44.呼び声と旅立ち
以前は真っ暗な空間だったそこには、光が満ちていた。そこを、かすかな気配を頼りにフェリスは歩いていた。
霊子はどこへ行ったのか姿が見えない。
(前は、暗闇だった……)
この光は、リオンの光力だ。リオンが、世界の闇を浄化してくれている。
まばゆい光。その中に、小さな人影が浮かんだ。
(あの子だわ……)
地面に倒れている、十歳ほどの子供。魔王の本当の姿。
駆け寄り、ぐったりとしたその身体を抱き起こす。うつろな瞳が、フェリスをとらえた。
「大丈夫? どこか、痛いところない?」
「ぼく……うご、ける……?」
彼の腕が持ち上げられる。その手をにぎり、そうよと返す。
信じられないというような表情。そして、そのまぶたがくしゃりと歪んだ。
ぽろぽろとあふれ出した雫が、いたいけなほおを濡らす。
「もういいの、もう苦しまなくて良いのよ。全部終わったの」
「もう、重くならない? 痛く、苦しくならない……?」
「ええ」
額をなで、聖力を注ぎ込む。ぐったりした様子だったほおに赤みが差した。フェリスの手をにぎり返して来る。
ゆっくりと身体を起こした彼を、胸に抱き締めた。
「ずっと一人で頑張っていたのよね。ありがとう」
「でもぼく……痛くて、苦しくて、だからたくさん暴れて……」
「うん。でももういいの。もう、そういうのは終わりよ。解放されていいのよ」
その小さな頭をなでる。
この世界がずっと戦ってきたのは、世界自身が生み出した闇だった。その闇を一身に引き受け、どんなに辛かったか。
その苦しみは、おそらく想像を絶するだろう。魔王がフェリスを残虐な方法で殺すよりも酷いはずだ。どんなに残虐でも殺されるということは、いつか終わりが来るのだから。
その終わりすら与えられず、ずっと……。
(この小さな肩に全部背負わされて……ううん、全身押し潰されて……)
もうそれは終わりだ。
世界の闇は、世界全てで負うものだ。それがこれまでになかった争いを生むとしても。
「それに……」
視線を上げる。そこに、青白い人影が浮かんだ。
半透明の身体に色彩が戻り、いつも陰鬱だった瞳に光が宿った。
真っ直ぐな瞳と薔薇色のほお、ゆるくほほ笑んだ口元は、想像よりずっと快活そうだ。
胸が熱くなる。
「あなたとの約束も、果たせそうよ」
本当の名前は知らない。
ずっと魔王城にいるみたいだとマオは言っていた。
魔王にその意識があったかどうかはわからない。おそらく、そうだと認識はしていなかったのだろう。
だけどずっと、側にいたのだ。そして、彼女は自分の息子の居場所を、正しく察知していた。フェリスの胸を、そして復活した魔王の胸を気にしていたのはそういう理由だったのだ。
「ママ……!」
少年のほおがきゅっと上がった。瞳が輝く。
ぱっと立ち上がって駆け出した少年を、膝を突き腕を広げた母親が抱き止めた。
母の胸に抱かれて泣いている少年も、愛しそうに彼を見つめる母親も笑顔だ。
やがて、少年の手を取り母親が立ち上がった。
「フェリス、ありがとう」
「うん……」
なにも言葉が出てこない。ただ見つめ合う。
「この子は、わたしが連れて行くわ。ずっと、そうしたかった」
「えっ……?」
それは、どういう意味なのだろう。
すでに死者である彼女が連れて行くというのは……。
「戻っても、苦しむだけなの。だから、次の命に……」
「そう……そっか……」
世界の闇を一身に背負わされて苦しんだ記憶、魔王として人々を蹂躙していた記憶は、たしかに彼を苛むかもしれない。
母親として、我が子を苦しませたいわけがない。
「新しく、やり直すのね」
マオが言っていた、転生というやつなのだろう。
母親と一緒なら、きっと安心だ。今度こそ、ありったけの幸せを享受して欲しい。
「わかった。祝福するわ」
そっと二人に歩み寄り、まず母親にほおを寄せた。抱きしめ、祝福の聖力を注ぐ。
そして、少年へ。膝を突き、同じように抱きしめた。聖力を注ぐと、嬉しそうに彼がほほ笑む。
少年の腕が、フェリスの背に回った。
「あのね、お願いがあるの……」
少年の唇が、フェリスの耳元に寄せられた。発せられたその内容に、つい目を丸くしてしまう。
思わず母親を見上げると、彼女は小さく笑って頷いた。
フェリスに拒む理由はない。
「いいわよ。また、会える日を楽しみにしているわ」
彼の髪をなでると、にっこり笑った少年がフェリスから離れた。
二人の頭上に、黄金の光の柱が降りて来る。リオンが届けてくれている光力だ。
光がどんどん二人を包んでいく。
「あの、ね。フェリス。マオを、呼んだのは、わたし」
「えっ⁉︎」
「違う世界から、呼んだの。助けてって。私の息子を助けて欲しいって。彼は助けてくれたの。だってここにあなたが来てくれたから」
「そういうことだったの⁉︎」
驚いたが、妙に納得出来た。
幽霊だった彼女が、同じく幽霊になっていたマオをこの世界へ呼んだのだ。
マオが来たことで、魔王という闇を背負った息子の魂は身体から弾き出された。
それから起こったことは、今この瞬間のためにあったのだ。
「だから、ありがとうって……」
「うん。マオくんにちゃんと、伝えるわ」
「マオは、あっち」
母親がフェリスの真後ろを指差した。
そうして、手を繋ぎ親子で視線を合わせ抱き合いながら——光力の中へと溶け込んで消えて行った。
そう遠くない未来、彼らの魂とはきっとまた出会う。ただ今は、しばしの別れだ。
ふり返る。母親が言っていたように、遠くに人影が見える。
その人影は、光力に照らされてまるで地面の模様かのように力なく倒れていた。
「————ッ、マオくん‼︎」
純粋な意識として魔王の中に入っているフェリスが、間違うはずがない。
駆け寄ったその人影は、マオだった。
魔王とは、ずいぶん姿が違う。フェリスがドキドキしていた美青年の顔ではない。
少し薄めの、なんの特徴もない地味な顔だ。だけどわかる。彼はマオだ。
「マオくん! 無事⁉︎」
ひざを突いて、うつ伏せに倒れているその人物の背をゆっくりとなでる。
すう……と大きく背中が動いた。
「ん……」
「マオくん!」
うっすらと瞳を開いたマオの背に、思わずほおを押し付ける。
触れたほおや手から、自然と聖力がマオへと流れた。
「ふぇ、フェリス⁉︎」
意識がはっきりしたのだろう、マオががばりと身体を起こした。押し上げられ身を起こしたフェリスは、そのままマオに抱きついた。
マオがいる。彼は、ちゃんと存在していた。そして、最後まで自分を守ってくれた。
「フェリス、僕、この姿はその……前世の」
「うん」
ほおを寄せた。あたたかい。
「えーと、その、全然姿が違う、んだけど……」
「ちゃんとわかるわ! わたしが好きになったのは、あなたよ。マオくんの魂を間違ったりしないわ!」
「えーっと……あれ? 魔王の顔が格好良すぎるっていつも……」
「ええ。でも、それとマオくんは関係ないでしょ?」
なにを言っているのだろう。マオは、どんな姿でもマオに違いないのに。
そっとマオの顔を覗き込む。魔王とは違う、茶色い瞳。しかし、そこに宿る光は同じだ。
「マオくん、一緒に帰りましょう。みんなのところへ」
「フェリス……!」
一瞬マオの瞳が揺れ、その両腕がフェリスを抱きしめた。その強さに、胸の鼓動が跳ねる。
「ずっと守ってくれてありがとう、マオくん」
「僕こそ……助けてくれてありがとう、フェリス」
瞳を合わせ、笑みを交わす。
頭上から眩しい光が差した。リオンの光力が、帰り道を示している。
どんどん強くなる光の中、自然と二人の唇が触れ合い、瞳を閉じた。
身体中に幸せが満ちる。まるで溶けてしまったかのように自分とマオの境目がわからなくなって行く。
どれくらいの時間が経ったのだろう。それは一瞬のようでもあり、永遠のようでもあった。
身体の重みが戻り、瞳を開く。
目の前には、大人マオが立っていた。リオンの光力は消えている。
「マオくん……!」
「フェリス、僕、戻って、来たんだ……!」
「そうよ!」
魔王だったあの子が去った身体。そこにマオが戻ったのだ。
思わず抱きつこうとして、それは出来なかった。
「マオくん、角が……!」
「えっ⁉︎ あ、あれ⁉︎」
魔王の証である角。それが淡い光を発しながら空気に溶けて行く。
角をつかもうとしたマオの指は、角をすり抜けた。
ぱんっと光が弾け、角が消え去る。角が生えていた箇所には、元からそうだったように漆黒の髪が生えていた。
マオの頭からは、角があった痕跡ごと無くなっていたのだ。
「魔王が解放されたのね」
「そっか」
マオはもう魔王ではないのだ。これから先は、マオはマオとして生きて行ける。
思わず、お互いの手と手をにぎり合う。
その時、背後でどさりと重い音がした。
「ッ、リオン!」
「うう……」
そこには、腕から血を流したリオンが倒れている。
「フェリス、リオンを!」
「うん!」
慌ててリオンの側に膝を突き、聖力を注ぎ込む。腕の傷は、それで綺麗に塞がった。
しかし、光力を解放したリオンは疲労困憊の様子だ。起きあがろうともがくものの、上手く立てないでいる。
「リオン、無理しないで。ありがとう、あなたのおかげで魔王も解放されたし、マオくんが戻れたわ」
「ああ。良かった……」
「ほら、つかまれよ」
歩み寄ってきたガルドが、リオンに肩を貸す。
「魔王は、この勇者リオンが討ち取った。……そういうことで、良いか?」
「ええ。本当にありがとう」
ガルドごと、リオンを抱きしめる。やっぱりリオンは正義の勇者だ。
「おおお姉さまぁぁぁぁ」
騒々しい泣き声が突進して来た。ミリアだ。勢い良くフェリスの背中に縋り付いたせいで、ガルドとリオンがふらつく。
「ミリア。頑張ってくれて本当にありがとう。立派だったわ」
ミリアに向き直り、しっかりと抱きしめる。その背をなでながら、ミリアごしにマオとほほ笑み合った。
「辛い思いさせちゃったわね」
「んんんんお姉さまが戻って来てならよよよ良かっ……おお姉さまはわたしの! お姉さまだからぁぁぁ」
「うん」
よしよしと頭をなでる。
きっと表に出さないだけで、リオンもガルドも辛い思いをしたはずだ。
それなのに、それを全うしようとしていた意志と胆力はさすがだ。
「マオっち〜! もう会えないかと思ったぁ」
「よ、ヨカった……! 魔王サ……えっと、マオさん……と、フェリスさん、ヨカッタ!」
「ばんざーい!」
ベル、メメ、リリーの声が背後からする。みんな元気そうだ。
本当に良かった。
背後から、リオンの声がフェリスを呼んだ。そっとミリアを促し、身体を離す。
リオンへと向き直った。
「王都に、帰るだろ?」
内容とは裏腹に、リオンは少し寂しそうに瞳を伏せている。
フェリスの答えなど、彼は百も承知なのだ。
それなのに聞いてくれたのだから、ちゃんと答えなければ。
「いいえ、帰らないわ」
フェリスの肩に、ベルが舞い降りた。すすっとフェリスの横に来たリリーが抱きついて来る。
メメはその横でひとつ目をぱちぱちと瞬かせ、フェリスの後ろに歩み寄ったマオが、リリーごとフェリスを抱き締めた。
「家族が出来たの」
「そうか」
リオンが笑った。少しだけ寂しそうに、それでも晴れ晴れとした顔で。
「フェリス様が幸せなら、俺たちも嬉しいよ」
* * *




