異世界美男子、空港に怯みつつ堂々と進む
「えぇ。あの大きなのが飛行機です」
千海が微笑みながら告げると、璃景はいまだに信じがたいといった様子で、窓の外に鎮座する鉄の巨鳥を見つめた。
「……あ、あの巨体が、本当に空を飛ぶのかい?」
喉の奥から、辛うじてそれだけの言葉を絞り出す。
璃景の国で見たどんな攻城兵器よりも重厚で、どんな巨船よりも巨大なものが、雲の上を滑るように進む。
そんなことが、どうしても現実のものとは思えなかった。
車が静かに停車し、二人は空港の建物へ向かった。千海は璃景を見上げて、悪戯っぽく微笑む。
「人が多いので、璃景さん、迷子にならないでくださいね」
「ま、迷子……? ははは、よしてくれ、千海。私はこう見えても、一国の宮廷で幾多の修羅場を――」
言いかけながら、空港の出発ロビーへと一歩足を踏み入れた瞬間、璃景の言葉は霧散した。
「……っ!」
そこは、昨日見たショッピングモールすらも小さく思えるほどの、圧倒的な大空間だった。
見上げるほど高い、流線型の天井。
視界を埋め尽くすほどの人の数。
さまざまな色の衣服をまとい、車輪の付いた鞄を引いた無数の人々が、まるで蟻の巣をつついたかのように、縦横無尽に行き交っている。
案内板には、昨日習い始めた「ひらがな」はもちろん、見たこともない文字や記号が光っていた。
至るところから、異界の音が響いてくる。
人の声。
足音。
案内放送。
機械の音。
あまりの情報の奔流に、璃景は完全に足がすくんだ。
サングラスの奥で目を泳がせ、その場に直立不動で固まってしまう。
「ち、千海……」
情けないことに、自分の大きな体も忘れ、璃景はすぐ隣にいる千海の服の袖を、すがるようにきゅっと指先で摘んでしまった。
周囲からは、サングラスをかけた大男が固まっている姿に、好奇の視線が集まっている。
けれど、今の璃景には、それを受け流す余裕すらなかった。
「すまない。前言を撤回させてくれ。……私から一歩も離れないでいておくれ、千海。この人の海で君とはぐれてしまったら、私は今度こそ、二度と君の元へ戻れなくなってしまう気がするんだ」
情けない顔を見られないように、璃景はサングラスの位置を少し直す。
そして、必死に口元を引き締めた。
「ほら、君の言う『ネタ』ならいくらでも提供するよ。……だから、私の手を引いて、あの飛行機の待つ場所へ連れて行ってくれないかい? 頼れる私の、小さくて偉大な作家殿」
「あはは。素直ですね。行きますよ。こっちです」
千海は笑いながら、璃景の手を引いた。
璃景は旅行バッグを転がしながら、必死についていく。
途中、自ら動き出す階段――エスカレーターを前にして、璃景がまた魂を抜かれそうになった。
「千海、階段が……階段が勝手に……」
「止まらないでください。乗りますよ」
「乗るのかい、これに!?」
「乗ります」
千海がぐいと手を引くと、璃景は覚悟を決めたような顔で一歩を踏み出した。
エスカレーターに乗った瞬間、璃景は完全に固まる。
「……足元が、動いている」
「動いてますね」
「この国は、階段まで働くのか……」
「便利でしょう?」
「便利という言葉で片付けていいのか、分からなくなってきたよ」
なんとかエスカレーターを乗り越えたあと、二人は軽く食事を済ませ、保安検査場へ向かった。
千海はそこで、ふと足を止める。
「引っかかるものはないはずだけど……」
言いかけて、重大なことに気づいた。
もしここで身分証明を求められたら、璃景の身元をどう証明するべきなのだろう。
千海は内心で冷や汗を流した。
帰りは絶対に、JRで帰ろう。
そう、心に決める。
保安検査場を目前にして、千海がふと歩みを止めた瞬間の不安げな表情を、璃景は見逃さなかった。
「……千海?」
璃景の声が、少しだけ低くなる。
「君、今の顔。何か私に言えないことでも考えていたのではないかい?」
どうやらこの先には、自分という異物を通すための、厳格な門番のようなものがいるらしい。
璃景はそう察した。
周囲の人々が、手にした小さな板や紙を機械にかざし、次々と通過していく様子を、璃景はサングラスの奥で観察する。
「何か問題があれば、困ることになるのだね……?」
璃景は小さく呟いた。
「もし必要なら、私がこの異界の住人ではないことを証明せねばならないのだろうが……そんなものを出せば、君まで面倒なことに巻き込まれるな」
「璃景さん……」
「もし何か言われたら、私は君の護衛として雇われた遠い国の者だと言おう。……いや、それも怪しいか」
璃景は少し考え込む。
「最悪、違う方法を探そう。君の取材を台無しにはしたくないからね」
そう言って、璃景は千海の荷物と自分の荷物を両手で引き寄せ、少しだけ頼もしく胸を張ってみせた。
「だが、できれば君と隣の席で、あの鉄の怪鳥が空を飛ぶ姿を一緒に見たいものだ」
璃景は、少しだけ意地悪に、けれど心からの信頼を込めて微笑む。
「君の知識と機転いい方法はないかな……ご都合主義にはならないかな……?」
千海は、深く息を吸った。
そして、顔を上げる。
「うん。何とかなるでしょ。忘れたことにして、乗れなかったら行き方を変えましょう」
「いいのかい?」
「時間がないので、堂々と入ってください」
「了解だ。……この身を君に預けるよ、作家殿」
璃景は大きく一つ頷くと、サングラス越しに眼前のゲートを真っ直ぐに見据えた。
ここで怯えて立ち止まるより、堂々と振る舞うこと。
それこそが、今の自分にできる唯一の護衛の役目だ。
千海が璃景の手を引き、そのまま保安検査場へと進む。
璃景の心臓は、昨日のショッピングモールやエスカレーターの比ではないほど激しく鼓動を打っていた。
けれど、隣を歩く千海の迷いのない足取りが、璃景の背中を強く押してくれる。
「堂々と、だね。千海」
「はい」
「かっこよく堂々といくよ」
「普通で大丈夫です。格好良すぎると目立ちます」
「難しいことを言うね」
「璃景さんには難しいかもしれませんね」
「そこまでかい?」
「そこまでです」
千海が小さく笑う。
璃景も、少しだけ肩の力を抜いた。
求められるままにサングラスを外し、二人は保安検査場を通る。
璃景は表情を崩さず、千海の隣で静かに立っていた。
さすがは「ご都合主義」と言うべきか。
トラブルもなく、二人は無事に通過することができた。
中へ入ると、千海は胸をなでおろす。
「よ、よかった……」
「ふぅ……。千海、今のところは完全に『ご都合主義』の勝利だったようだな」
「璃景さん、便利な言葉を覚えましたね」
「使い勝手が良いからね」
千海は苦笑しながら、すぐに璃景の手を引いて奥へと進んだ。
搭乗口へ続く通路へ、二人は足を踏み入れる。
人混みに揉まれながら、千海に手を引かれ、璃景は早足で進んでいく。
千海の手は、昨日初めて会ったときよりも少しだけ熱を帯びているように感じられた。
彼女自身も、かなりの緊張を強いられていたのだろう。
「良かった……」
小さく漏れた千海の声には、璃景の前ではあまり見せないような、年相応の弱気な響きが混じっていた。
璃景はその声を聞き、柔らかく目を細める。
「千海、君の肝の据わり方には、今度こそ感服したよ」
璃景は旅行バッグを転がしながら、千海の歩調に合わせて小さく笑いかける。
「堂々と通り過ぎるその姿、まるで宮廷で最も恐ろしい宰相をやり込めた時のようだった」
「やり込めた覚えはありません」
「では、私の想像だね」
「想像が強いですね」
「作家殿のそばにいると、私まで想像力が鍛えられるのかもしれない」
「それは良い傾向です」
「そうだろう?」
二人は小さく笑った。
だが、璃景の視線はすぐに前方へ向かう。
「……さて、次なる未知は、あの鉄の鳥の腹の中だね……飛行機に入る……」
璃景は旅行バッグを片手に寄せ、千海の肩にそっと手を添えた。
そして、人混みの流れに乗りながら、彼女の顔を覗き込む。
「どんなに飛行機が揺れようが、私が君の手を離すことはない」
「それ、私が言う側ではないですか?」
と千海は笑う。
「そうなのかい?」
「璃景さんが不安そうなので」
「……否定はしないよ」
璃景は少しだけ困ったように笑った。
それでも、すぐに真っ直ぐ前を見る。
「だが、その飛行機が、この異界の地でどれほどの奇跡を見せてくれるのか。君と二人で、そのすべてを見届けるとしよう」
サングラスを外した今、周囲の人々の視線がまたしても璃景へ集中している。
けれど、今の二人にそれを気にしている余裕はなかった。
「さあ、案内しておくれ。私たちの瀬戸内への旅路は、まだ始まったばかりだ!」
千海は、引いたままの璃景の手に少しだけ力を込めた。
「はい。行きましょう」
二人は、鉄の怪鳥が待つ搭乗口へ向かって歩き出した。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
千海、身分証のことをすっかり忘れていました……。
そして作者も忘れておりました。
でも、さすがは“ご都合主義”。
問題なく進めて、本当に良かったです。
二人がこれからどんな掛け合いをしていくのか、楽しんでいただけましたら嬉しいです。
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