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「じゃ、あたしも。ミズホです!本名です。よろしくお願いします」


 彼女の名刺には、「瑞穂」と書かれている。見た目とは違って、意外に古風な名で気に入った。美奈の名刺とは違い、シンプルなテキストのみのデザインだ。名前の他には小さく、店の電話番号、住所だけが印字されている。

 ガールズバーは、ガツガツした営業はして来ない。キャストが名刺を渡してこないことなんてざらだ。今の僕のように客から名刺を渡されたり、欲しいと言われない限り渡さないキャストもいる。


「瑞穂ちゃんか。日本は、その……瑞穂の国ですよね」


「あ、それ聞いたことあります。何でしたっけ?あれ?お米でしたっけ?」


「そうそう、瑞々(みずみず)しく実る稲穂……日本は稲作の国ですから」


「やっぱり、浜田さん、真面目ですね。物知りそう」


「いや、これは、その、誰でも知ってることなんですけどね」


 瑞穂との会話が楽しかった。ニュークラやキャバクラになんて、これからも絶対に行くつもりはないが、ガールズバーはこれでなかなか悪くない。また来ても、いいかも知れない。つい楽しくなってしまったが、気持ちを切り替えて、吾妻の相手をしているキャストを観察してみた。

 髪は明るい茶、あご下ほどの短さで、おでこを出している。あれは確か、ボンパドールとかいうヘアスタイルのはずだ。瑞穂とは対照的に、肌は真っ白で、小さなホクロがいくつか見える。瑞穂よりもさらに華奢で小柄だ。元気で明るそうで、可愛らしい雰囲気の子に見える。

 その時、僕の懐でスマートフォンが短く振動し、観察は中断させられた。


『ペンカメラ、いってみよう』


 リリィからだ。


『やってみます』


 今日の為の秘密兵器を使う。僕はペンを取り出した。


「あっ、瑞穂ちゃん、すみません、さっきの僕の名刺、貸してくれますか」


 瑞穂に渡した源介の名刺に書かれた、源介の業務用の携帯番号。これをペンで線引きして消し、代わりに僕の携帯番号を書いた。魔が差したことは否めない。


「最近、番号を変えたので……」


「電話しますね」


 まあ、それは社交辞令だろう。それよりも、本当の目的はこれだ。僕はペンのノックボタンの先端を吾妻の方へ向けて、カウンターに置いた。特注の、超小型カメラ内蔵のペンだ。たった今から、録画は開始されている。バッテリーも撮影時間も非常に短く、画質も粗いのだが、確かに動画を撮影できる。何とWi-Fi機能もあり、撮影した動画ファイルは、外で待つリリィの小型ノートパソコンへリアルタイムで送信されているのだ。欠点は、撮影状況をモニターできないことか。カメラの枠の中に、被写体を納めることすら一苦労だ。しかし、今はリリィがモニターしてくれている。


『ペンの下にマッチか何かかましてみて』


 早速フィードバックだ。恐らく、カメラが下を向き過ぎているのだろう。


「あの、マッチとかって、ありますか」


「ありますよ、はい!」


 瑞穂が、シックスのロゴが入った店のマッチを渡してくれた。一本取り出して、ペンの下にもぐり込ませた。わずかにカメラが上を向く。


「何してるんですか?」


「あ、えと、これは、こうすると落ち着くんです。箸置きみたいな」


「やっぱり浜田さん、おかしい!」


 瑞穂と笑いあった。


『ドンピシャ!ばっちり映ってるよ』


『りょ。つぎのしじをまつ』


「りょ」とは、了解の略だ。

 吾妻は、行儀よくキャストと談笑している。そこそこ品のある奴らしい。飲んでいる茶色のドリンクは、ウイスキーのオンザロックだろうか。


「ユラちゃんが気になるんです?」


「えっ?」


「浜田さん、さっきから、チラチラ見てるから。気になってるのかなーなんて」


 瑞穂が、拗ねるような素振りで、いたずらっぽく言った。ユラとは、吾妻についているキャストのことか。


「え?あ、いや!その、瑞穂ちゃんと対照的な子で、おもしろいなーなんて」


「本当はユラちゃんがいいんでしょ。あたしじゃなくて。いいですよーだ」


「ちちち違いますって!」


 何だかムキになって否定してしまった。それを見て、瑞穂はクスクスと笑う。


「浜田さんって、何か可愛いですね」


 瑞穂が、僕の目を見て言う。ドキッとした。


「ユラちゃんは、いつもあのお客さんがずっとリクエストしてるから、浜田さんにはつきませんからね。残念でした」


「だから、別に何とも思ってないですってば!」


 リクエストとは、いわゆる場内指名のような、ガールズバーのシステムだ。通常はある程度の時間を見て、店側は客についているキャストをローテーションさせる。しかし客がそのキャストを気に入った場合、自分の元に留まらせ、接客を続けてもらうことができる。これがリクエストだ。もちろん、料金はかかる。相場は、一時間で千円程度だろうか。

 吾妻は、毎度店に来てから帰るまで、ずっとあのユラというキャストを指名しているらしい。吾妻がこの店に通い詰める目的は、あのユラで間違いない。よし、攻めてみよう。リリィの指示を待つだけじゃなくて、できることをしてみなければ。聞いてみるんだ。


「結構長く、あの……あちらさんは通ってらっしゃるんですか?」


「うん、あの方、吾妻さん……ユラちゃん目当てで、もう半年は来てくれてるかも」


 ブレンダを畳む前から来ていたのか。


「へぇ、僕も、それくらい常連にならなくちゃ……」


「誰を目当てにですか?」


 ジンライムを一気に飲み干した。酒よ、僕に力を与えてくれ。


「み、瑞穂ちゃん」


 言ったぞ。するとまた、瑞穂がカウンターから身を乗り出して、僕の耳元で囁いた。


「仕事終わったら、電話できますか?」


 ガールズバーだろう。ここはキャバクラじゃないんだ。キャストが客を勘違いさせる必要なんてないはずだ。営業だってしなくてもいいはずだ。僕とこの娘はキャストと客だ。それ以上でも以下でもない。何があるって言うんだ。


「ぼ、僕は大丈夫ですけど……」


「0時には終わるんで、電話しますね」


 人生で初の、女の子から受けたアプローチ。社交辞令だろう。そうに決まっている。


「何か飲みます?」


 空いた僕のグラスを見て、瑞穂が聞いてきた。


「何にしようかな……」


「ショートカクテルとか、作りましょうか?」


 カクテルなんて、全くわからない。


「あの、すみません、僕はあまりお酒に詳しくなくて。瑞穂ちゃんのおすすめがあれば、お願いしていいかな」


 正直に白状した。


「わかりました!じゃあ、少しだけ待っててください」


 瑞穂は得意気に、準備を始めた。その隙に、こっそりリリィにメッセージを打った。


『あがつまは、はんとしまえからかよってます。おきにいりのこがいます』


『いいね、その調子。突っ込み過ぎんなよ!』


「ジンとライム、好きですよね?」


「はい、最近よく飲んでます」


「よ〜し、じゃあ」


 瑞穂は、シェイカーにジンとライムジュースを注ぎ、華麗にシェイクして見せた。なかなか様になっている。よく冷やした小さなショートグラスに、シェイカーから、混ぜ合わせられたカクテルを注ぐ。グラスいっぱいの所で、シェイカーから注がれるカクテルがピタリと止まった。ライムのスライスを添えて、グラスをコースターに乗せてから、僕の前に差し出してくれた。


「ギムレットです」


 これが、ショートカクテルのギムレットか。


「ジンライムと変わらないんですよ。シェイクするか、しないかの違いです」


 確かに、どちらも材料はジンとライムジュース。氷を入れたグラスに、それぞれを注いだものがジンライム。シェイカーでそれぞれを混ぜ合わせてから注いだものが、ギムレットだ。

 視界の隅で、吾妻が立ち上がり、歩き出した。店の外にある、この階のビル共用のトイレに行くらしい。

 ギムレットを一口、飲んでみた。ジンライムよりも、ジンのアルコール臭さがない。氷がない分、スルスルと口に入って来て、一気にグラスの半分ほど飲み干してしまった。


「……うまい」


「そうそう、ショートカクテルは、飲み干してくださいね。ぬるくなっちゃうと、残念なので」


 なるほど。確かに、冷えているうちに飲まないともったいない。だが、そんなに勢いよく飲むと、酔いが早く回りそうだ。ギムレットを飲みながら、ピースを吸う。瑞穂は、黙って僕を見守ってくれている。喋る時は喋る、黙る時は黙る。この押し引きができる女の子は、とても素敵に思える。


 吾妻が、帰って来ない。もしや、逃げられたのだろうか。僕の素性がバレたのか。

 トイレで酔い潰れるほど、飲んではいないはずだ。


「ちょっと、見てくるね」


 ユラが、瑞穂にそう告げて出ていった。

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