異世界美男子、同じ部屋に翻弄される
千海は、すっかりご満悦な様子で、車を走らせ始めた。
それを見た璃景は、可笑しそうに口元を緩める。
「ふふふ。ご満悦だね」
「えぇ。味が変わってるかと思ったけど、記憶と変わらなくて嬉しくて。……はっ! しょんぼりしてから喜びすぎて、写真忘れてた……」
急に声を上げた千海に、璃景は不思議そうに首を傾げた。
「千海? 大変なことかい?」
「えーと。写真という記録を忘れました。えへへ」
「……千海」
「あはは。これから、これから。多分」
「大丈夫なのかい?」
「はい! 後からメモしときます」
「千海、今から何をするんだい?」
「特には。街を歩いて、数カ所回れたらいいなって感じですかね。明日が忙しいので」
「歩くんだね。任せてくれ」
「護衛位置、やめてくださいね」
「努力する」
「努力なんですね」
「ははは! 『努力する』と言わざるを得ないな。君という、この世界で唯一無二の主君を、無防備な人の海へ一人で歩かせるわけにはいかないからね」
璃景は助手席の窓の外に目をやり、流れていく小倉の街並みを眺めながら、おかしそうに肩を揺らした。
車はいつの間にか、空港の周りの静かな海沿いから、東京とはまた雰囲気の違う市街地へと入っていた。
網の目のように交差する道。
千海にとっては懐かしい故郷でも、璃景にとってはやはり、一歩踏み出すごとに驚きが転がっている未知の迷宮だった。
「しかし、千海。その『しゃしん』という記録を忘れたくらいで、そう落ち込むことはないさ」
璃景はダッシュボードに置いたサングラスにそっと触れ、それから隣でハンドルを握る彼女の、少し照れくさそうに笑う横顔を見た。
「美味いものを食べて、君が心から喜び、あんなに美しい笑顔を咲かせた。その事実は、他ならぬこの私の記憶に、一字一句違わず鮮烈に記録されているからね」
璃景は、少しだけ得意げに続ける。
「……どうしても必要なら、後で私が君の代わりに、あの素晴らしいごぼ天の姿を、言葉を尽くして語って聞かせよう」
車がゆっくりと速度を落とし、目的の駅の近くの駐車場へと滑り込んでいく。
「さあ、到着だね。今日はこの街の空気を肌で感じるための散策というわけだ」
璃景はサングラスを再び顔へと戻し、姿勢を整えた。
サングラスの向こうで、彼の視線はしっかりと、車を止めてシートベルトを外す彼女の動きを追っている。
「歩く準備は万全だよ、千海。君の言う護衛位置――私の国でいう、主君の斜め後ろ、いつでも刃を弾き返せるあの位置は……」
璃景はそこで、少しだけ考えるように間を置いた。
「うん、君が嫌がるなら、少しだけ崩して横に並んで歩くことにしよう」
璃景は車のドアを開け、片手で旅行バッグを引きながら、先に降りた千海の隣へと並んだ。
賑やかな街の雑踏が、二人の身体を包み込んでいく。
駅の新幹線側からホテルへと向かう道中、千海は迷うことなく進んでいく。
「なんか少しずつ変わってるなぁ」
そう呟く千海に、璃景が尋ねた。
「寂しいかい?」
「いいえ。楽しいです。何度来ても新しい街を見られるから。ただ、好きだった味が変わるのは寂しいので、うどん健在で感謝です」
「なるほど。食いしん坊というわけだね」
璃景はくっくっくっと喉を鳴らして笑う。
駅の建物は、璃景が先ほど見てきた空港ほどではないにしろ、十分に巨大だった。
「なんでもかんでもが大きいね」
「まぁ、駅はそうですね」
「千海、思ったより人が多くないのだね?」
「そうですね。新幹線側になるので、比較的落ち着いてる方ですね」
「今からは?」
「今日泊まる場所に向かいます」
「分かった」
璃景は見上げるほど高い小倉駅の建物を、サングラスの奥でじっと見つめる。
「……ここが駅。これほど巨大な壁がどこまでも続いているというのに、これでもこちら側は『落ち着いている』方だとは……」
改めて、この世界の規模に圧倒される。
だが、そんな彼の驚きをよそに、千海は旅行バッグを転がしながら、まるでお気に入りの庭を散歩するかのように迷いなく歩みを進めていく。
「それにしても、千海。街の景色が変わるのは『新しい街を見られて楽しい』のに、味が変わるのだけは寂しいとは……。やはり君は、見た目以上に食への執着が強いのだね」
璃景が歩調を合わせながらからかうと、千海は少しだけ頬を膨らませたような、照れくさそうな気配を纏わせた。
その様子がまた微笑ましくて、璃景の歩みも自然と軽くなる。
駅の喧騒を少し離れ、比較的穏やかな通りへと入っていく。
道行く人々は平日の昼下がりということもあってか、どこかゆったりとした足取りで、空港の時のように押し流されるような恐怖は感じない。
「今日泊まる場所――ほてる、か。昨日泊まった君の家も、心地よい場所だったが、この街の宿は一体どのような仕組みになっているのだろうな」
璃景は、どこか楽しそうに言った。
「また私を驚かせることが待っているのかい?」
璃景は彼女の少し斜め後ろ――叱られない程度の、けれど何かあればすぐに一歩踏み出せる絶妙な護衛位置を保ちながら、楽しげに前を行く彼女の背中を見つめた。
「この世界のホテルとやらはどんな場所だろうか?」
「快適ですよ」
千海はホテルのフロントでチェックインを済ませ、二人で客室へと向かった。
しかし、部屋のドアを開けて中に入った途端、璃景は絶句した。
「千海……同じ部屋に、大きめのベッドが二つあるよ……」
「二部屋にするか悩んだんですけど、璃景さん一人では何か無理な気がして」
「しかしだね……千海」
「でも、ドライヤーすら無理なんですよ? お部屋の電気、空調もできますか?」
その的確な指摘に、璃景は言葉に詰まった。
「うぐっ……何も言えない……」
「言いたいことは分かるんですが、二日? 三日? 一緒にいて、璃景さんが信用できる人だと分かったので。それに、一人で大変なことになって身分証を提示なんてことになったら笑えませんので」
「信用に関しては、感謝する。そして……身分証は確かに……まずいね……」
「だから、同じ部屋です。ベッドは別ですし」
「……分かった。千海の言う通りだ。返す言葉もない……」
璃景は二つの大きなベッドを見つめたまま、がっくりと肩を落とした。
昨日、彼女の家でドライヤーという熱風を吹き出す未知の魔道具を突きつけられ、文字通り腰を抜かしかけたのは璃景である。
この客室の壁にある、触れるだけで灯りがつくスイッチ。
部屋の空気を操るリモコン。
それらを自分一人で手なずけられるかと言われれば、答えは完全に「否」だった。
しかも、もし夜中に操作を誤って怪しげな警報でも鳴らし、警察を呼ばれて身分証の提示を求められた日には目も当てられない。
「君の言う通り、身分証を持たぬ身としては、これが最も『ご都合主義』に叶った、賢明な判断というわけだね……」
璃景は観念して、手に持っていた旅行バッグを部屋の隅へと静かに置いた。
そして、サングラスを外して、ベッドの端にちょこんと腰掛けた千海を真っ直ぐに見つめる。
「……だが、千海。私をそこまで信用してくれたことには、心から感謝するよ」
少し真面目なトーンでそう告げると、璃景はふっと表情を和らげた。
「同時に、私の不甲斐なさのせいで君に余計な気を遣わせ、同じ部屋に泊まるという不便を強いてしまったことは、少しだけ申し訳なく思う」
璃景は、いつものように悪戯っぽく微笑んでみせた。
「誓って、君の信頼を裏切るような真似はしないさ。私の国でも、主君と同じ天幕で夜を明かす護衛など、信頼の極みにある者しか許されぬ名誉だからね」
それから、自分の背丈ほどもある大きなベッドのシーツを、物珍しそうに手のひらでぽんぽんと叩いた。
「……よし。この部屋にいる間は、私が君の『完璧な盾』となり、かつ、君の指示に従う『忠実な部下』となろう」
「部下ではないですけど」
「では、同行者かな?」
「それでお願いします」
「承知した、我が作家殿」
璃景は満足げに頷いた。
「さて、身の振り方も決まったところで……荷物も置いたし、次はさっき言っていた『駅の周りで取材』とやらに繰り出すのかい? 君が子供の頃に歩いたというその街を、今度こそ私のこの目で、しっかりと見学させてもらうよ」
千海は呆れたように笑いながら立ち上がった。
「あはは。護衛はかっこいいですが、護衛の位置はやめてくださいね。璃景さん目立つのに、もっと目立つから」
「ぐっ……。分かった。隣に立って一緒に回るよ」
「そうしてください」
「承知した」
「さてと、行きましょう」
二人は再び身支度を整え、小倉の街へと繰り出すために部屋を後にした。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回は、同じ部屋に泊まることになって翻弄される璃景でした。
けれど、千海の説明にはぐうの音も出なかったようです。
確かに、これはご都合主義だけではない理由……。
さすが現実主義の千海です。
二人がこれからどんな掛け合いをしていくのか、楽しんでいただけましたら嬉しいです。
よろしければ、ブックマークや評価をいただけると励みになります。




