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21:30。
僕達は無事、狸小路一丁目に戻って来た。事務所に戻ると、リキッドがいた。
「よぅ!待ちくたびれたぜ!何やってたんだ?」
「ちょっと色々あってね〜」
リリィが、疲れた口調で返した。僕達は、満身創痍だった。
「飯は食ったか?」
「……まだ」
言われて気付いた。夕飯はまだだ。安心したからなのか、今さら、猛烈な空腹感が襲って来た。
「俺もまだだ!よし!ジンギスカンを食おう!そうしよう!なっ?」
「いいねえ!食べる!」
リリィの表情が一気に明るくなった。ジンギスカンか。しばらく食べていない。賛成だ。
リキッドに連れられて、狸小路四丁目にある「ジン・カン・カン」にやって来た。店の入り口に差し掛かると、すでに羊肉の甘い独特の強い匂いが漂っている。この店は、札幌でももう珍しくなってしまった、昔ながらの漬け込みジンギスカンの店だ。
ジンギスカンには大きく分けて二つの食べ方がある。一つ目は、焼肉のように新鮮な生の羊肉を焼いてタレに付けて食べる一般的な方法。二つ目は、羊肉をタレに漬けて揉み込み、味付け肉にして、焼いて食べる方法。好みは分かれるのだが、どちらかと言うと、後者が古く伝統的な食べ方であると言える。
本来ジンギスカンとは、固くて臭い羊肉を、いかに美味しく食べ易くするか、先人の知恵と努力によって工夫して生み出された料理だ。みかん、りんご、玉ねぎ、ニンニク、生姜などをすりおろし、みりん、酒、醤油、塩、砂糖……様々な調味料を加えて作られた秘伝のタレで揉み込むことによって、固くて臭い羊肉が柔らかくなり、臭みも消え、そこまでしてから、ようやく美味しく食べることができるものだった。
しかし最近は技術の発展に伴って、柔らかく、臭みのない羊を作ることが可能であるので、そういった手間をかける必要などない。新鮮なうちに焼肉のように生でさっさと焼いてしまって、好みの味のタレに付けてしまえば、誰でも美味しく食べられるようになったというわけだ。けれどそれでは、焼肉とさして変わらない気がしてもったいない。
せっかくジンギスカンを食べるのであれば、やはりジンギスカン独自の伝統的な調理法、食べ方でいただきたい。と言うわけで、僕はこの漬け込みジンギスカンこそが王道であると考えている。
傾向として、北海道内でも旭川、帯広、釧路などの道北道東地域ではこの古い漬け込みジンギスカンを、札幌、函館などの道央道南地域では生肉を焼くジンギスカンをメインとしているようだ。
店員が大きなジンギスカン鍋を火にかけ、羊の脂肪の塊を鍋のてっぺんに置いた。甘い独特の香りと、牛や豚よりも強い煙が立ち上る。道北の滝川と呼ばれる街で生まれた、兜のように丸く盛り上がったこのジンギスカン鍋には、中心から外側に向けて溝が掘られている。鍋の中心で味付き肉を焼くことで、肉汁と肉に染み込んでいたタレが、溝に沿って鍋の縁部分に流れ落ちる。この肉汁とタレによって、縁に盛ったもやし、玉ねぎ、ピーマン、にんじん、かぼちゃなどの野菜が、ほどよく味付けられるのだ。
柔らかく臭みのない子羊のラム、歯応えとそれなりの臭みがあり、より旨みの強い大人の羊のマトン。通はマトンを好む傾向にあるが、出す店も少なくなってしまった。玄人好みのこの店では、もちろんマトンも揃えている。
「お疲れ様ー!」
僕とリリィはサッポロのクラシックをジョッキで、リキッドはサッポロのラガーを瓶で頼み、乾杯した。キリンではなく、サッポロのラガーを置いている店は、なかなか珍しい。ラベルに赤い星が描かれていることから、「赤星ラガー」と呼ばれたりするのだそうだ。
「どうだ!ユラ探しの方は!?」
「さっき襲われたよ」
リリィのうんざりした返答を聞いて、リキッドは大笑いした。
「すごいじゃないか。いきなり確信に迫ってるって証拠だな!」
「そっちは?入れ替わりの調査」
「よくぞ聞いてくれた!今日は、その報告で寄ったんだ」
リキッドは、ラムとマトンを焼きながら語ってくれた。
ススキノや狸小路から見て、ユラのアパートや赤レンガのショッピングモールより更に北東。札幌市東区に、「高覚寺」と呼ばれる寺がある。まだ札幌が開拓移民の集落だけだった、明治初期から続くとても古い寺だ。先日見せてくれた古い文献は、この寺で見つかったものだった。現在80歳を越える、高覚寺3代目住職の祖父、つまり初代住職の時代に書かれたものらしい。
初代の頃、この高覚寺はその名の通り駆け込み寺として、広く人々の日常の相談をも受けていた。文献に書かれていたように、明治29年に二人の男が、体が入れ替わってしまったことで、初代住職に泣き付いて来たのだそうだ。初代住職は、二人の体を何とかして元に戻そうと、知恵を絞って、試行錯誤を始めた。
「それは、この前のプリントでもうわかっていたことだ。ここからが本題なんだが……」
「元に戻る方法が、わかったんですか!?」
「いや、すまん、それはまだこれからだ。しかし、新しい情報がある」
新しい情報。
「今から二年前くらいだ。今の住職に、同じように相談に来た奴がいるらしいんだ」
「同じような?」
「体が入れ替わってしまって、どうやって生きて行ったらいいですか、ってな」
今度は、明治時代から大きく離れて、今からつい二年前。僕と源介の身に起きたこの不思議な現象は、そんなにも頻繁にありうることなのだろうか。
「その人達は、今はどうして?」
「それがなぁ、ちょっとまた違うんだ。達じゃない。その二年前の奴は、一人だったらしい」
「一人?」
「入れ替わっちまった者どうしで、二人揃って来たんじゃないんだとよ。若い女一人だったらしい」
若い女が、一人で相談にやって来たのか。僕達と同じように、体が入れ替わってしまった、可哀想な女が一人。
「普通はそんな話されても、誰も信じないだろうけどな。住職は、祖父の代から聞いていただろうから、びっくりしたんだとよ」
「その女性は、今はどうしてるんでしょう?」
僕は、改めて同じ質問をした。
「それも調べてる。何せ、二年前にフラッとやって来た女、ってだけだからな。手がかりが無さ過ぎてな」
僕の体は元に戻るのか、戻らないのか。それはまだわからないが、同じ境遇の人が過去にいた、ということが聞けただけでも、少し気持ちが楽になった。
「少しずつだが、前に進んでいる気がするぞ!」
リキッドの言葉は、説得力があった。確かに今の情報だけでは何も進展がないように思えるが、知らなかったことが、少しずつ明らかになっている。ゆっくりだが、前に進んでいることには違いないのだ。
「君達の方は、進んだか?」
リリィは、ハムスターのように頬を膨らませ、夢中で美味しそうにラムにかじりついている。
「はい。ユラのアパートに行ってみたんですが、そこで、張り込んでたガキ共に襲われて」
「ガキ共……?」
「何であんなガキ共が、ユラを探してる僕達を襲ったのか……」
「ガキ共は、何かの組織に属しているようだったか?」
「いえ、全然見当も付きません。僕はそういうの知りませんし」
「暴走族なら、調べるのは簡単なんだがな」
「暴走族、ですか」
「現在、札幌には暴走族は一つしか存続していない。そもそも、一年の半分が雪に閉ざされている札幌で、バイクが乗れない間は何をするんだろうな!」
「歩くんですかね?」
「そうだ。練り歩くしかない。暴走族は今や、珍走団と言い換えられて、馬鹿にされているな。札幌のこの場合は、珍歩団と言ったところか!ガハハ」
僕もこれには笑ってしまった。リキッドと僕とで、チンポチンポと連呼して騒いだ為に、リリィに怒られた。
味付きのラムとマトンは、絶品だった。締めに投入されたうどんは、肉汁とタレがよく染み込んでおり、美味かった。心地よい満腹感と酒の酔いで、襲われた時の興奮と緊張が、ゆっくりと解けていくのだった。
店のトイレを占有するリキッドを置いて、僕とリリィは店を出た。




