璃景の故郷と、千海の原点を知る
「璃景さんの故郷は、どんなところなんですか? 長旅ですし、話せることだけでいいので、教えてくれませんか?」
「私の話かい?」
「はい。私も璃景さんの質問に答えますし。なんせ、取材旅行の準備とかで、あまり話せてないですもんねー」
千海がハンドルを握りながら楽しそうに笑うと、助手席の璃景もつられるように笑みをこぼした。
「ふ、ふふふ。確かに、今の今までずっと忙しかったかもしれない」
気づけば、出会ってからの二日間は驚きと移動の連続で、お互いのことをゆっくり話す時間など、ほとんどなかった。
璃景はシートに背を預け、遠い故郷の情景を思い浮かべるように、ゆっくりと語り始めた。
「私の国は、大陸の半分を治める帝国でね。かなりの大国だが、都は華やかで、地方にはそれぞれの色が息づいている。緑も豊かな国だよ」
璃景は、遠い景色を思い出すように目を細める。
「だから、海を見るのは遠征や国境警備の時くらいだった。今日みたいに海の近くで食事をすると、少し遠征を思い出したよ」
「帝国……なるほど。都の華やかな場所も、緑豊かな地方もあるんですね。璃景さんの故郷を見てみたいですね」
「そうかい? 嬉しいよ。千海の魔法のような世界からしたら、面白みもないかもしれない」
「そうですか? 不便なところがあっても、その分、人と人の付き合いが深かったり、その中で育った文化はきっと素敵です」
千海の真っ直ぐな言葉に、璃景は深く感じ入ったように頷いた。
「そうだね。私の国にも、人の暮らしの中で育った歌や詩がある」
璃景は少し迷うように間を置いてから、穏やかに続けた。
「それと……私の父は王弟でね。王族の血を引きながら、臣下として公爵位を賜った家なんだ」
「やっぱりー。偉い人だと思ってましたー」
千海が屈託なく笑うと、璃景は驚いたように、けれどどこか嬉しそうに苦笑した。
「『やっぱり』だなんて……君には最初からすべてお見通しだったというわけか。まったく、私の隠密能力も君の前では無用の長物だね」
千海の笑い声が、車内の空気をふんわりと柔らかく解きほぐしていく。
「だって、玉佩って高貴な身分を示しますよね?」
「あぁ。そうだったね」
「あと、璃景さん、仕草ひとつひとつが気品があります」
「褒められているのかな?」
「かなり。ご実家ではどんな暮らしなんですか?」
「公爵家……そうだな。屋敷には常に多くの使用人がいて、政や軍議の話が絶えない場所だった」
璃景は、懐かしむように小さく息を吐いた。
「だが、父も私も、そうした『位』より、剣の研磨や兵法、そして何より、我が国の民が今日を無事に過ごせているかを確かめることの方が、よほど性に合っていたんだ」
だから、と璃景は静かに続ける。
「宮廷のきらびやかな宴よりも、遠征先で兵たちと囲む焚き火や、街道沿いの小さな茶屋で聞く歌の方が、ずっと心に響く宝物として残っているんだよ」
璃景の脳裏に、故郷の山々に沈む夕日や、戦の合間に聞こえていた吟遊詩人の調べが鮮やかによみがえる。
この世界のスマートフォンから流れるような電子の音楽ではない。
もっと素朴で、人の呼吸が伝わるような旋律だった。
「……千海。いつか、私の故郷に君を招くことができたなら。その時は、私が一番気に入っている街道沿いの茶屋へ案内するよ」
璃景は千海の横顔をじっと見つめた。
「そこでは、今でも旅人たちがその日の歌を詠み、互いの旅路を語り合っている。華やかな都の音楽とは違うけれど、私の国の人々が紡ぐ、最も温かい文化の一つだ」
千海が真剣な眼差しで、自分の拙い話を物語の糧として、あるいは大切な記憶として、一つひとつ拾い上げてくれているのが伝わってきた。
千海は前方をしっかりと見据えながら、しみじみと呟いた。
「その日の歌を詠み……言葉で残すだけではなくて、音楽をつけて歌う。素敵ですね。人から人への繋がりって感じで」
「私は誇りに思っているよ」
「璃景さんも歌ってたんですか?」
「私は聞くことが多かったかな」
璃景は、懐かしそうに外したサングラスのフレームをとんとんと指先で叩いた。
「戦場の陣中や、夜の酒場で兵たちが肩を組んで歌う姿を、少し離れた特等席から眺めるのが好きだったんだ」
決して上手な歌い手ばかりではなかったが、だからこそ胸に響くものがあった。
「私自身が喉を震わせるより、彼らの声の中に息づく故郷への想いや、明日への覚悟に耳を傾ける方が、性分には合っていたのだろうね」
言葉を連ね、音に乗せて、誰かに想いを伝える。
それは、千海が物語を紡ぐ行為とも、どこか重なる部分があった。
「言葉を連ね、音に乗せて、誰かに想いを伝える……。千海が物語を紡ぐのも、ある意味ではその『歌』と同じなのかもしれないね」
璃景は視線を再び運転席の千海へと戻した。
「姿形は違えど、誰かの心に何かを遺そうとするその情熱は、私の国で夜空に歌を響かせていた吟遊詩人たちと、驚くほどよく似ている」
そして、少しだけ悪戯っぽく笑う。
「……おや、そうやって私の話を嬉しそうに聞いているということは、またそのスマホに書き留める算段かい?」
「そうですね。人と人が一緒に歌う場面は書いてみたいですね」
車内の心地よい音楽に、二人の話し声が柔らかく重なっていく。
「それにしても、公爵家……いや、筆頭護衛官の家が公爵家などと聞くと、君の『取材旅行』という計画も、なんだか急に重々しいものに聞こえてこないかい?」
璃景は冗談めかして笑う。
それから、千海が次にどんな言葉を返してくるのかを待ちわびるように、再び彼女の方へと向き直った。
「さて、次は君の番だね」
璃景は、楽しげに目を細める。
「私の話はこれくらいにして、今度こそ君の番だよ。千海、君はどんなふうにして、その物語を紡ぐ『作家』という生き方を選んだんだい?」
璃景は、穏やかな声で促した。
「この三時間の強行軍、まだまだ時間はたっぷりある。君という人間の物語も、ぜひ私にじっくりと聞かせておくれ」
千海は少し照れくさそうにしながらも、自身の過去と想いをぽつりぽつりと語り始めた。
「私ですか? 昔から漫画や小説が好きだったんです。だって、自分の知らない世界や、想像できないことを物語の中で見られるなんて、素敵じゃないですか。わくわくも、ドキドキもできるので、色んな本を読みました」
千海はハンドルを握ったまま、少しだけ嬉しそうに笑った。
「主人公や仲間たちの気持ちに思いを馳せると、その世界がもっと好きになるんです」
それから、少しだけ照れくさそうに続ける。
「昔の時代なら諦めていたかもしれません。でも今は、スマホで調べられることも増えて、分からないことを確認しながら書けるようになって……作家活動の狭き門が、少し広がった気がして始めました」
その言葉の断片を捉え、璃景は「ふむ」と深く考え込んだ。
「狭き門が広がる……。もしかしたら、その便利な板、スマホがなかったら、千海は作家になっていなかったということかい?」
「結論から言うと、そうなります」
「なるほど。スマホに感謝しなくてはならないね」
「え? そうですか?」
「君が作家だったから、私が受け入れられて、衛兵……いや、警察に連行されずに済んだだろ?」
千海はハッとしたように目を丸くした。
「あ! なるほど。それはあるかも。“ご都合主義”ですね」
「そうだね。ご都合主義だね」
二人は同時に笑い声を上げた。
「ご都合主義……! 私はそのご都合主義とやらに、心から救われたと思っているよ」
璃景は可笑しさがこみ上げてきて、思わずシートの上で体を揺らした。
「もし君が、物語を愛さぬ人間であったなら。あるいは、見知らぬ世界への好奇心を持たない人間であったなら……」
璃景は、少しだけ真面目な声で続ける。
「あの日、君の寝室に妙な衣を着た不審な男が現れた時、君は間違いなく、私を警察に引き渡していただろうからね」
そう考えると、二人がこうして車に乗り、快適に広島へと向かっているこの現実そのものが、まるで誰かが仕組んだ極上の物語のようだった。
「漫画や小説、か。自分の知らない世界に胸を躍らせ、主人公やその仲間に思いを馳せる……」
璃景は、運転している千海を見つめる。
「千海がそうやって、まだ見ぬ世界に心を震わせてきたからこそ、私の突飛な身の上話も、あの透き通るふぐの毒の悪戯も、すべてが笑い話に変わるのだね」
璃景は、窓の外の景色へと目を向ける。
「君のその瑞々しい感性こそが、私とこの世界を繋ぐ、最も頑強な架け橋だったというわけだ」
しばらく、車内に穏やかな音楽だけが流れた。
「そんなに大層な結果に向かいます?」
「私としては、千海が諦めずにいてくれたから、そして、スマホのおかげで作家への門が開かれたから、今こうして千海の近くに居られる。感謝だね」
楽しそうにハンドルを握る彼女の横顔は、やはりどこか誇らしげで、そして眩しかった。
「さあ、このご都合主義によって始まった私たちの旅だ。これから向かう広島では、一体どんな大団円や、思わぬ伏兵が待っているのだろうね?」
璃景は、どこか楽しげに笑った。
「そうですねー。おいしいものを食べて、景色を楽しみましょう」
「楽しみだ。どんな展開になろうとも、私は君の物語の中で、一番勇敢な盾であり続けるよ、我が作家殿」
長旅の疲れを感じさせない活気に満ちた車内で、車は滑らかに、そして確実に次の目的地である広島へと進み続けていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回は、車内での二人の語らいのお話でした。
璃景の故郷の文化と、千海の作家としての原点。
お互いのことを話す中で、二人の理解が少しずつ深まっていたら嬉しいです。
二人の掛け合いと旅の雰囲気を、少しでも楽しんでいただけましたら嬉しいです。
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