元を綻ばせた。
「車を走らせ、舟に揺られ、ようやく落ち着いた旅の拠点が整ったわけだ。私の国での遠征なら、まずは周囲の地形確認と警戒陣地の設営をするところだが……」
璃景は、どこか楽しげに部屋を見渡した。
「この世界での『さんさく』は、きっともっと心躍る、楽しい探索になるのだろうね」
荷物の紐を確かめ、いつでも動けるように身支度を整えると、璃景はドアの前に立って千海へと振り返った。
「さあ、我が食いしん坊作家殿、準備は万端だよ。まずはこの島の美味を探しに行くかい? それとも、あの神秘的な社の近くまで足を伸ばしてみるかい?」
璃景は、穏やかに笑う。
「君の赴くまま、この筆頭護衛官がどこまでも影のように従おう。さあ、宮島の散策へ、いざ出陣だ!」
千海は嬉しそうに微笑むと、ふと思い出したように口を開いた。
「はい。その前に、部屋の説明です」
「部屋にお風呂が付いているんです。夜にゆっくりできるようにしてあるので、帰ってきてから順番に入りましょうね」
「え?」
「それ、露天風呂です」
その言葉に、璃景は目を見開いた。
「大浴場などの温泉は璃景さんにはまだ難しいかなと思ったので。家なら湯船を用意できたんですけど、すぐに取材旅行に出てしまったので……。ここなら、カーテンを閉めればお互いに見えませんし、ゆっくり入れます」
「千海。ありがとう」
サングラスを外した璃景は、今までの中で一番と言ってもいいほどの笑顔を見せた。
千海はそれを見て、嬉しくなる。
「ふふ、ふふふ。喜んでもらえてよかったです。今日はお部屋で食事もお願いしたので、何も気にせずに楽しんでくださいね」
「……本当に、至れり尽くせりだね」
璃景は、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、露天風呂の方へ視線を向けた。
「あぁ、千海。君のその心遣いに、私は何度救われればいいのだろうね」
「何度でも救われてください。では、食事の時間まで散策しましょう」
「あぁ。行こう」
二人は再び身支度を整え、夕暮れ前の宮島へと繰り出した。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回は、広島へ向かう道中から、宮島へ渡るお話でした。
ナビの声に驚き、フェリーで海を渡り、海に浮かぶ鳥居を目にする璃景。
厳島神社の神秘的な雰囲気と、宮島を楽しみにしている璃景の様子が、少しでも伝わっていたら嬉しいです。
そして、今回は宿での千海なりの心遣いも少しだけ。
璃景が安心して過ごせるようにと考えた部屋付きの露天風呂に、喜んでもらえてよかったです。
二人の掛け合いと旅の雰囲気を、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。
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