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異世界美男子、海を渡る橋と方言を知る


高速道路のトンネルを抜けると、千海ちかは緩やかに車を走らせ、本線から道をそれていった。


助手席からその様子を見ていた璃景りけいが尋ねる。


「千海、どこに行くんだい?」


「高速道路の途中に、休憩できる場所があるんですよ。そこから景色を見てみましょう」


車が滑り込むようにして停車し、外へと降り立った瞬間、璃景はその場に立ち尽くした。


目の前には、向こう側の陸地へと繋がる、にわかには信じがたい大架橋がそびえ立っていた。


「千海……向こう側に陸がある上に……橋が海の上を……。どういうことだい? は、橋が……海を跨いで、向こう側の陸へと架かっている……!? 千海、これは幻術の類いではないよね?」


あまりの巨景に、彼は思わずサングラスをずり下げ、その光景を凝視した。


眼下に広がっているのは、激しく潮が流れる広大な海である。


巨大な鋼鉄の柱がそびえ立ち、太い鉄の縄で吊るされた一本の道が、向こう岸へと一直線に美しく伸びている。


璃景の世界でも、大河に木や石の橋を架けることはある。


だが、これほど深く、底の見えない海の上に、これほど巨大な構造物を渡すなど、神の領域の仕業としか思えなかった。


「向こう側に見えるのが、昨日君が言っていた別の陸地なのだね? ……つまり私たちは今、この海の回廊を渡って、別の国へと攻め込もうとしているのか……!」


「攻め込みません。別の国でもありません。観光です。いえ、取材です」


圧倒的な技術の結晶を前に、完全に言葉を失って立ち尽くしている璃景の横で、千海は「ふふふ、いい反応です」と、してやったりと言わんばかりにスマートフォンを構えた。


「千海……君という人は、本当に容赦がない。城がカフェになっているどころの騒ぎではないじゃないか。人間が海の上にこれほど頑強な道を築くなど、我が国の最高の石工たちを集めても、逆立ちしたって思いつきもしないよ」


璃景は呆然としながらも、その光景から目を離すことができなかった。


「……だが、美しいな。この荒々しい海と、人間の知恵が作り上げた巨大な橋が、青空の下で一幅の絵画のように調和している」


璃景は、心底感嘆したように息を吐いた。


「千海、まさか次はこの『海の上を走る道』を、私たちの車で駆け抜けるというのかい? ……あはは、心臓の鼓動がさっきから止まらないよ。本当に、君の取材旅行は私の肝を冷やす天才だね!」


「橋をバックに写真を撮りましょう」


「この状態でかい?」


「璃景さん、サングラス戻してから撮りましょう。死人が出ます」


「あぁ、そうだったね」


千海の提案で、二人は関門橋かんもんきょうを背景に並んで写真を撮った。


画面の中の璃景は、海の上の大架橋に度肝を抜かれた顔をしていたが、隣の千海は、最高のネタを仕留めた名将のような、実に見事な満面の笑みを咲かせていた。


撮影を終え、二人は休憩所の建物の中へと入っていく。


並ぶ品々を眺めていた璃景が、一つのお菓子の箱を指差した。


「千海、この魚はなんだい?」


「フグです。この地域でよく捕れて、食べられるものなんですよ」


「小倉のラーメンみたいなものかい?」


「そうそう。骨せんべいが美味しいんですよねー」


「ほぅ、これが『ふぐ』か……」


璃景はサングラスの奥の目を細め、そのふっくらと丸い、どこか愛嬌のある姿をした魚の絵と文字を見つめた。


「そして、これが……骨の煎餅……! 魚の骨まで余すことなく美味に昇華させるとは、やはりこの国の食文化は、昨夜のラーメンといい、一分の隙もない完璧な兵法のようだ」


彼は、感心したように頷いた。


「これほど丸々とした魚から、一体どんな味わいが紡ぎ出されるのか、想像するだけで胃袋が歓声を上げ始めているよ」


興奮がまだ身体の芯に残っている中、千海が前を歩き出す。


「じゃあ、行きますよー」


二人は再び車へと戻り、いよいよあの海を割るような橋へと乗り出した。


車が橋の上に差し掛かると、左右に広がる大海原が間近に迫る。


璃景はついつい口を少し開けて、窓にしがみつくようにして外を見つめた。


「千海……海が……飛行機とは違い近いよ……。舟が何艘も……落ちたら……」


「ふ、ふふふ。大丈夫です。もう渡り終わってしまったので」


「な、なんだと……!? もう、終わり、なのかい……!?」


璃景は慌てて後ろへと遠ざかっていく巨大な主塔を見た。


ほんの数十呼吸の間だった。


彼らの乗った車は、あの天空の回廊を、まるで風を切り裂く矢のような速さで駆け抜けてしまったのだ。


「海が……あんなに近くに、すぐ眼下に見えていたというのに。空を飛ぶあの巨大な飛行機の時は、雲が下に見えるほど高すぎて現実感がなかったが……この橋は駄目だ」


璃景は、本気で肝を冷やしたように続ける。


「すぐそこに、荒ぶる海が見え、その上を本物の舟がいくつも泳いでいた。もし、この道が一本でも鉄の縄を切らせば、私たちは一瞬にしてあの底冷えする海の底へ……!」


本気で肝を冷やし、サングラスを思い切りずらし、息を荒げている璃景を見て、運転席の千海は肩を震わせて笑っていた。


「ふふ、ふふふ」


「君という人は、本当に心臓が鉄でできているんじゃないかい……?」


「作家なので」


「本当に便利な言葉だね」


璃景は呆然としながらもシートに深く背中を預け、ようやくひとつ、大きなため息をついた。


窓の外を見ると、景色の雰囲気が先ほどまでの小倉とは少し変わっていることに気づく。


道沿いの看板には、やはり新しく習ったひらがなや力強い漢字が並び、ここが確かに「海を渡った先の、新しい陸地」であることを無言で告げていた。


「……はは、まいったな。異界の技術というやつは、神の如き大架橋を造り上げるだけでなく、それを瞬きする間に渡りきるだけの速さまで人間に与えているのだね」


璃景は、ずれたサングラスを指先で直した。


ようやく落ち着きを取り戻した鼓動を感じながら、悪戯っぽく微笑む千海の横顔を見つめる。


「攻め込むどころか、あまりの速さに、こちらの防衛陣形を整える暇すらなかったよ」


「だから、攻め込んでません」


「ふふ、そうだったね」


璃景は小さく笑った。


「だが、これで無事に『ほんしゅう』という異郷の地に足を踏み入れたわけだ。恐怖の次は、きっと最高の美味が待っているのだろう?」


潮の香りに混ざって、なんだか賑やかな人間の活気が前方から漂ってくる。


「さあ、我が恐れ知らずの作家殿。その『市場』とやらで、私を骨抜きにするという『ふぐ』の真髄を、とくと拝ませてもらおうじゃないか!」


車はすぐに高速道路を降り、目的の市場へと向かった。


その道すがら、璃景がふと問いかける。


「千海、君はここにも住んでいたのかい?」


「あら、分かります?」


「何となく、嬉しそうだよ」


「そうなほ」


「そうなほ?」


「そうです。この辺の方言です。『そうなの』が『そうなほ』となるんです」


「『そうなほ』……。ふむ、また新しい言葉の響きだね。昨日聞いた『ばり』とは違い、どこか語尾が柔らかく、のんびりとした日だまりのような温かさがある」


璃景は、その不思議な音を口の中で転がしながら、千海の横顔を見つめた。


「……なるほど、これがこの土地の方言なのだね」


言葉の端々に滲み出る、我が家に帰ってきたかのような懐かしそうな響き。


彼の直感は、あながち間違っていなかったらしい。


彼女がかつてこの地で暮らし、この美しい景色と優しい言葉に囲まれて生きていたのだと思うと、何だか彼まで、この土地に妙な親近感が湧いてくるのだった。


千海が慣れた手つきで車を駐車場へと滑り込ませると、目の前には、海の香りをいっぱいに含んだ唐戸市場からといちばの建物が姿を現した。


人間の活気と魚の匂いが、開いた窓から一気に流れ込んでくる。


だが、璃景の目は、その建物のさらに奥、天を突くようにしてそびえ立つ「それ」に完全に釘付けになってしまった。


海を挟んだ対岸の観覧車が、圧倒的な存在感で視界に飛び込んできたのだ。


「……千海。市場の向こうにある、あの……あの、天を衝くような巨大な『円』は、一体全体何なんだい……!?」


璃景はサングラスを片手で跳ね上げ、フロントガラスに顔を近づけて、その異形の巨物を仰ぎ見た。


巨大な車輪のような形をしたそれは、青空を背景に、信じられないほどの大きさでそこに鎮座している。


よく見ると、その円の縁には、小さな箱のようなものがいくつも、等間隔でぶら下がっていた。


城の天守閣よりも遥かに高く、まるで巨人が忘れていった未知の武具か、あるいは天界へと繋がる回転式の回廊のようでもある。


「建物の中に魚がいるのは分かる。だが、あの空に浮かぶ巨大な輪は……まさか、あの箱の中に人間が入り、天高くへと生け贄のように吊るされる仕組みなのかい……!?」


璃景は、期待と驚愕が入り混じった目で千海を見た。


「千海、教えておくれ。あの巨大な円も、この土地では『そうなほ』で済まされる光景なのかい……!?」



彼のサングラスの奥の瞳は、期待と驚愕に満ち溢れていた。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


今回は、関門橋を前にした璃景の驚きと、相変わらず説明が少し足りない千海とのやり取りのお話でした。


海の上を渡る大きな橋も、車であっという間に渡ってしまうことも、璃景にとっては驚きの連続だったようです。


そして、千海の口から自然にこぼれた「そうなほ」という方言。

璃景が千海の過去や、この土地で暮らしていた空気を少し感じ取ってくれていたら嬉しいです。


少しでも旅の空気と二人の掛け合いを楽しんでいただけましたら幸いです。


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