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「それでも、命を捨てるな」  作者: あーちゃん


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7/10

「人を傷つけた人間は、生きちゃダメか」


蒼の叫びは、正しさでは救えないほど壊れていました。

それでも罪は消えず、命もまた消してはいけないものとして残ります。



 コンビニの中は、冷房が効きすぎていた。


 外の蒸し暑さとはまるで別の場所だった。蛍光灯の白い光が棚の商品を照らし、床には倒れたペットボトルが転がっていた。レジ前には、泣き崩れそうな女性店員が立っている。


 そして蒼は、その少し後ろにいた。


 刃物を持つ手は震えていた。


 湊は両手を見える位置に上げ、ゆっくり歩いた。


「蒼、来た」


「本当に来るんだな」


「呼んだだろ」


「昔から、変に真面目だよな」


 蒼は笑った。


 その笑い方は、高校時代と少しも変わらなかった。


 だから余計に、湊は苦しくなった。


「その人を解放しろ」


 湊が言うと、蒼は店員を見た。


「ごめん」


 蒼は小さく呟いた。


「本当に、ごめんなさい」


 店員は泣きながら頷いた。


 蒼は刃物を持ったまま一歩下がった。


 湊は店員に目で合図した。


「ゆっくり、こっちへ」


 女性は震えながら湊の方へ歩き、入り口付近で待機していた警察官に保護された。


 人質が解放された。


 外で緊張が少し緩む気配がした。


 だが湊は分かっていた。


 本当に危険なのは、ここからだった。


 蒼はもう、人を盾にする必要がなくなった。


 なら次に刃物が向かう先は、一つしかない。


「蒼、刃物を置け」


「無理」


「どうして」


「置いたら、終わるだろ」


「終わらない。話せる」


「話して何になる」


 蒼の声が急に荒くなった。


「お前、警察官なんだろ。俺は犯人だ。人質取って、刃物持って、迷惑かけて、怖がらせた。もう終わりだろ」


「罪は罪だ」


 湊は言った。


 逃げなかった。


「でも、命を捨てていい理由にはならない」


 蒼の顔が歪んだ。


「綺麗事言うなよ」


「言うよ」


「俺が何してきたか知ってるのかよ!」


 蒼の叫びが店内に響いた。


「高校辞めてから、ずっとまともじゃなかった。家にもいられなくて、親戚の家を転々として、働いても続かなくて、金もなくて、寝る場所もなくて。優しくされたと思ったら利用されて、逃げたらまた一人で」


 湊は黙って聞いた。


「俺、ずっと思ってた。あの時、死ねばよかったって」


「蒼」


「生き残ったって、何もいいことなかった。頑張れって言われて、前向けって言われて、でも前なんかどこにもなかった」


 蒼の目から涙が落ちた。


「死にたいって言うと怒られる。生きたいって言うと金がいる。助けてって言うと迷惑がられる。じゃあ俺はどうすればよかったんだよ」


 湊は言葉を失った。


 正しい答えなどなかった。


 蒼の苦しみを、湊は知らなかった。


 あの手紙の後、蒼がどんな日々を生きてきたのか。


 誰に傷つけられ、誰に見捨てられ、どこで眠り、何を失ったのか。


 何も知らなかった。


 蒼は笑った。


「今日さ、全部終わらせるつもりだった」


 湊の身体が強張った。


「でも一人で終わるのが怖かった。誰かに止めてほしかった。でも、助けてって言えなかった。だから、こんなことした」


「馬鹿野郎」


 湊の声が震えた。


「そんな助けの求め方があるか」


「分かってるよ!」


 蒼は叫んだ。


「分かってる! 俺が悪い! あの店員さんは何も悪くない! 怖い思いさせた! 俺は最低だ!」


 蒼は刃物を自分の胸元へ向けた。


「だから、もう生きちゃダメだろ」


「違う」


「違わない!」


「違う!」


 湊の怒鳴り声が響いた。


 蒼が驚いたように目を見開く。


 湊は涙をこらえながら言った。


「人を傷つけたら、償わなきゃいけない。逃げちゃいけない。謝っても許されないことだってある」


 蒼は唇を噛んだ。


「でも、だからって死んでいいわけじゃない」


「なんでだよ」


「死んだら、償えないからだ」


 蒼の手が震えた。


「生きて謝れ。生きて罰を受けろ。生きて、自分がしたことを背負え」


「そんなの、きつすぎるだろ」


「そうだよ」


 湊は一歩近づいた。


「生きる方がきつい。死ぬよりずっときつい日がある。でも、それでも死ぬな」


「俺にそんな価値ない」


「価値とか言うな」


「だって俺は」


「お前は白石蒼だろ!」


 湊の声が震えた。


「俺に手紙を書いた奴だろ。死ぬなって言えって、俺に約束させた奴だろ。だったら、まずお前が聞けよ」


 蒼の顔が崩れた。


 湊はポケットから、古びた手紙を取り出した。


 何年も持ち歩いた紙。


 折り目が擦り切れ、文字が少し薄くなっていた。


「これ、ずっと持ってた」


 蒼は手紙を見た瞬間、声を失った。


「なんで」


「忘れられなかったからだよ」


「捨てろよ、そんなの」


「捨てられるわけないだろ」


 湊は手紙を握りしめた。


「俺はお前を助けられなかった。でも、お前の言葉にずっと助けられてきたんだよ」


 蒼は首を横に振った。


「嘘だ」


「嘘じゃない」


「俺は誰の役にも立ってない」


「立ってる。少なくとも俺は、お前がいたから警察官になった」


 蒼の目が揺れた。


「俺のせいで?」


「違う。お前のおかげで」


 湊はゆっくり言った。


「あの冬からずっと、俺は誰かに言いたかった。死ぬなって。今日までずっと、その言葉を練習してたのかもしれない」


 蒼の手から力が抜けかけた。


 だが次の瞬間、彼はまた刃物を握り直した。


「でも遅いよ」


「遅くない」


「俺、もう壊れてる」


「壊れたままでも生きろ」


「無理だ」


「無理でも、今日だけ生きろ」


 湊は雫の言葉を思い出しながら言った。


「一生頑張れなんて言わない。明るい未来を信じろとも言わない。今日だけでいい。今夜だけでいい。生きろ」


 蒼は泣いた。


 声を殺せず、子どものように泣いた。


「俺、疲れた」


「うん」


「もう、本当に疲れた」


「うん」


「誰かに、大丈夫じゃないって言いたかった」


「言えよ」


 湊は手を伸ばした。


「今、言え」


 蒼は膝から崩れ落ちた。


 刃物が床に落ち、乾いた音を立てた。


「大丈夫じゃない」


 蒼は泣きながら言った。


「俺、大丈夫じゃなかった」


 湊は駆け寄り、刃物を遠ざけた。


 外から警察官たちが突入する気配がする。


 蒼は抵抗しなかった。


 ただ、湊の袖を掴んだ。


「湊」


「何だ」


「俺、人を傷つけた」


「分かってる」


「生きてていいのか」


 湊は即答できなかった。


 軽く言ってはいけないと思った。


 だから、震える声で、本気で言った。


「生きて、償え」


 蒼は泣いた。


 その涙が許しになるわけではない。


 罪が消えるわけでもない。


 それでも、命はまだそこにあった。


 そして湊は、今度こそその命に手を伸ばした。



第7ページを読んでくださりありがとうございます。

蒼の罪は消えません。

けれど、罪があることと命を捨てていいことは違います。

湊はその境界線に立ち続けます。

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