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「それでも、命を捨てるな」  作者: あーちゃん


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8/10

「それでも、生きろ」


湊が言いたかった言葉。

蒼が本当は聞きたかった言葉。

二人の長い冬が、ここでようやくぶつかります。



 蒼が取り押さえられた後、コンビニの外には赤色灯の光が揺れていた。


 人質だった店員は救急車の中で手当てを受けていた。怪我はなかったが、精神的なショックは大きかった。湊はその姿を見て、胸が痛んだ。


 蒼を助けたいと思った。


 けれど、蒼が誰かを傷つけた事実から目を逸らしてはいけない。


 その矛盾が、湊の胸の中で重く絡まっていた。


 蒼はパトカーに乗せられる前、湊を見た。


 手錠をかけられた手。


 泣き腫らした目。


 その姿は、加害者であり、同時に迷子の少年のようでもあった。


「湊」


 蒼が小さく呼んだ。


 湊は近づいた。


「俺、また迷惑かけたな」


「かけた」


 蒼は少し笑った。


「そこは否定しろよ」


「否定しない」


 湊はまっすぐ蒼を見た。


「でも、死ななくてよかった」


 蒼の顔が歪んだ。


「これからの方が地獄かもしれない」


「そうかもしれない」


「逃げたくなるかもしれない」


「その時は、また言う」


「何を」


 湊は息を吸った。


「それでも、生きろ」


 蒼は何も言わなかった。


 ただ、涙をこらえるように顔を伏せた。


 パトカーのドアが閉まる。


 赤色灯が遠ざかっていく。


 湊はその場に立ち尽くした。


 事件は終わった。


 けれど、何も終わっていなかった。


 翌日から、湊は事情聴取と報告書に追われた。


 知人である犯人に単独で接触したことは、当然問題になった。上司から厳しく叱責され、処分の可能性も示された。


 佐久間にも怒鳴られた。


「お前は自分が死んでたかもしれないって分かってるのか!」


「分かってます」


「分かってない! 感情で動くな!」


 湊は何も言い返せなかった。


 佐久間の怒りは正しかった。


 警察官として、湊の行動は危険だった。


 けれど、人として、あの場で下がることはできなかった。


 その夜、湊は病院へ行った。


 事件でショックを受けた店員が搬送された病院だった。


 病室には入れなかったが、廊下で偶然、雫に会った。


 雫は湊の顔を見るなり言った。


「ひどい顔」


「よく言われます」


「寝てないでしょう」


「少し」


「嘘ですね」


 雫は湊を休憩スペースに連れていき、温かいお茶を渡した。


 湊は事件のことを話した。


 蒼のこと。


 人質のこと。


 刃物のこと。


 自分が言った言葉のこと。


 雫は静かに聞いていた。


 そして言った。


「神崎さんは、助けたんですね」


 湊は首を横に振った。


「分かりません。人質の方は傷ついた。蒼は逮捕された。俺は規則を破った。何が正しかったのか分からない」


「正しかったかどうかは、すぐには分からないと思います」


「じゃあ、どうすれば」


「背負うしかないです」


 雫の言葉は優しくなかった。


 けれど、嘘でもなかった。


「助けたかった気持ちも、傷つけた人がいる事実も、両方。どちらかだけ見たら、たぶん楽になります。でも、それだと誰かが置いていかれる」


 湊はお茶の缶を握りしめた。


「蒼に、生きろって言いました」


「はい」


「でも、生きるって言葉は、時々残酷ですね」


「残酷です」


 雫はすぐに頷いた。


「生きていれば、痛みも続きます。罪も消えません。後悔もついてきます。でも、変われる可能性も、生きている間にしかない」


 湊は顔を上げた。


「変われるでしょうか」


「すぐには無理でも」


 雫は言った。


「今日だけ生きる。その積み重ねでしか、人は変われないんだと思います」


 その言葉は、湊の中に静かに残った。


 数日後、湊は蒼の取り調べに直接関わることはできなかったが、報告を通して蒼の供述を知った。


 蒼は、店員に対する謝罪を何度も口にしていたという。


 事件を起こした理由については、最初は何も話さなかった。


 けれど少しずつ、自分の過去を話し始めた。


 家庭での孤立。


 居場所のなさ。


 高校退学後の不安定な生活。


 頼った相手に利用されたこと。


 働いても続かず、自分には価値がないと思い込んでいったこと。


 そして事件当日、全てが限界になったこと。


 それを読んだ湊は、報告書の文字が滲んで見えた。


 蒼の苦しみを知ったところで、事件の被害が消えるわけではない。


 けれど、知らなければまた誰かを同じ場所へ追い込む。


 湊はそう思った。


 ある夜、湊は非番の日に歩道橋へ行った。


 莉子を保護した場所だった。


 雨は降っていなかった。


 街の灯りが遠くに広がり、人々の生活が小さな光として続いていた。


 湊は欄干に手を置き、深く息を吐いた。


「それでも、生きろ」


 自分で言った言葉を、もう一度呟く。


 それは蒼だけに向けた言葉ではなかった。


 莉子へ。


 雫へ。


 救えなかった人たちへ。


 そして、自分自身へ。


 湊もまた、あの日からずっと、自分を許せずにいた。


 自分だけ生きていることを、どこかで責めていた。


 蒼を救えなかった自分が、誰かを救いたいと思うことすら罪のように感じていた。


 けれど、蒼は生きていた。


 壊れたまま。


 罪を背負ったまま。


 それでも、生きていた。


 なら、湊も生きなければならない。


 過去から逃げるためではなく、過去を抱えたまま前に進むために。


 スマホが震えた。


 雫からのメッセージだった。


『今日も生きましたか?』


 湊はしばらく画面を見つめ、それから返信した。


『はい。何とか』


 すぐに返事が来た。


『それで十分です』


 湊は小さく笑った。


 十分。


 今日を生きた。


 それだけで十分な日がある。


 夜風が吹いた。


 湊は空を見上げた。


 雲の隙間から、かすかに星が見えた。


 それは救いと呼ぶには頼りない光だった。


 けれど、暗闇の中で見失わないためには、それくらいの光で十分なのかもしれなかった。



第8ページを読んでくださりありがとうございます。

“生きろ”という言葉は優しいだけではありません。

それでも湊は、その重さを知った上で、蒼に、自分に、言い続けることを選びます。

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