33.違う結末を
「ここで、待ちましょうか」
王都からほど近い丘の上の平原にマオが降り立ち、フェリスを降ろした。
丘の上からは、下に広がる森と、その向こうに栄えるきらびやかな聖クリスティア王国の王都を一望出来る。
かつて暮らしていたその場所を見下ろす。そこでの生活は、驚くほどなにも思い出せない。
「直接王都に行ったって良いのよ」
「でも、リオンたちがいると復讐は邪魔されちゃうでしょ? なら、先に倒した方が良くないですか?」
小さく首を傾げたマオが、フェリスを覗き込む。その瞳が優しげに細められ、鼓動が跳ねた。まだマオの甘さに慣れていない。
「リオンなら、フェリスの気配を察知してすぐ来るんじゃないかな」
「そ、そうかもしれないわね……」
リオンは、フェリスを心配してか仕事の邪魔をよくしに来ていた。仕事の手を止めさせては、やれ昼食だやれ休暇だとフェリスを引っ張って行く。
リオンに見つからないようにと居場所をあちこち変えても、なぜだかすぐに見つけられていた。
今思えば、あれも勇者の能力だったのだろう。
「じゃ、待ってる間に腹ごしらえでもしましょ」
にこりと笑ったマオが、手に持っていたバスケットを地面に下ろし自分も座る。
頷いて、フェリスも羽織っていた外套を下にし、隣に座った。
腹が減ってはなんとやらだからと、出発前にマオはスイーツ作りをしていた。
子供姿でちょこまかとスイーツを作るマオは、本当に楽しそうだった。これから恐怖をふり撒く魔王とは思えない、きらきらした瞳。
そのマオが作ってくれたスイーツは、フェリスのために作ってくれたものなのだ。
バスケットの中には、クッキーとマカロン、そして一口大のバターケーキが並んでいる。
「美味しそう!」
「うふふ、美味しいですよ〜」
そう言いながら、マオの指が薄いクッキーをつまみ上げる。その指に光るのは、蒼玉。フェリスの瞳の色の宝石。
「はい、あーん」
「そ、それここでもやるの⁉︎」
「もちろん! 推しがかわいい瞬間なので……まあフェリスはいつでもかわいいけど!」
「も、もう……!」
何度となく繰り返した会話。だけど、今は心持ちが全然違う。
恥ずかしいけど、同じくらい嬉しい。ほおが熱い。
「フェリス。はい、あーん」
「んっ……んんっ」
おそるおそるクッキーに歯を立てる。固いだろうと思ったそれは、さくりという軽い感触とともにいとも簡単に割れた。
しゃくしゃくと咀嚼すると、あっという間にバターの味が口の中に広がる。
「え、なにこれ……美味しい」
「えへへ、そうでしょう〜」
フェリスを見つめながらにこにこするマオに、フェリスのほおもゆるむ。
これからリオンたちと戦うとはいえ、まだ来ないで欲しいという気持ちがわいた。
「これは、前世ではラングトシャって言われてたもので……美味しいですよね」
「うん。新食感よ」
クッキーといえば、固いものだと思っていた。孤児院でごく稀に、シスターが作ってくれたクッキーは、少なくとも固かった。
それでも、ほんのりとしたバターの風味はご馳走だったものだ。
それなのに、こんなに軽くてバターの味も濃いクッキーなんて衝撃だ。
「えっと、マオくんも」
フェリスも、クッキーをつまんだ。それをマオの口元に差し出す。
美しい魔王が破顔した。
「今日が命日!」
「そんなに簡単に死なないで」
今からリオンたちと戦うというのに縁起でもない。
「えへへ、推しが尊すぎて……」
照れたように頭をかいたマオが、クッキーを噛んだ。しゃりっと割れたそれが、口の中へ入って行く。
「おいしい」
フェリスの手に残ったものも追加で食べ、次はマオがマカロンをつまみ上げる。
「はい、あーん」
「あ、ありがと……おいし……」
幸せな時間。
この時間がいつまでも続いて欲しい。だからこそ、リオンたちに打ち勝たなくては。
「こんな時間が続けば良いのになあ」
「ええ」
続けてマオがサーブしてくれたバターケーキを頬張る。
これが一番、バターの風味が強く、贅沢な味がしてフェリスのほおがますますゆるんだ。
「そしたら、こうやって毎日フェリスと美味しいスイーツ食べるんだ」
「そうしましょう。わたし、マオくんの作るスイーツ大好きよ」
マオにもバターケーキを差し出す。それを頬張って、マオがきらきらした瞳でフェリスを見つめた。
その視線に、胸が熱くなる。
「あの、それに、マオくんも……」
「僕もです」
交わった視線。自然と、お互いの手を取り合う。
大きな手の感触が、フェリスを包み込む。
真っ直ぐなマオの瞳が、熱と共に真剣な光を帯びた。
「あのさフェリス。もし、もし僕がリオンたちに勝てなかったら」
真紅の瞳が、切ない色を灯した。それに、胸がどくんと跳ねる。
「なに言ってるの!」
「もしもです。やられる気はないですけど、勇者補正がかかる可能性あるんで。もしその時は、フェリスは戦わないで逃げて」
「そんなこと言わないでよ!」
マオは、これからもフェリスの側にいてくれなければ。
もしもを急に目の前に突き出され、胸が締め付けられるように痛んだ。マオの手をぎゅっとにぎる。
「お願いフェリス。フェリスは、幸せにならなきゃだめなんだ。僕がこの世界に来た意味がなくなっちゃう。だから」
マオの腕がフェリスを抱きしめた。
胸が疼く。そんな悲しいことを聞きに来たわけではない。マオとの幸せな未来のために来たのだ。
新たな秩序を築き、幸せになるために。
それなのに。
(そんなの絶対にだめ。そんなことにはさせない)
勇者補正がなんだ。そんなものはないはずだ。この世界がゲームだというのはきっとマオの思い込み。マオは交通事故で頭を打っている。
もし、百歩譲ってゲームの話が本当でも、フェリスはそのストーリーからは外れている。勇者補正にも勝てるはずだ。
「マオくん、わたし、マオくんと幸せになりたいの。それに、魔王城のみんなと。家族だもの」
「そうだね。僕もです」
抱きしめる腕に力がこもる。それなのに、マオの瞳の色は、もの悲しいままだ。
「僕は、フェリスの幸せを望んでいる。本当は戦って欲しくない。なのに、僕がここに連れて来てしまったんです。これも補正なのかもしれない」
「違うわ、わたしがそう望んだから」
「でも。でも、連れて来ない選択肢だってあったのに。戦わせたくないって思いながら、連れて来ちゃったんだ」
フェリスを抱きしめるその腕は、まるで縋るようだった。胸が詰まる。
そっとマオに腕を回し、その背をなでた。
「フェリスになにかあったら、僕のせいだ。そんなの耐えられない」
マオは、フェリスを意に反してここへ連れて来たということなのだろう。そのことに、彼は怯えている。
「マオくん、大丈夫。これはゲームなんかじゃないわ」
「————……」
「もしそうでも、マオくんが知ってる内容と違うんでしょ? なら、結末も違うのよ」
「そう、ですよね」
小さく吐かれた息が、フェリスの耳朶をかすめた。
「一緒に幸せになりましょ」
「はい」
マオの低い声が鼓膜を震わせた瞬間、彼の瞳が見開かれた。身体をさっと離し立ち上がると、フェリスの前に出る。
はっとしてフェリスが立ち上がろうとした瞬間、遠くから炎が放たれたのが見えた。
マオの前に闇が集まり、障壁を形成する。瞬間、炎が闇に激突して燃え上がった。
「‼︎ 熱っ‼︎」
熱風が吹き付ける。それに気づいたマオが、庇うようにフェリスの身体を抱き寄せた。
炎が消えると、マオが闇に包まれた。闇が圧縮され、中から子供マオがあらわれる。
「こっちの方が楽だから」
「うん」
マオが腰からペンライトを一本抜き、フェリスに手渡す。これがフェリスの杖だ。
闇の障壁が消えると、その向こうから三つの人影がこちらへ歩いて来るのが見えた。
その先頭を歩くのは、聖剣を手にした金髪の青年。
とうとう、この時がやってきたのだ。復讐の時が。




