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19:15。
吾妻は、小さな通りへ入って行く。この時間、ススキノの人混みの多さは尋常ではない。歩行者を避けながら、それでいて自然に、吾妻と同じ方向へ進まなくてはならない。早過ぎても、遅過ぎてもダメだ。付かず、離れず。
ここは、南六条西三丁目辺りだろうか。札幌の街並みは京都と同じように、碁盤の目のように作られている。札幌市内を横断する大通公園を基点に南北、同じく縦断する創成川を基点に東西に分け、南北は「条」、東西は「丁目」と数える。このうち、ススキノの範囲は一般的に、南北は南四条から南六条まで、東西は西二丁目から西六丁目までの一帯とされている。地図上には「ススキノ」という正式な地名は存在せず、あくまで通称なのだ。今、僕が吾妻を追って歩くこの辺りは、ススキノの中でも南東の辺りということになる。
吾妻は四階建ての小さなビルに入り、これまた小さなエレベーターに、一人で乗り込んだ。エレベーターの扉が閉まったのを確認し、走って僕もエレベーターの前に向かう。エレベーターは、三階で止まった。すぐにテナントの看板を確認する。三階は、ガールズバー「シックス」。吾妻が向かった先は、何とガールズバーだった。美奈とメンワリ婆さんの情報から、吾妻はキャストやホステスのいる店は利用していないと予想していたが、間違いだった。
メンワリ婆さんは、吾妻が同伴やアフターで女を連れているのを見たことがないと言っていたが、当然だ。ガールズバーには、基本的に同伴やアフターのシステムはない。キャストはノルマをこなす必要がなく、飲み物を作りながら、カウンター越しに話し相手になるだけで、猛烈な営業もしない。会計も、千円そこらのチャージと、自分が飲んだもの、キャストに飲ませたものの合計に、サービス料がわずかに乗る程度。小一時間でサッと帰れば、五千円でお釣りが来る。吾妻は、その安さと気楽さを求めて通っているのだろうか。
その時、スマートフォンが振動した。
『カメラあるから、外出て』
──!?──
心臓が口から出そうになるのを我慢しながら、そのままスマートフォンをいじるフリをして、ゆっくりとビルの外に出る。すると、リリィがいた。いつの間にか、僕に追い付いていたのだ。
「カ、カメラって……」
僕はヘマをしたのではないかと思い、泣きそうな声で聞いた。
「ちゃうちゃう、普通の防犯カメラ。別に吾妻が見てるわけじゃなくて。ただ、カメラの前で怪しくしてるのもなんでしょ!」
「脅かさないでくださいよ……」
「コーカク、様になってたよ」
ビルから少し離れ、打ち合わせる。リリィが源介に電話で状況の説明をし、これからの指示を受けた。このまま吾妻が店を出るのを待ってもいいが、やはり店内で何をしているのかを、把握しておきたいとのこと。吾妻が返済を渋った時に、「でも遊ぶ金は持ってるじゃねーか」と揺さぶるネタにする為だ。予定通り、僕が一人で潜入することになった。リリィは外で張り込む。
「くれぐれも自然な客のフリしてね」
「……やってみます」
「よし、行ってこい!」
リリィが僕の背中を叩いた。全身に快感の電撃が走る。もう否定はしない。僕は変態だ。深呼吸をしながら、エレベーターで三階へ向かう。
──僕はできる僕はできる僕はできる……──
エレベーターの扉が開くと、すぐ目の前にシックスの入口があった。重たいドアを開けて、恐る恐る中に入る。店内は意外に明るく、両サイドにカウンターがある。左右それぞれに10人ずつくらいは座れそうだ。白黒の市松模様のタイル床に、カウンターとスツールは派手な赤色で揃えられ、入口から正面に見える壁には、オンラインのダーツゲームがある。
キャスト達は、バーテンダーらしく黒のベストと白のブラウスを着てはいるが、胸元を大きく開けており、それぞれ違ったカラフルな下着が覗いている。キャストは左に四人、右に三人。それに対して客は、左に三人、右に二人。客よりもキャストが多い。右のカウンターの一番奥に、吾妻がいた。
「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」
スタッフの男性の問いかけに対して頷くと、右のカウンターの真ん中の席に案内された。これでこのカウンターには、向かって左端が吾妻、離れて真ん中に僕、また離れて右端に別の客、合計三人が座っていることになる。キャストは、ちょうど三人なので、それぞれマンツーマンで相手がいることになる。繁忙時は、キャストの数が足りなくなるので、こうはいかないこともある。
「こんにちは!何飲みますか?」
僕の前についたキャストが、笑顔でオーダーを聞いて来た。20代前半か。黒過ぎない小麦色の肌と明るめの茶髪で、世間一般ではギャルと呼ばれるカテゴリーの人なのだが、とても清潔感がある。パッチリ二重の大きな目は、メイクに頼らずとも元々のものだろう。逆毛を立てた、高さのある大きなサイドテールと、左右に分けられたあご下までの長い前髪が、小さな顔によく似合っている。スレンダーな体型の為か、胸の方は、大和撫子のようだ。
80点。
何を観察している。今は吾妻だろう。気を取り直して、僕はオーダーした。
「じゃあ、ジンライムを」
もはや定番になりつつある。一瞬迷ったが、自然さを演出したかったので、この|子にも付き合ってもらうことにした。
「お、お姉さんは、な、何を飲みますか?」
相変わらず、女の子と話すのが苦手過ぎる。何だその言い方は。キモいだろう。しっかりしろ。
「えっ、いいんですか!じゃ〜いただきます!」
ここではうるさくジンの種類を聞かれなかった。バーのように見せかけてはいるが、そんな所がやはりガールズバーなのだろう。僕にとっては、その方が敷居が低くて気が楽だ。
彼女はキビキビと手際よく動き、ドリンクを作る。僕の小さなグラスと、彼女の細長いグラス。それぞれにたっぷりと氷を入れて、ジンを注ぐ。ジンの白いラベルには、「ウィルキンソン」の文字が見えた。次に、僕のグラスにライムジュース、彼女の細長いグラスにはトニックウォーターを加え、マドラーをゆっくりと差し入れて半回転、そっと引き抜く。最後に、切ったライムを両方のグラスに添えた。なるほど、彼女のが、ジントニックか。
僕はジンライム、彼女はジントニックで、乾杯した。緊張で味が全くわからない。
吾妻は、キャストと楽しそうに、意外に静かに、大人しく飲んでいる。会話の内容は、店内のBGMがやや大きく、ギリギリ聞き取れない。
「今日は、お仕事帰りなんです?」
「あ、えっと、今も仕事中っていうか」
言いかけて自らの頬を平手打ちした。
「じゃなくて、休みです」
彼女は、僕の奇妙な動きを見て、笑った。
「え〜何だったの今の!?」
「何でもないです!」
くそっ。これでは吾妻の近くで、ただ女の子と酒を飲んでいるだけではないか。カウンターの下で、素早くリリィにメッセージを飛ばす。
『あがつまおとなしくのんでます』
漢字や、句読点を使う余裕はない。
『その調子だ、頑張りたまえ』
何をどう頑張れと言うのだ。落ち着く為に、ジンを飲もうとグラスに向き直った時に、彼女と目が合った。ニコリと笑う。なかなか可愛い。つい、目を逸らしてしまった。
「あ、あの。今日は何時からお仕事してるんですか?」
「ついさっきからですよ。なので元気です!これからって感じですね」
全くおもしろくない僕の質問に、前向きな感じの返しをしてくれる。さすがプロだ。僕も見習わなくては。
「大変ですよね、夜遅いお仕事で」
「いえ、もう昼夜逆転してますから大丈夫。今が朝ですから」
「そうなんですか」
「明日は早いんですか?」
「あ……全くわからないや」
僕の明日のスケジュールは、今日のこれからの成り行きに左右される。探偵や何でも屋っていうのは、大変なんだと今更思い知った。
「もしかして、ご自身で商売なさってるとか?違ったらごめんなさい!」
「あ……いえそんな。っていうか、まぁ、正解です」
すると、彼女はカウンターから身を乗り出すようにして、僕に顔を近付けて、小声で言った。
「見た目イカついのに、真面目そうですね」
彼女の息が、少しだけ僕の顔にかかった。
「あ、あぁ、よく言われるかも……」
98点。
違う。吾妻だ。依頼だ。吾妻ふざけんなこの野郎。
「あの、そうだ、よかったらこれ」
僕は、源介の名刺を一枚取り出して、彼女に渡した。
「ハマダ……ゲンスケさん。えっ!すごい!探」
「ジンライムおかわりッ!!」
危機一髪だった。周りが、僕の方を見る。吾妻も、チラリとこちらを見た。頭を押さえて、全方向に笑顔で会釈してから、彼女の方へ向き直る。彼女は、僕の大声に驚きはしたが、相変わらず笑ってくれている。
「し〜!です!し〜!!」
指を口の前にして、小声で、しかし強く言ってみせた。
「し〜!」
彼女も、笑顔で真似をした。ノリがいい娘なので、助かった。余計なことをしなければよかった。危ない危ない。
「浜田さん、おもしろい!」
彼女の胸元から、黒い下着が照れながら僕に挨拶している。僕はどうしたらいいんだ。




