第十話 今日の夜
マギシェが唱えたその魔術は、周囲の敵を一掃した。
マギシェを中心に炎は渦巻き、治まった時には、マギシェがその炎の中心から現れた。
「マギシェ!」
力なく倒れ込むマギシェを抱き留め、俺はその場を離れた。
どれくらい馬で駆けただろうか。
蛇行したせいで距離は稼げなかったが、追っ手を撒く事は出来た。
そしてマギシェの意識は依然と戻ることがない。
「なあ……お前が動けないからって……指揮官が戦線を離脱していいのか……。俺は何をしてんだよ……」
自嘲気味にマギシェに語り掛けてみたが、反応は何も得られなかった。
「かといって……戻る訳にもいかないもんな。本陣は大穴があけられて、敵が占拠してる可能性もあるんだ。戻ったところで、人が殺せない奴と、意識不明の奴じゃ意味ないよな……」
無意識の内に膝を抱え込み、俺はその中に顔を埋めていた。
「俺は……どうしたらいいんだよ……。あの魔術は何なんだよ……。なあ、答えてくれよ。マギシェ……」
返事はない。
というか、無くていい。
今のどうでもいい質問には答えなくていい。
「うっ……うう……」
呻き声が聞こえた。
「マギシェ!?」
「独り言がうるさくて……起きた」
聞こえてたのかよ……。
「……聞きたい事は山ほどあるけど、先ずは起きてよかった」
「無階級の……話?」
「先ずはな」
一番気になるのはあの、周辺の巨樹兵諸共吹き飛ばしたあの驚異の魔術。
その正体が知りたい。
「……あれは、私が編み出した魔術……。正確に言えば、家系により続いて来た系譜を受け継いだ……だけ。私が編み出した我流魔術だから比較対象もなく、無階級に指定されている……」
「じゃあ、魔力素を吸収する巨樹兵相手にどうやって魔術を使ったの?」
「私のイヤリング……」
彼女が自分の耳に手を当てたところで、その動きが止まり、顔からみるみる血の気が引いていった。
「ねえ、フォルティス……私のイヤリングはどこ……?」
俺は首を横に振った。
「そんな……私はあれがないと……魔法が……魔術が……使えない!」
「え……。それはどういう……」
「し、知りたい……?」
「教えてくれるならね」
俺の方を見て、知りたいかを尋ねた彼女の顔は絶望とい二文字が最も似合う顔だった。
「あれは……もう、十年も前の話……。私は当時、何も知らない幼子で好きだった人と森に出かけたんだ……。まったく……馬鹿だよね、私って。大人からあれ程行くなといわれた森に、立った子供が二人で乗り込むんだもん」
「その森には三つ頭の番犬でも居たの?」
おふざけ半分で聞いてみたが、彼女の回答は俺の回答の斜め上をいった。
「もっとひどいよ……。邪眼の蜥蜴とか虹色家守とかの巣窟で、私はさっきみたいに無階級を駆使したのに、負けてしまったんだよ……。それで歳に見合わない魔術を使ったせいで記憶に障害を起こして、魔力の導線も乱れてイヤリングなしには魔法が使えない無能者へと変化して……それで……私は……私は……友達を巻き込んでも……あの子を守れなかった……」
いつものマギシェからは想像もつかない程の、喉の奥から絞り出したような声が辺りを包んだ。
「それで……君はその後、今みたいに気を失った……」
「そう。私の家系は少々特殊でね、体内の魔力が尽きるとそこでしばらく動けなくなる体質を持っているんだ。今の私じゃ、あの魔術で魔力切れを起こすとは思わなかったけど……ね……」
それは……きっと俺のせいだ。
その言が俺の喉を突いたが、口からは出せなかった。
昨日の俺に対する治療のせいで……。
俺が無茶なことしなければマギシェはきっと、死にかけなくて済んだはずだ……。
「あの時……私は友達を……あの魔術に巻き込んで……殺した……」
「だからあの時……多少無茶をしてまで拒絶を使った……。君が同じ轍を踏まないように……」
「……そう……いう……こと。私は……もう大切な人を失いたくない……。家族も……友達も……」
「君らしくないな」
俺の言葉に不意を突かれたのか、マギシェが俯いていた顔を挙げた。
「え……?」
「君は……いつも馬鹿みたいに元気で、明るくて、親しみやすい……。なのに、今のマギシェはどう? 弱音ばっかり吐いて、自分に張っていた虚勢も剝がれている……」
その最たるものが口調だ。
俺は君に会った時から、無理して明るく振舞っていると薄々感じていた。
口調も、動きも、性格も。
すべて作り物。
君は、本当の人物を見せない表裏比興の策士と俺は思っていた。
実際は違った。
暗く濡れた暗い過去を無理矢理塗り潰そうとしているだけ。
過去に囚われ、それに固執しているだけの策士でも何でもない魔法使い……。
「確かに……私が自分に嘘ついて、自分の理想像を作り上げているのは本当のこと……だよ。でも……そうしてないと、怖いんだよ……。怖くして、仕方が無いんだよ!」
マギシェが叫ぶのと同時に、周囲の茂みが動いた。
マギシェがまた何かを叫ぼうとするのを、人差し指を立てて制止する。
何か……いる。
「マギシェはまだ回復中だろ? 休んでろ」
「いやだ……。私も……」
寝袋から立ち上がったマギシェが力無く倒れ込むのを抱え、肩を組む。
「飛翔はどれくらい使える?」
「だいたい今の魔力量だと二人で飛ぶとなると十分が限界……。しかもそれでも高度と距離は稼げないから撃墜される確率の方がどう考えても高い……」
「なら、戦うしないな」
俺は剣を鞘から抜く。
やっぱり、連日の戦いで刃こぼれが酷い。
「俺もお前も……満身創痍だな……。マギシェは何もしなくてもいいし、後方支援だけでもいい。君を消耗する訳にはいかない」
そして茂みから現れたのは、月光の下で七色に光る鱗とそれに乗った戦士。
虹色家守の騎士……。
人間はまだ虹色家守を手懐ける技術を持っていない。
つまりこれは……敵!
「マギシェ!」
倒れ込む音共に、俺の悲鳴が空を裂いた。
マギシェは口に手を当てて、倒れ込んでいる。
「虹色家守……。あ、あれは……」
吐しゃ物が地面を這い、マギシェは完全に動揺していた。
トラウマか……。
無理もない。
そんなことも構わず、虹色家守の騎士がその巨体を揺らしながら俺達に迫る。
「マギシェ!」
呼んでも返事はない。
完全に動揺している。
「君はもう、同じ轍を踏まないんだろ!?」
槍を受けながら怒鳴る。
「君はもう、目の前で友達を失いたくないんだろ!?」
槍が肩に刺さっても怒鳴る。
「君は……!」
俺が再び叫び、マギシェを奮い立たせようとしたところで、後ろから詠唱音が聞こえ始めた。
「火よ、従え、舞え。――――いや、今宵は舞う事すら、許さない。熱よ集え。炎よ、重なれ。一つの力となり、一つの炎となり、一つの天災となれ。焼くものを選ぶな。燃えるものを選ぶな。我らが前にある、すべてのものを灰と化せ。一瞬にして燃え上がり、一瞬にして燃え尽きよ。我らが敵は、今やもう、忘却の彼方。幾千もの天火よ、昇華せよ! 無階級魔術焼き尽くす炎術・地獄の火の吹く炎流!」
詠唱が始まった時点で、敵は逃げ出していたが、もう遅い。
俺を攻撃していた虹色家守の騎士も部隊の元に戻ったが、もう遅い。
「炎防御」
と口の中で小さく唱え、彼女の攻撃を万全なものとする。
これでもう気にすることは何もない。
その炎の大砲をぶっ放せ!
その炎の流れは美しく、そして、凄まじかった。
さっきまで魔力切れをして倒れ込んでいた人物の放つ魔術とは到底思えなかった。
あの魔術の威力はすさまじく、周辺の斜線上にあった森は全て炭へと変化し、俺達から離れようとしていた敵は跡形もなく蒸発した。
ある程度の炎耐性を持つ虹色家守の鱗でさえ、例外ではなかった。
「マギシェ……イヤリングがないのに……」
「これも私の家系が施したアヌビスとの契約だよ。寿命を使う事で……魔力枯渇状態でも魔法や魔術を使えるんだ……」
「それで……今の魔術にどれだけの寿命を使った?」
「三年弱という所かな……。全く……無理させてくれるよね。フォルティスは」
冥界神アヌビス。
この世とあの世の全ての死と生を司る、文字通りのオーディンの犬。
エ・マギア国と特に関係が深く、エ・マギアは寿命と魔法を交換条件にアヌビスと契約している例が多い。
「俺が無理させたみたいな言い方じゃんか……」
呆れながら返した。
さっきまでの殺伐とした戦闘が嘘のように雰囲気が一変していた。燃え盛る大地を除けばの話だが。
「兎に角、戻ろうか。エ・マギアの戦場に」
「うん……」
指笛を吹いて馬を呼び寄せる。
「よく訓練された馬だね。こんな混乱の中、指笛一つでやって来るなんて」
「そうだな……。やっぱりイポティス産の馬は違うな」
俺が乗っているのは三年前にイポティスとレビロ帝国が停戦協定を結んだ時に、友好の記として贈られた馬だ。
イポティスは軍馬や兵器の洗練に大きく国庫を開いていて、軍馬や馬術は他国の追随を許さない。
つまり、それだけ軍事に振り切った軍事国家という事だ。
そして、この馬もその例外ではない。
育ったのがレビロとはいえ、両親はイポティス育ちで、イポティス馬の種類としても強い。
「デュオリヴィックは……今、どうしてるかな?」
「さあな。だがあいつのことだ。きっと向こうの戦線でも上手くやっているさ」
「君の部下みたいにね」
今のレビロ軍は俺の誇る側近をフルで用いている。第一、レビロの戦線は世界樹に遠く、あまり主戦場になりえないから総指揮官がいなくても崩れないという計算の内ではある。
暗がりが薄暗がりに変わっていく。東から順に。
「夜明けだ」
「長かったね。今日の夜は」
「だな」
そして俺達が大穴を開けられたエ・マギア軍本陣に帰参したのは日が天頂に着くころだった。




