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「オト!走って!!」
リリィが叫び、ワンボックスの向きとは逆の方向へ駆け出した。僕は声も出せずに、リリィの後を追う。ワンボックスからゾロゾロと男達が降りて、一斉に追いかけて来る。
「待てやコラァ!」
ワンボックスは立ち往生している。人の多い北三条通りへ向かえば、途中で捕まる可能性があるし、ワンボックスも追いかけて来てしまう。リリィはあえて逆方向へ走ったのだ。そうすればワンボックスは方向転換で手間取る。また、このまま進むと住宅街に差し掛かり路地が入り組むので、敵をまく作戦なのだろう。
「オト!そのまま前見て走って!」
僕の先を走っていたリリィが、鮮やかにターンして、引き返し戻って来る。
「えっ!?」
リリィとすれ違いながらも、僕は言われた通りそのまま突っ走った。
「オラァァァ!!」
後方で、リリィの戦闘モードの野太い雄叫びが聞こえた。走りながら振り返ると、跳躍していたリリィが着地し、男が一人、民家の塀に向かって吹き飛んで行く所だった。飛び蹴りか何かだろうか。僕は立ち止まってしまった。男達は、残り四人。
「前見て走れって言ってんだろ!!」
リリィが鬼気迫る勢いで、僕に向かって叫ぶ。その一瞬の隙をついて、男の一人が、リリィの下半身にタックルを仕掛けた。しかしリリィは鮮やかに右膝を男の顔面に直撃させ、右手で突き放してから、肩よりも高く振り上げた左足を、倒れ込もうとしている男の後頭部に叩き落とした。男の顔面がアスファルトにぶつかり、鈍い音がした。残り三人。
リリィは蹴り終えた体勢から、間髪入れずにまたこちらへ向かって駆け出した。男達はリリィの予想外の強さに怯んだのか、モタモタしている。ワンボックスが、バックでゆっくりと戻って来る。
あっという間にリリィが僕に追い付いた。
「止まってんじゃねえよ!」
「だって!どっち行ったらいいか……」
「おいで!」
リリィと全速力で走る。複雑に入り組んだ住宅街の路地を、右に左に駆け回った。塀によじ登り、民家の庭を突っ切る。犬が吠えたが、驚いている暇さえない。団地の自転車の列をなぎ倒した。住民の怒鳴り声が聞こえた気がした。リリィに付いて行くのがやっとで、後ろを気にする余裕がない。男達は、まだ追いかけて来ているのだろうか。
この辺り一帯は札幌の中でも特に歴史が古く、碁盤の目の開発が行われる前から、すでに人が住んでいた地域だ。細い路地が迷路の様に広がり、民家、商店、団地などがひしめき合っている。
「12号に出て、タクシー拾うよ」
息を切らしながら、リリィが言った。僕達は今、ユラのアパートから、南に向かって走っていた。北三条通りよりも南側にある、国道12号線。その通りに出れば、車が多く、確実にタクシーを拾うことができる。
突き当たりが左右に分かれている。リリィが右に曲がり、僕も後に続こうとしたその時。左から、さっきの男達のうちの一人が飛び出して来た。
「てめえコラァァァァァァ!!」
先回りされたのだ。僕は男のタックルをまともに受け、倒された。マウントを取られたのだ。アスファルトに背中と腰を叩きつけられ、激しい痛みが走る。しかし、咄嗟に顎を引いた為、頭は打たなかった。
「オト!」
必死だった。教わったことを、思い出せ。男の髪を鷲掴みにし、全力で引っ張る。ブチブチと音がした。
「ぐわああ!!」
男が痛みで力を緩めたのがわかった。僕は両足の膝を曲げ、男と僕の密着していた体の間に空間を作り、無我夢中で男を突き飛ばした。そこへリリィが、背後から男の延髄にハイキックを叩き込む。男は受身も取らずに地面に張り付いた。
すぐに体勢を立て直し、休む間もなく走り出す。右から、また別の男が飛び出し立ち塞がる。リリィはそのまま反射的に飛び膝蹴りを放ったが、男に半身でかわされてしまった。男は、着地して背を向けているリリィに反撃しようとした。
「女の癖に調子乗ってんじゃねえぞ!コラァ!」
僕がやるしかない。
「わあああ!!」
無意識のうちに叫んでいた。恐怖と緊張と不安を吹き飛ばしたかった。男の頬の下から、顎の辺りに狙いをつける。走っていた勢いをつけ、左足を踏み込む。右拳をしっかりと作る。腰が回り切ってから、脇を締めて右腕を真っ直ぐに。
瞬間。拳、肘、肩と伝って鋭い衝撃が走る。確かに何かが折れた感触。同時に僕は、後悔しながら、襲い来るであろう激痛に備え覚悟を決めた。男は、リリィよりも向こう側へ吹き飛んだ。痛みはなかった。折れたのは、僕が殴った男の何かだった。
「オト!それでいい!もういい走って!」
今のはビギナーズラックと言う奴だろう。追い打ちはせずに、逃げることが第一優先。リリィの教えに忠実に、また駆け出す。
源介の言った通りだった。やはりこの件は、危険だったのだ。瑞穂を連れてこなかったのが、不幸中の幸いだった。心臓と肺が悲鳴をあげている。打ち付けた背中と腰が痛い。一歩間違えれば、拉致されていた。リアリティのある恐怖が、ジワジワと遅れてやって来た。
しかし、不謹慎とはわかっているが。恐怖だけでなく、奇妙な快感も、僕の中で生まれ始めていた。尾行の時と似ている。今男を殴り倒した、この瞬間からだ。
薄暗い路地が終わり、急に目の前が開け、街灯と車列のヘッドライトが眩しい程に僕達を照らした。12号線に出たのだ。急いで手を挙げ、通りがかったタクシーを停める。
「狸小路一丁目までお願いします!」
激しく肩で息をしながら、シートにもたれかかった僕達を見て、初老の運転手がルームミラー越しに怪訝な顔をしている。
「狸小路ったらば〜車入らねえべさ。一丁目ったら、創成川で停めればいいんでないかい?」
「はい。それで。道はお任せします」
「は〜い了解しました」
まだ安心できない。動き出したタクシーのリヤウインドウから、黒いフルスモークのワンボックスがいないか、辺りを確認した。今のところはそれらしき車は見当たらない。
「……疲れましたね」
危なかったですね、と言いかけて言葉を変えた。面倒事を抱えていることが運転手に伝わってしまうと、車を降ろされてしまう可能性がある。
「あれ……気付いた?普通の子供だったよ」
リリィも、ガキ共と言いかけて言葉を変えたのだろう。さっきの修羅場を思い出す。確かに、無我夢中でよくわからなかったが、今思えば奴らは普通の暴走族や、チーマーの類だったように思える。10代後半か20代になりたてと言ったところか。服装も各々バラバラ、今時の尖ったガキ共だった。
「あれ、ボウズ関係ないよ」
確かに。極道に雇われて仕事をしていた伝説の始末屋が、あんな中途半端なガキ共を使って、僕達を襲ったりするだろうか。それはないと思う。源介の言う危険はなかったのだが、代わりに別の危険が出て来てしまった、と言うことか。
「……僕達が、ユラのアパートから出てきたところに、ちょうど良く現れましたよね」
襲って来た、とは言わずにまた言葉を変えた。面倒だ。早くタクシーを降りたい。
「張ってたんだろうね」
ユラのアパートを調べようとしたら、襲われた。と言うことは、襲って来たのは、ユラについて調べられると困る奴ら、と言うことか。それでいて、ボウズとは関係がない。ユラは瑞穂以外に住所を教えていないはずなのに、奴らはユラのアパートが目に見える距離で張り込んでいた、つまりユラの住所を把握している。一体どんな奴らで、何が目的なのか。
僕は、興奮冷めやらぬ気持ちを抑えつけ、頭の中を整理した。吾妻が殺された夜、ユラは失踪し、事件について何かしらの事情を知っている。そして、その失踪したユラについて調べられると都合が悪い、さっきの奴ら。間違いないのは、奴らが吾妻を殺した犯人と、何らかの関係がある、ということ。関係があるどころか、犯人そのものかも知れない。
最悪なのは、ユラがもしかしたら、すでに奴らに殺されてしまっている場合だ。すでにユラが死んでいるから、奴らは調べられると困るのか?奴らはユラを殺したのか?吾妻殺害の現場を見られたからか?
瑞穂の泣き顔が、目に浮かんだ。
「あ~クソッ!」
そんなやり場のない罵倒が、口をついて出てしまった。わからないことだらけで、イライラした。




