老帝
宿舎の視察を終えたクリカラは、視察の結果を報告に皇帝の執務室へと向かう。
「ご公務で忙しい中、失礼致します」
扉に手をかけようとした時、中から咳の音がゴホッゴホッと二度響く。
「陛下!」
慌てて扉を開けて執務室に駆け込む。
「なんだ、騒々しい」
汚れた手を布で拭きながら、クリカラに顔を向ける皇帝。
「申し訳ありません、咳の音が聞こえましたもので、一大事かと」
「大袈裟だ、この歳になるとよく咳をするようになる」
「しかし、陛下の御身に何かがあれば...」
「これ以上、不吉なことはよせ。
それに身体だって獣狩りに出かけられるくらいには壮健だ」
袖をまくって日頃の鍛錬で鍛えられた筋肉を見せる皇帝。
老境といえど、耄碌する気配はない。
「して、どんな要件だ?」
「は...」
深呼吸して気持ちを切り替える。
「試験会場の準備が順調に進んでいる事の御報告にまいりました」
「そうか、わざわざご苦労」
そういうと、皇帝は書簡に筆を走らせる。
国交のある国との交易文書への署名。
交易品目を認可する内容で、新たに薬品類が追加されている。
「ところで、ここに来てから何年経つ?」
「大体、八十年になるかと」
「そうか、初めて会った時と全く姿が変わらぬ。
さすがは悠久を生きる種族だな」
「陛下と出会った時のことは今でも覚えております。
正直、思い出したくはありませんが…」
「杖刑千回、今思い出しても震えがくる」
当時を思い出して全身に怖気が走る皇帝。
クリカラが先代皇后の従者をしていた時のこと、皇后の収蔵物を損壊させたことで木の杖を用いた一日百回の杖刑を十日に及んで受けた。
弛んでいた宮中の規律や風紀を正す見せしめを兼ねての公開刑であり、宮中の宦官や当時幼かった今上皇帝もその場に立ち会わされた。
さらにその様子をお抱えの絵師に描かせるという無慈悲なおまけつき。
結果的に宮中の規律は引き締まったものの、クリカラは地方の県令に左遷され、皇后が世を去るまで宮中に戻ることはなかった。
一陣の風が吹き、梅花の香りが部屋に運ばれる。
「今年も、梅の花が咲いておる」
「はい、とても美麗です」
「あと何回、この景色を見れるのだろうな?ゴホッ」
再びせき込む皇帝、心配するクリカラに「問題ない」と答える。
「朕のことは良い、来週に迫った登用試験、くれぐれも頼むぞ」
「微力を尽くします」
「そうしてくれ。ところで、入室の際に朕に対して三跪九叩頭をしなかったな?」
「あ..」
「杖刑六十、尻を出せ」
梅花が優雅に春風に揺れる中、臀部を打撃する生々しい音と痛みをこらえる彼女の声が六十回に渡って執務室から鳴り響いた。




