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ユラは、今度は自分の昔話をしてくれた。
やはり瑞穂と同い年で、今年で22になる。この函館で生まれ、幼い頃に両親が離婚し、母子家庭で育った。貧しかったが、幸せだった。
ユラが中学生の頃に、母親が若い男と再婚し、その男はユラの養父となったのだが、思春期のユラは養父には馴染めず、家庭内では気まずい関係が続いた。そして、ユラが高校に上がったばかりの頃、母親は病気で亡くなった。
真面目だった養父は、元々酒乱の気があったが、母親の前では、決して深酒をしなかった。しかし、母親がいなくなった途端に、段々と生活が荒んでしまい、家で一人で深酒をするようになる。度々、泥酔してはユラに激しく手をあげた。殴る、蹴るなどで、性的な虐待ではないことを聞いて、僕含め一同は少しだけ安心した。ユラは顔や体のアザを見られるのが嫌で、次第に学校へも行かなくなってしまった。
「きっと寂しかったんでしょうね。子連れの年増でも一緒になったほど、惚れた女房にすぐに死なれて。それで、残ったあたしには怖がられて、懐かれなくて」
時間が経ったとは言え、暴力をふるった養父に対して、そんな言葉を言えるユラが、すでに養父よりずっと大人に見えた。憎んでいると言うより、哀れんでいるのだろう。
ユラには、祖父母はいない。どの祖父母も、ユラが物心付く頃にはこの世を去ってしまっていた。他に付き合いのある親族もいなかった。頼れる人は、もうこの世には誰一人いなかったのである。
「こんなお父さんでも、あたしの唯一の家族だったし、お母さんが好いた人だし、と思って、頑張ったんですよ。子供なりに。でも、もう耐えられなかった。そうだ、ちょうど、今くらいだったなぁ……」
ユラは、幼い頃から少しずつ貯めていたなけなしの貯金をおろして、着の身着のまま、電車に乗って、札幌へ逃げた。17歳の、夏の午後だった。
「……すごい行動力ですね。危ないとか不安とか、なかったんですか?」
僕は、素直にすごいと思った。26にもなってニートをしていた自分が恥ずかしくなった。と同時に、僕の両親に感謝した。
「十代って、そういう意味での危なさとか不安とか、わかってないで突っ走るから、すごいですよね」
ユラは、人ごとのように言った。
「それに、今思えば……家にいたって、危ないのは同じだったから……それなら、どうせどこに行ってもって、思ってましたね」
ユラは、これから自分がどうなってしまうのかも全く想像できずに、緊張しながら、電車の中でただ座っているしかなかった。電車の窓からすっかり暗くなった外を見ると、町の色んな明かりが、ゆっくりと流れて行く。それを見ていると、不思議と心が落ち着いてきた。
「明かりがあると、あ、あそこの家は幸せなのかな、とか。これだけたくさん家の明かりがあれば、もしかしたら、一人くらい、自分と同じような女の子がいて、家を飛び出して札幌に向かうのかな、とか。おかしいですよね」
ユラは、そう笑って続けた。聞く方は哀れに感じるが、もうこの話はユラに取っては、笑って人に話せるくらい、乗り越え、消化できている話なのだろう。
「実はあたし、札幌初めてだったんですよ。中学の修学旅行は、青森だったから」
札幌に着いてみると、函館とは、駅の規模も、歩いている人の多さもまるで違う。
「圧倒されましたね」
「わかる」
瑞穂も、札幌に出てきた時のことを思い出したようだ。
ユラは、必死だった。補導されてしまったら、すぐに連れ戻されてしまう。堂々と改札を出た。雰囲気、表情、歩き方。不安な様子が出てしまわないように、必死に、心の中では歯を食いしばって、堂々と、自然に。行く当てなんてなかった。右も左もわからない。一歩、また一歩、勇気を出して、早足で夜の札幌の街を歩いた。
「……ユラも」
瑞穂が、気付いた。ユラも、瑞穂と同じだったのだ。
「当てもなく一人で歩くのって、寂しくて、不安で、心細いよね。知ってた。だから、瑞穂のこと、放っておけなかったんだ」
ユラは、ススキノへ向かって、寮のあるキャバクラに飛び込み、掃除でも厨房仕事でも、何でもすると店に懇願した。堅い大手系列店ならばそれなりの身元確認をするが、自転車操業の弱小店なら、見た目さえ良ければ、多少年齢をごまかしても使いたがる。その点、ユラはクリアできている。ろくに履歴書も書かせずに、その日に店はユラを採用した。
「えっ、ユラ、最初はキャバだったんだ」
「そだよ。おっさんに体触られるのは、最初は嫌だったけどさ、すぐ慣れたよ。お酒飲まされる方がキツかったかな」
「実際、今でもススキノで16の娘とかも働いてますもんね」
リリィが言った。そんな若い子でも、歳をごまかして働いてるのか。
「何年かして、少し落ち着いて自活できるようになって来たら、シックスに移って、名義貸し物件の部屋を探してもらって住んで。捜索願いも出されてただろうし、調べられるとお父さんに見つかっちゃうから。だから、名前も口座も、全部、嘘ついてたんです」
「その部屋って言うのが、あの赤レンガショッピングモール近くの、アパートですね?」
ユラは頷いた。
「話してくれてありがと。どんな事情があっても、ユラはユラだよ」
ユラは、急に顔を歪め、また泣き出した。
「……ユラ?」
「……こんなことになって、何であたし。罰が当たったのかな。お父さん置いて逃げたから」
「罰って。ユラは何も悪くないよ!?」
「……あたし、札幌に戻りたい。また瑞穂と一緒に、働きたい……」
あまりにも理不尽だ。ユラは、偶然、殺しを目撃してしまっただけだ。腹の中で、何かがキュウッと締め付けられるような感覚。鼓動が、早くなる。虻川の憎たらしい顔、それからなぜか、ボロボロになったヤガミの顔も脳裏をよぎった。
「そのバカ女がいなくなれば……逮捕されれば、ユラさんは、安全に札幌に戻れるんですね?」
言ったぞ。リリィが、ハッとして僕を見た。
「オトさん、リリィさん。無理を承知で、お願いします。当初の報酬をちゃんとお支払いします。どうか、犯人を、見つけてください。ユラを、札幌に戻してあげたいんです……どうかお願いいたします」
瑞穂が、潤んだ目をしながら、そう言って頭を下げた。
「……瑞穂さん、ユラさん。あたし達は、探偵です。警察と違って、殺人事件の捜査をしたり、犯人を逮捕したりはできないんです」
リリィは冷静だ。
「お願いします!あたしが犯人から渡されたお金も、使ってもらって構いません!」
ユラも、泣きながら同じように頭を下げる。
「しかし、お金の問題では……」
「お願いします!どうか!お二人しか頼れる人がいないんです!!」
警察も。殺人犯も。どいつもこいつも、自分が強いと思ってるから、弱い人に向かって理不尽なことをする。理不尽だ。頭に血が上るのがわかった。僕は、ほとんど口を付けていなかった地ビールのジョッキを一気に飲み干して、テーブルに叩きつけた。ぬるかった。こんなものは水だ。三人が、驚いて僕を一斉に見る。僕はピースに火を付けた。
「探偵が逮捕できないなら、逮捕できる警察を利用してやればいい」
「……ちょっと、オト」
「虻川も、コノハも。何でも思い通りになると思いやがって。今度は僕の思い通りにしてやる」
「まだ犯人がコノハって決まったわけじゃ……」
「瑞穂さん、ユラさん、お金の話は後にしましょう。お引き受けいたします。すみません!ビール!!」
瑞穂とユラが、声にならない感謝の言葉を僕に伝えてから、また二人で泣き出した。
「……オトさぁ、マジで知らないからね」
勢いで適当に言ったわけじゃない。うまく警察にコノハを逮捕させる方法が、絶対にあるはずだ。虻川達を利用できるはずだ。
「リリィさん、僕は本気です。逃げ回ってたって仕方ないんだ。源介さんは僕が説得しま……あっ!」
口を滑らせてから、しまったと思ったが、瑞穂もユラも、泣いていて聞いていなかった。リリィが、思いっきり僕の足を踏んだ。




