34
16:20。
何とか瑞穂の誤解を解き、気を取り直して、金森倉庫群の中にあるビヤホールにやって来た。ここで、ユラと待ち合わせしているのだ。
大きな赤レンガ倉庫を一棟そのままビヤホールに改築している為、非常に広く天井も高い。函館は地ビールにも力を入れており、いわゆる日本人が好む喉越し重視のドライビールではなく、本格的ドイツビールのような味を楽しめるらしい。
「……ユラ」
瑞穂がそう呟いて、席から立ち上がった。瑞穂の視線の先、ビヤホールの入口には、一人の小柄な若い女性が立っていた。間違いない。ユラだ。事件の夜に、短い時間見ていただけだが、すぐにわかった。店員がユラに声をかける前に、ユラもこちらに気付いて、小走りで近付いて来た。僕とリリィも、立ち上がった。瑞穂が、何も言わずにユラに抱き着いた。
「瑞穂、ごめんね」
ユラの顔がくしゃりと歪んで、すぐに涙がこぼれ落ちる。
「本当だよ」
しばらくの間、二人は無言で抱き合って、すすり泣いた。
「親友って、いいもんだね」
リリィが、目を細めて二人を見て呟いた。やがて落ち着き、僕とリリィ、瑞穂とユラ、二対二で向かい合って座った。僕とリリィはソフトドリンクを頼もうとしたが、瑞穂とユラが是非とも飲もうと言うので、お言葉に甘えて地ビールを注文した。僕達は瑞穂の護衛と、ユラからの事件の真相を聞き出すことが目的だったが、瑞穂にとっては念願だったユラとの再開だ。祝杯には付き合うべきだろう。それに、酒が少し入って緩んだ空気の方が、色々と話を聞きやすいかも知れない。
「こちらは、探偵のオトさんとリリィさん。ユラのこと探してくれたり、あたしのボディガードしてくれてるの。オトさんは、あの日の夜、あたしが付いてたお客様なんだ」
僕とリリィは、挨拶してそれぞれの名刺をユラに渡した。ややこしくならないように、僕の源介の名刺には、前もってボールペンで「オト」と書き加えておいた。
「この度は、お騒がせしてすみませんでした。ユラと申します。オトさん、覚えてます。先日はありがとうございました。瑞穂がお世話になっています」
ユラは、僕のことを何となく覚えてくれていたようだ。瑞穂と同じで、見た目は今時の垢抜けた若い女の子なのに、礼儀正しい。静かに乾杯し、ユラは少しずつ、あの夜のことを話し始めてくれた。事件の夜を思い出しながら耳を傾けていると、胸の高鳴りがどんどん激しくなっていった。
あの時、吾妻はトイレに行くと言って席を立った。あまりに戻りが遅いので、ユラは、心配になって見に行った。ここまでは僕も瑞穂も見ていたことだ。
「男子トイレの前に立って、声をかけてみたんですが、返事がなくて。そんなに酔ってはなかったはずですけど、もし何かあったらマズいなって思って。失礼かと思ったんですけど、吾妻さん以外は誰もいなさそうだったし。少し、入口のドアを押して、もう一回呼んでみたんです。そしたら……」
その時突然、ユラの身に起こったこと。何者かによって内側からドアが勢い良く引かれ、ドアの取手を掴んだままだったユラは、引っ張られる形で男子トイレの中に入ってしまった。
「目の前に、吾妻さんが倒れてて。死んでるのは、すぐわかりました。そして、そいつがあたしを突き飛ばして、ドアを閉めたんです」
そいつとは。つまり、犯人か!
「殺されるって思って、怖くて声も出せなかった……」
瑞穂は、悲痛な顔をして、食い入るように黙って聞いている。
「ユラさん、そいつとは、一体誰だったんですか?」
僕は、我慢できずに、口を挟んでしまった。無意識に体が前に出て、テーブルに身を乗り出すようになってしまう。
「女でした。顔をマスクで隠して、ニット帽を被っていたんですけど。多分、若いと思います。もしかしたら、あまりあたし達と年はそう変わらないかも。髪は……短いと思います」
背筋に電撃が走った。若い女。やはり、ボウズじゃなかった。コノハだ。
「その女は、ハンマーや特殊警棒とか、何か凶器は持ってましたか?」
リリィも質問する。
「いいえ、手ぶらでした」
ユラの記憶が確かならば、別に、女は背丈も体格も普通で、大女と言うわけでもない。そんな女が、素手で吾妻を殺したと言うのか。一体どうやって。
ユラは話を続けた。女は、怯えて座り込んだユラに向かって、空手か何かの格闘技と思われる、蹴ろうとする構えを見せた。この技で、吾妻を仕留めたのだろうと悟ったユラは、自分も同じ目にあうことを覚悟した。
「まさか、その女は素手で吾妻を!?」
信じられない。リリィが本気で無防備の素人に技を繰り出せば、当たり所に寄っては、成人男性を殺せるかも知れない。リリィの体は一応、男だ。体格だって、普通の一般女性よりは大きい。だが普通の一般女性の体格で、成人男性を素手で殺害するのは非常に難しい。抵抗だってされるだろう。吾妻はあれでも、身長は高い。真面目なサラリーマンには見えないあの雰囲気。喧嘩の場数だってある程度は踏んでいたと思う。首を締めたりすれば可能性はあるが、打撃で仕留めるのは、まず不可能だ。
死を覚悟したユラを前にして、女は何を思ったのか、蹴るのをやめた。そして、女はユラにこう伝えた。命だけは助けてやる。今すぐ札幌を出て、二度と近寄るな。必要な金は、少しなら工面してやってもいい。警察に言っても無駄だ。従わないなら、どこまでも追って探し出して、必ず殺す。
女はポケットから線香を取り出して、現場に乱暴にばらまいた。ユラは恐怖に震えながら、言われた通り、必死になって窓から外のハシゴを伝って、地上まで降りた。女はユラから目を離さずに、軽やかな身のこなしで、すぐにユラに続いてハシゴを降りた。そして、身に着けていた軍手で、ハシゴにユラの指紋が残らないように、丁寧に手を横に滑らせていた。大胆なことをやるが、慎重でもある。
やはり、犯人もユラも、あのハシゴを降りて外に出たのだ。階段は使われなかった。確かに今思えば、リリィに言われて気付いたが、あのビルの入口にはカメラがあった。警察は、当然カメラも調べているはずだが、何もこれと言った手掛かりは見つからなかっただろう。
「……あの、大変失礼なのですが、その。ユラさんを疑うつもりはないのですが、この話は、本当の出来事なんですよね?」
リリィが、念を押して確認した。無理もない。にわかには信じられない話だ。
「もちろん、なかなか信じてはもらえないと思ってますが。あたし自身、信じられないし。でも、本当です」
若い女のはずなのに、恐ろしい殺気と迫力、目の前で見せられた確かな高い身体能力。ユラは、観念した。声を出せばその瞬間に殺すと脅されて、手を握られたまま、そのままタクシーに乗って、アパートまで案内させられた。そして、必要最低限の荷造りをさせられ、女はユラに、現金で何と百万円を乱暴に突き付けた。なぜそんな大金を持ち歩いていたのだろうか。
「何か、ヤクザっぽいやり方って気もするかな。一方的に現金渡して来て、受け取ったんだからおまえも共犯だ、言う事を聞け、約束破るなよ、破ったらどうなるかわかってんだろうな……って言う脅し方」
リリィがそう言うと、僕は工藤を思い出した。ヤクザも警察も、似たようなものだ。
女は、ユラが荷造りをしている途中、電話をする為に一度部屋の外に出たが、それ以外は絶対にユラから目を離さなかった。始発の時間までユラはアパートで女に監視された後、タクシーで札幌駅まで向かい、電車に乗り込む所までを隙なく完全に見届けられた。
「あたしの体験したことは、これで全部です」
瑞穂は何も言わず、ユラを見つめている。その目から、また涙が溢れている。
「ユラさん、大変だったんですね。怖い思いをしたのに、教えてくれてありがとうございます」
僕は、礼を言った。
「……あのね、ユラ。どうして、ユラは自分のこと、住所とか口座とか、色々秘密にしてたの?店とかに」
瑞穂が、切り込んだ。
「それも、話さないと、だよね……」
「教えてくれる?秘密にしてた理由だけでいいよ」
ユラが、徹底して個人情報を偽っていた理由。それも聞きたかったのだ。




