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17:00。
戻って来たリリィが、事務所を勝手に閉めて瑞穂とビールを飲んでいた僕を見て予想通り怒ったが、蹴られる前に必死に事のあらましを説明すると、やっぱり一緒になって乾杯してくれた。
明日、明後日の二日間はリキッドに事務所の留守番をさせ、僕とリリィと瑞穂の三人で、ユラに会いに行くことにした。瑞穂はすぐにシックスに電話し、休みを取った。ユラは今、札幌にはもういない。何と、函館にいると言うのだ。
函館は北海道で札幌、旭川に続いて三番目の都市であり、文明開化の頃の雰囲気を大切に保存した、異国情緒溢れる観光地として人気が高い。港町としてその歴史は古く、江戸時代にはペリーも訪れ、北海道の玄関口として栄えた。まだ、札幌が茅の中の集落だった頃からだ。
北海道は、函館から始まったと言っても過言ではない。明治の始めには、新撰組の土方歳三が戊辰戦争を戦い抜き、その命を散らせた最後の地でもある。その頃の函館には、官軍となった新政府に対して、旧幕府軍によって急遽うち立てられた政権があった。俗に言う「蝦夷共和国」だ。
蝦夷共和国はたった六ヶ月の短い命だったが、もしこの臨時政権が独立して、本当に国家として認められていたとしたら、今頃は僕は日本人ではなかったかも知れない。そう考えると、何だかとてもすごい話のように思えた。
有名な函館の夜景は、ナポリ、香港と並んで世界三大夜景と称されたりもするが、それはいささか大袈裟なような気がする。もちろん、とても美しく綺麗なことは間違いない。僕も見たことがあるので、それはよく知っている。観光地としては、よく九州の長崎と比較されることがある。
函館は、札幌から車で片道四時間半くらいかかる。高速道路を使ったとしても、時間は30分から一時間弱程度しか短縮できないし、料金が五千円近くかかるので、ほとんどの人は一般道路を走行して行き来する。
瑞穂も、さっきの突然の短い電話だけでは、詳しい話はまだ聞かされていない。函館は、ユラの生まれ故郷だったのだ。
事件の翌朝、始発の電車で、ユラは札幌を捨てた。捨てざるを得なかった、と言うようなニュアンスだったらしい。朝ではあるが、それはきっとまるで夜逃げのようなものだったのだろう。体は無事で、暴行などはされていないとのこと。これは本当に安心した。函館で元気にやっているようで、瑞穂やシックスに心配をかけたことを、涙ながらに頻りに謝ったのだそうだ。
ユラは、神に誓って、吾妻を殺してはいないと断言した。この言葉が、瑞穂が一番聞きたかった言葉だろうと思う。
そして、連絡をしなかった理由。できなかった、と言うのが正しいのかも知れない。ユラは、ある人物から、札幌から出て行くこと、二度と札幌に足を踏み入れないこと、札幌の知り合い全ての人物と連絡を取らないことを、脅されて約束させられた。だがユラは、勇気を出して、瑞穂に、函館で持った新しい携帯で、連絡をしてきた。自分が無事であること、心配をかけたことの謝罪を、どうしても一言だけ伝えたかった。ユラを脅し、行動を制限した人物こそ、吾妻殺しの犯人だ。コノハなのだろうか。
瑞穂は咄嗟に、明日会いに行くと伝えた。ユラは、危険だからやめろ、と言った。それは、瑞穂だけでなくユラ自身も、と言う意味だろう。だが瑞穂は、聞き入れなかった。
「あたしを守ってくれる、信頼できる人達がいるから。だから、待っててって、そう言いました」
僕とリリィは明日、瑞穂の護衛をしながら函館に向かい、ユラに会う。距離的に日帰りは難しいので、一泊するつもりだ。ユラに会えたら、事件の夜のことを、全てちゃんと話してもらうと心に決めた。
「勢いで、勝手に皆さんの都合を無視して、本当にごめんなさい」
「いいんですよ。あたし達の仕事は、瑞穂ちゃんとユラさんとを無事に再会させることなんですから。ボディガードもしますって、調査依頼契約書に、書いてありますからね!」
「あっ、そうでしたよね」
「でも、あたし達がユラさんを見つけたわけじゃないから、二百万円の報酬満額は、さすがにいただけないですね。そのお話は、また後日改めてしましょう」
「……はい。何だか、すみません」
「いえいえ、瑞穂ちゃんが謝ること、ないです!無事にユラさんが生きてることがわかって、良かったんですから」
リリィを見直した。僕も、そんな高い報酬は受け取れないと思って、源介に相談しようと思っていたところだ。プロ意識がないと先輩達から叱責されるかも知れないが、本件の調査費用は工藤からの裏金でまかなえているし、正直もう赤字でなければ報酬なんていらなかった。僕個人の好奇心として、吾妻を殺した犯人が誰なのか、知りたい。もしできることならば、そいつを捕まえて、虻川にしたり顔で突き出してやりたいとも思った。
9:00。
事務所に、瑞穂がやって来た。夜型生活の彼女には辛い時間かとも思ったが、少しも眠そうな顔を見せない。
「おはようございます!今日と明日、どうかよろしくお願いします!」
元気な挨拶で、こちらも非常にやる気になる。車は、源介のデリカスペースギアだと大き過ぎて持て余すし、万が一襲われた時に自由が制限されるので、小回りが効く小さい車が望ましかった。リリィの、トヨタスプリンタートレノで向かうことにした。
スプリンタートレノと聞いて、走り屋の漫画で豆腐屋の少年が峠をドリフトするような白黒ツートンの角張った車を想像したが、リリィのトレノは普通の曲線的なデザインの、黒いスポーツカーだった。コンパクトで車高も低くシャープな2ドアのクーペで、丸い黄、赤、白の三連テールライトが可愛らしくスタイリッシュだ。小さく見えたが、車内は意外に広い。六速マニュアルミッションのシフトブーツや革張りのステアリングには、赤いステッチが施されており、シートは黒と赤を基調とした柄の攻撃的なデザインで、運転するならばついついスピードを出したくなるに違いない。聞いてみると、この型式のスプリンタートレノは最終型であり、漫画で有名な型式は四代目、このリリィの車は七代目なのだそうだ。同じ車名でも、世代を重ねると全く違った見た目の車になる。当たり前のことか。そうは言っても、初年度登録からもう15年近く経っている古い車らしい。この型式を最後に、スプリンタートレノは絶版となってしまったのだ。
「リリィさん、こういう車乗ってるんですね、かっこいい!」
瑞穂が興味を示した。
「ありがと〜。古いんですけどね!かなりスピードは出ますよー」
トランクに三人の手荷物を詰め込んだ。リリィが運転し、僕は助手席、瑞穂は後部座席に座って、狸小路を出発した。これから片道四時間半の長丁場である。
「オト〜。あたし疲れたら、あんた運転代われる?」
「……免許はありますけど、運転はほとんどしたことないです」
「えぇ〜ふざけんなよ〜!」
「あ、あの、あたしマニュアルでも運転大丈夫ですよ」
「瑞穂ちゃんには運転させられないですよ!お客様なんですから!」
「いや、もうこの際、気にしないでください!あたしのワガママを聞いてもらってるわけですし」
「ウチの代表がヘタレなばっかりに……すみません。もしかしたら、瑞穂ちゃんお願いするかもです」
ヘタレって。普通に車を持ったことがないし、運転する機会がなかっただけなのに。まあ男たるもの、車の運転くらいはできた方がいいか。
「はい!全然、お任せあれです!ところで、リリィさんが浜田さんをオトって呼ぶのは、あだ名か何かなんですか?」
僕とリリィは顔を見合わせた。しまった。何と説明すべきか。
「ま、まぁ、そうです。あだ名ですね」
「ふーん。何でオトなんですか?」
「男気溢れてるからです」
「えー、確かに浜田さん男気あるけど」
瑞穂は笑った。リリィは何も言わなかった。




