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32.新しい秩序

 なんだか心が浮き足立っている。それをなだめるように、フェリスは鏡に向かって髪をとかした。

 マオと水を飲み、フェリスの部屋の前で別れた。あれからなにを喋っていたのか、あまり記憶がない。ただ、ずっとふわふわした幸せを感じていた。

 寝なければと思うのに、興奮してか目が冴えている。

 かたわらに置いたランプが、周囲を仄暗く照らしている。その光を受けた鏡の中の自分が、こちらをじっと見つめて来た。


「マオくん、なら……」


 きっとフェリスを裏切らない。闇力ダークネスを持つ者同士、幸せになれる。

 マオは、世界を滅ぼそうとしているフェリスの味方だ。魔王なのだ。二人とも闇の世界の住人だ。

 闇に染めた世界で、幸せに。

 そのためにも、復讐をやり遂げなくては。この幸せを守るためにも。


「出来るかしら」


 闇魔法がちゃんと使えるようになって来たとは言え、威力はまだまだだ。だが、ありもしない罪で命を脅かされ、それをなかったことにして忘れるなど出来ない。


(わたしの人生、これまでずっと搾取されていたんだわ。そんなの、もうごめんよ)


 鏡の中の自分と目を合わせて、頷く。そのもう一人の自分が、口の端を吊り上げた。


「そうよ。あなたは、あなたをおとしめた奴らに復讐する権利がある」

「えっ⁉︎」


 驚いて口に手を当てるが、鏡の中のフェリスはさらに笑みを深めただけ。その手は動かない。

 青みがかった銀髪、青い瞳。間違いなく自分の姿なのに、そこには自分ではない意識が宿っていた。背筋に嫌なものが走る。


「世界に復讐するの。全てを根絶やしにして、恐怖で支配するのよ」

「そ、そこまで……望んでるわけじゃ……」


 フェリスを断罪した奴らに復讐して、腐った世界を滅ぼす。その後のことなど————。


「世界を滅ぼしたなら、再び秩序を構築する必要があるの。すなわち、恐怖。その頂点にお前が君臨すれば良いのよ」


 恍惚とした表情で、もう一人の自分が歌うように滑らかに喋る。

 その声が、フェリスの中にこだました。


「世界を滅ぼした時点でお前は恐怖の対象だ。躊躇うことはない」

「そ、そうだけど……」


 威圧的な声。それは間違いなく自分のものなのに、まるで知らない誰かのもののように響いている。

 世界を恐怖で支配すれば、ここを守ることが出来る。誰も手出しが出来ない、フェリスの城。


「人とはしぶといものだ。愚かなことに喉元を過ぎれば熱さを忘れる。だから、熱さを忘れさせてはならない。恐怖を与え続けよ」


 確かに一理ある。

 魔王は、世界に恐怖を与え続ける存在だった。度々街が襲われ、人々は恐怖に慄いていた。

 それでも、その恐怖を消し去ろうと魔王に挑み続けて来たのだ。

 フェリスもまた、その中の一人だった。勇者一行とともに魔王に挑み、この有り余る聖力セイクリッドで魔王を封印したのだ。


 魔王の封印がいつの間にか解けていたのは誤算だったが、闇堕ちした今はどうでもいいことだ。

 むしろ、マオのおかげでこうして守りたいものが、家族が出来たのだ。

 人々は、フェリスたちを討伐に来るだろう。たとえリオンたちを倒しても、次の誰かが。


「お前には、恐怖を与え続ける以外の選択肢はないのだ」


 ぞっとするような冷笑を浮かべ、鏡の中の自分がこちらへ手を伸ばして来た。

 その手が鏡の中から出ると思った瞬間、背筋を恐怖が這い上がり反射的に目をつむってしまう。

 なにも、起こらない。

 おそるおそる開いた先には、怯えた表情の自分の顔。


 ほおに右手を添える。鏡の中の自分も、同じようにその手をほおに添えた。

 息を吐く。


(なんだったの、今の——ううん、なんでもいい。そうだわ、そうなのよ。恐怖よ、それが全てなんだわ)


 世界に、人に恐怖を与え続けなければならない。フェリスが授かったこの闇力ダークネスで。

 それこそが、フェリスがマオと、そして家族と幸せになる道だ。

 小さく頷き、ランプを持つ。もう寝よう。恐怖を撒き散らす明日のために。


   * * *


「やあ、フェリス様。今日も忙しそうだね」


 神殿の敷地内部にある広大な庭。その東屋ガゼボで光鉱石に聖力セイクリッドを込めていたフェリスに、柔らかな青年の声がかかった。

 その声を、フェリスは良く知っている。


「リオン」


 顔を上げると、そこでほほ笑んでいたのは金髪の青年だ。

 勇者リオンは、フェリスを討伐しようとしている敵。だから、これは夢だ。


「また来たの? 訓練はどうしたのよ」

「午前はもう終わりだよ。フェリス様もお昼の時間だ」

「うーん、もうちょっと……」

「そうやってまたお昼食べないでやっちゃうんだろ? いいから、行こう」


 そう言えばリオンは時折、こうしてフェリスを昼食に連れ出してくれていた。

 時にはそれはミリアだったり、ガルドだったりもする。


「でも、魔王討伐に出たらしばらく帰って来れないでしょ? その分はやっておかないと」

「なに言ってるんだ。それで倒れたら魔王討伐どころじゃないじゃないか」

「倒れないわよ、なにせわたしは聖力無尽蔵の大聖女よ?」


 リオンは、大聖女たるフェリスの力を過小評価しているところがあると思う。

 ちゃんと仕事はこなしている。倒れて出来なかったことなんて一度もない。それなのに、どうしてそんなに心配するのだろう。

 正直お腹は空いている。とはいえ、フェリスには体力も気力もある。孤児院で鍛えられているから、そうそう倒れることもない。お昼一食くらい食べなくても大丈夫なのに。


「それはわかってるよ。だけど、フェリス様はもうちょっと人間らしい生活をした方が良いと思う」

「十分しているわよ。食事の心配をしなくていいんだもの。住むところも、寝る場所もある。大聖女だから個室。ね?」


 淡々と説明しつつ、新しい光鉱石に聖力を注ぐ。

 他の聖女たちは、フェリスのように聖力が無尽蔵ではない。すぐに疲れ倒れてしまう彼女たちの仕事量こそ、見直してやった方がいい。

 今日はもう聖力が枯れましたと泣きついてくる彼女らの仕事は、どの道フェリスが埋めるのだから。


「食事の心配しなくて良いからって、抜いて良いわけじゃない。ほら」


 わざとらしく怒った顔をしたリオンが、フェリスの手を取り引っ張る。その力に、渋々フェリスは立ち上がった。


「あとちょっとなのに〜」

「いやどう見てもあとちょっとじゃないから」


 リオンの視線の先にあるのは、神官たちに東屋に持って来てもらった光鉱石の詰まった木箱だった。あと七箱ある。

 室内でやると、ちょっと退屈な作業であることは認める。だから、東屋で作業するために木箱を持って来てもらうのは、フェリスのささやかな我儘だ。

 そんな我儘をきいてもらっているのだから、仕事はきっちり遂行したい。


「食事が先。ほら、行こう」

「もう! わかったわよ。本当にいつも強引ね」

「俺は勇者だからさ。押しは強い方がいいだろ?」

「なにその謎理論」


 リオンが、フェリスを友達として心配してくれていることはわかっている。

 だから、強く拒絶したりすることはなかった。


(この頃は、本当に、友達だと思っていたのにな……)


 フェリスの手を引くリオンは、快活に笑いながら午前中の訓練の話をしている。

 そして、これから向かう魔王討伐の旅のことを。

 中庭を抜け、神殿の中へと入る。


「おう、やっと来たか」


 そこで待っていたのは、ガルドとミリアだった。

 お姉さま! と抱きついて来たミリアの勢いに、リオンの手が離れた。


「おおおお腹空いた……っ!」

「待っててくれたの? ごめんね、行きましょう」

「ミリアには甘いよなあフェリス様は」


 これまたわざとらしく口を尖らせたリオンに、あなたは大人だものと返す。


「ははっ、違いねェや。さ、行くぞ」


 どんとガルドの大きな手がフェリスの背を叩いた。それを合図に、四人で歩き出す。

 仕事は気になるが、こうなってはちゃんと昼食を取らないと離してもらえない。

 ちゃんと食べよう。


(どうして今更こんな夢見てるんだろう)


 夢の中のフェリスの行動や感情は、あの時のままだ。なのに、それを見ている今の自分も同時に存在している。

 もう彼らは敵だ。こんな日常は、もう取り戻せない。


(そうよ、あなたたちがわたしを討ちに来るなら、その前にわたしがあなたたちを————)


 どす黒い闇が胸からあふれた。

 目覚めたら、もう後には戻らない。こちらから、勇者一行を討ちに行く。

 そして、自分を断罪した王にも復讐してやる。

 世界を滅ぼし、恐怖で支配する。新しい秩序の誕生だ。

 知らず、口の端が上がった。

 まずは勇者一行を血祭りに上げる。そこから世界の恐怖は始まるのだ。


   * * *


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