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 18:30。


 特にあれから二日酔いにはならずに、僕は一人で、ススキノのとあるバーに来ている。今日は、リリィと僕とで二手に分かれての張り込みだ。リリィは、すすきの駅三番出口から道路を挟んだ正面の喫茶店。僕は、吾妻が進むと思われる方向の、十字路交差点沿いの角にあるビル。その二階に入っているダイニングバー。どちらの店も、窓際から通りをよく見ることができる。それぞれの張り込み場所は、お互い50メートルほど離れているだろうか。

 リリィは吾妻を発見したら、僕に連絡してから尾行を開始する。僕はリリィからの連絡を受け、改めて吾妻を確認し、同じく尾行を開始する予定だ。吾妻が入る店には、客を装って僕が入る。どのような業態の店でも、男である僕なら入りやすいが、万が一ニュークラなどの店だと、外見がまんま女性のリリィでは、一人で入るのが不自然で目立ってしまうからだ。なのでリリィは外で張り込み、店から出た吾妻を捕捉し、僕も後から店を出て、挟み撃ちにするという作戦だ。


 当初は、自宅を突き止めてから取り立てる予定であったが、源介の指示で方法を変更した。恐らく、一度で80万ほどの大金を全額回収するのは無理なので、今日は挨拶がてら、少額でよいので必ず取り立てて帰る。油断しきっているであろう、店から出た帰り際を狙う。吾妻の住所も連絡先も、嘘を言わせずに聴取する。逃げられないように、いくつかのネタで釘も刺しておく。そして、完済するまで、何日でもしつこく本人、及び関係先への電話と訪問を繰り返す。次回以降の取り立ては、僕達以外の誰が行ってもよい。これが、個人間での金銭の取り立てで、一番効果があるやり方なのだそうだ。なかなかえげつない。

 しかし、色々と法律などが難しく、やってはいけないことを細かく把握していないと、逆にこちらの立場が危うくもなる。例えば、脅すような文句は禁止。経験と根気、胆力も求められる。なので今日は取り立ては、リリィが行う。僕は見学と、見張りだ。


 リリィとの連絡は、スマートフォンを使用したチャットで行う。通話は、緊急の時のみ。電話をしている動作をなるべく見せたくないことと、外にいると自然に自分の声が大きくなり、声が周りに聞こえてしまうのが良くない。イヤホンマイクを使うのも、逆にかえって目立つ。チャットならば、メールやネットをしていると見せかけることができる。

 Y社、W社のWi-Fiルーター、チャット用のスマートフォン、通話用の折り畳みPHS、充電用のバッテリー。通信機器だけでかなりの荷物だ。


 初めての単独行動なので、緊張する。ダイニングバーにいるのに、ソフトドリンクだけで粘るのは不自然な気がするし、緊張を解く為にも、少しお酒を引っ掛けたくなった。どれだけここに居ることになるかわからないので、一杯で長く時間をかけられるものがいい。僕は、思い出した。


「すみません、ジンライムをください」


「かしこまりました、ジンにお好みはございますか?」


 出た。椿屋珈琲でもそうだったが、コーヒーならコーヒー、ジンならジンでいいじゃないか。面倒くさい、正直何でもいい。僕は違いのわからない男。慌ててメニューを覗くと、ジンの品揃えにヘンドリックスは見当たらなかったが、「タンカレー」と書かれているのが目に入った。カレーみたいで変な名前だ。


「タ、タンカレーでお願いします……」


「かしこまりました」


 スタッフが、ジンライムと水、小鉢にわずかに盛られたカシューナッツを持って来てくれた。このよく酒と一緒に出てくる水は、皆「チェイサー」と呼ぶけれど、それはなぜなんだろうか。「お(ひや)」じゃダメなんだろうか。

 さっそく一口舐めてみる。昨日飲んだヘンドリックスとはまた違う気がするが、香りが強い。気分が落ち着く。カレーの風味は一切しなかった。


『緊張してんの?』


 リリィからのメッセージだ。


『はい、緊張してます』


『少しだけ飲んでな。酔っ払うなよ!』


『はい、そうします』


 申し訳ないが、もう飲んでいる。


 昼間は、リリィから護身術の基礎を学んだ。拳の握り方、構え方など、本当に触りだけだ。一朝一夕で身に付くようなものではないので、これから時間をかけて、少しずつ教えてくれるらしい。

 もし万が一今夜、格闘になってしまったら、全力で逃げろと言われた。もちろん、そのつもりだ。ろくに喧嘩慣れしていない人間が一か八かで手を出してみても、怪我をするだけなのは僕だってわかる。しかしやむを得ず、揉み合いになってしまった時、臆病な僕でも取れる攻撃手段として、リリィが教えてくれたこと。


 ①.髪を全力で引っ張る。

 ②.耳を全力で引っ張る。

 ③.指を全力で捻る。


 これらが比較的簡単に実行できて、なおかつ相手への痛みも大きいのだそうだ。本当だろうか。いずれも、逃げるための隙を作るのが目的であって、倒す必要はない。また、殴る時は、頭や額を殴らないこと。自分の拳が簡単に折れてしまうからだ。だからと言って顔面の中心部や下の方を狙うと、今度は歯が刺さることもある。上手に殴るということは、とても技術がいることなのだそうだ。

 そして、大原則として、ビビらないこと。気持ちで負けてしまうことは、イコール喧嘩に負けるということである。怖くても痛くても、素人相手なら大抵は大丈夫だから、とにかくビビるなとのこと。確かにこの今の僕の体だって、色々理由はあるにしても、ビルから落ちたのに二週間で退院できている。何だかんだ言って、人間は結構丈夫なのである。


 19:07。


 ジンライムを飲み終えて、二本目のピースに火を着けようとしたその時。スマートフォンが振動した。


『コーカクはじめる』


 コーカク。行動確認、略して行確。つまり、尾行のことだ。吾妻を見つけたらしい。二日目で捕捉。思ったより早かった。胸が高鳴り、手のひらにジワリと汗がにじむ。急いで先に会計を済ませ、窓からリリィと、吾妻の姿を探した。


『黒麻ジャケット、白めスラックス、茶セカンドバッグ』


 リリィが尾行しながら、急いで吾妻の特徴を伝えて来た。いた。オールバックの髪、メッセージ通りの服装、身長の高い、写真で見たあの男。吾妻だ。歩くその姿はふてぶてしく見え、何やら態度が大きく感じられる。ジャケットはダブル、セカンドバッグのせいもあってか、真面目なサラリーマンにはとても見えなかった。


 ──あれを尾行すんのか!?──


 一気に憂鬱感が襲って来たが、自然と体は動き出していた。リリィが心配だったからかも知れない。リリィの姿は見えない。完全に身を隠しながら、一定の距離を保ち、尾行しているのだろう。十字路交差点の信号が赤になり、吾妻や他の大勢の歩行者が立ち止まる。


 ──今だ!──


 店を飛び出し、人が並んでいるエレベーターを無視して、一気に階段を駆け下りる。出口付近で勢いを抑え、なに食わぬ顔で、ゆっくりと外に出て見せる。視界の隅に吾妻を捉えながら、左手をポケットに入れて、明後日の方角を見ているフリをした。右手で、リリィに返信する。


『捕捉、コーカクします』


 信号が青に変わり、歩行者が一斉に交錯するが、惑わされてはいけない。僕の視界の左から右へ、今、確かに吾妻が歩いていく。足が震えた。吾妻に見つからないように、僕も歩き出した。


 奇妙な気分になって来た。確かに僕は今、緊張と不安に押し潰されそうになっている。しかし、何やら、少しずつだが、別の感情も湧き出て来ている。



 楽しいのだ。



 不謹慎かも知れない。酒が少し入っているからかも知れない。ニュークラの経営者として大金をやりくりし、ああして威圧的な風体をした、自分よりも遥かに年上の男。そんな男が、この僕に、気付かずにマヌケにも尾行されている。おかしかった。愉快で仕方なかった。

 写真や窓から吾妻を見たときは、背が高いという印象が強かったが、こうして近くで観察すると、そこまで大きくもないと感じた。このような感覚は、源介と入れ替わってからよくある感覚だった。源介の体が、元の僕の体よりも目線が高いからだろう。奴はスリムで、全く肉厚ではない。腕力もそこまであるように見えない。決してやりはしないが、今の僕なら、もしかしたら吾妻を組み伏せることができるかも知れない。

 吾妻は、大人しく美奈の給料を払うことを、約束するだろうか。約束しなかったとして、実力行使に及んだ際、リリィは腕力で吾妻に勝てるだろうか。吾妻が格闘技の経験者でなければ、リリィが恐らく勝つだろう。最悪でも、僕とリリィでの二人がかりならばまず負けることはない。

 いや、そうはならないだろう。まずはお互い大人同士、話し合うだけだ。僕は、とにかくこの尾行を予定通り成功させれば良いのだ。できなくない。むしろ、簡単なのではないか。少しずつ、不安が薄らいでいく。緊張は相変わらず。

 ラーメン、ジンギスカン、焼鳥などの様々な匂いが混ざり合う中、人と人の隙間を縫うようにして歩き、僕は静かに吾妻の後を追った。


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