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「それでも、命を捨てるな」  作者: あーちゃん


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6/10

「加害者になった親友」


過去に救えなかった親友が、今度は事件の加害者として現れます。

湊の時間が、再びあの冬へ引き戻されます。



 事件が起きたのは、六月の蒸し暑い夜だった。


 雨は降っていなかったが、空気は重く湿っていて、街全体が息苦しい膜に包まれているようだった。


 湊が交番で書類を整理していると、無線が入った。


『刃物を持った男がコンビニ店内に立てこもり。人質あり。現場は南町三丁目、ミヤザキビル一階』


 湊は椅子から立ち上がった。


 佐久間がすぐに無線へ応答する。


「神崎、行くぞ」


「はい」


 パトカーに乗り込むと、サイレンの音が夜の街を切り裂いた。


 現場に近づくにつれて、人だかりが見えてきた。規制線が張られ、警察官たちが周囲を押さえている。コンビニの明かりは白々しく、店内の様子が外からうっすら見えた。


 男が一人。


 刃物を持ち、店員らしき女性をそばに立たせている。


 湊はその横顔を見た瞬間、息が止まった。


 見間違いだと思った。


 そんなはずがないと思った。


 けれど、身体が先に覚えていた。


 少し猫背気味の立ち方。


 濡れたような黒髪。


 笑う前に一瞬だけ目を伏せる癖。


「……蒼」


 湊の口から、声が漏れた。


 佐久間が振り向く。


「知ってるのか」


 湊は答えられなかった。


 コンビニの中にいる男は、白石蒼だった。


 高校二年の冬、自分の命を手放そうとした少年。


 手紙を残して消えた親友。


 その蒼が今、刃物を握り、人を傷つける側に立っている。


 湊の頭の中が真っ白になった。


 どうして。


 生きていたのか。


 どこにいたんだ。


 何があった。


 なぜ、そんな場所にいる。


 現場責任者が状況を説明していた。


 犯人は二十四歳男性。


 入店後、突然刃物を取り出し、店員一名を人質に取った。


 金品要求はなし。


 逃走要求もなし。


 警察が到着してからも、具体的な要求を言わず、ただ「近づくな」と繰り返している。


 湊はそれを聞いて、嫌な予感がした。


 金が欲しいわけでもない。


 逃げたいわけでもない。


 なら、蒼は何をしたいのか。


 死にたいのか。


 それとも、誰かに止めてほしいのか。


 湊の胸が激しく痛んだ。


 現場責任者が拡声器で呼びかける。


「中にいる男性、聞こえますか。刃物を置いてください。人質を解放してください」


 店内の蒼は反応しなかった。


 人質の女性は泣いていた。


 蒼の手は震えていた。


 湊には分かった。


 あれは、人を傷つけたい人間の手ではない。


 自分をどう扱えばいいか分からなくなった人間の手だ。


 だが、それでも刃物は刃物だった。


 どんな理由があっても、人質を取っていいことにはならない。


 湊はその事実に苦しんだ。


 被害者がいる。


 守らなければならない人がいる。


 そして、加害者になった親友がいる。


 佐久間が湊の肩を掴んだ。


「お前は下がれ」


「でも」


「知人なら尚更だ。冷静さを失う」


「俺なら話せます」


「話せる保証はない」


 湊は黙った。


 佐久間の言う通りだった。


 自分は冷静ではない。


 心臓がうるさい。


 手が震えている。


 けれど、それでも思った。


 あの時、聞けなかった。


 今度も聞かないのか。


 数十分が経った。


 交渉は進まなかった。


 蒼は何も要求しない。ただ時折、人質の女性に「ごめん」と呟いていた。


 その言葉が、湊をさらに追い詰めた。


 ごめんと言いながら、人を傷つけるな。


 ごめんと言うくらいなら、刃物を置け。


 そう叫びたかった。


 だが同時に、湊は知っていた。


 人は壊れきった時、正しい順番で助けを求められない。


 迷惑をかけたくないと言いながら、誰かを巻き込むことがある。


 死にたいと言いながら、本当は止めてほしいことがある。


 現場に緊張が走った。


 蒼が刃物を自分の方へ向けたのだ。


 人質の女性が悲鳴を上げる。


 湊の身体が勝手に動いた。


「蒼!」


 規制線の内側で、湊は叫んでいた。


 周囲の警察官が驚いて振り向く。


 コンビニの中の蒼も、ゆっくり顔を上げた。


 目が合った。


 何年ぶりだろう。


 蒼の目は、記憶の中よりずっと暗かった。


 それでも、その奥に、あの頃の少年がいた。


「……湊?」


 ガラス越しに、蒼の唇が動いた。


 湊は一歩前に出た。


 すぐに佐久間に止められる。


「下がれ!」


 けれど湊は叫んだ。


「俺だ! 神崎湊だ!」


 蒼の表情が歪んだ。


 笑うような、泣くような顔だった。


「なんで、お前が警察なんだよ」


 湊は答えられなかった。


 蒼は刃物を握りしめたまま、力なく笑った。


「最悪だな」


「蒼、刃物を置け」


「命令すんなよ」


「命令じゃない。頼んでる」


 蒼は俯いた。


「頼むなよ。お前に頼まれると、困るだろ」


 湊の喉が詰まった。


 人質の女性が震えている。


 蒼も震えている。


 誰もが限界だった。


 湊は言った。


「俺が入る。話をさせてくれ」


 周囲は当然止めた。


 だが蒼が反応した。


「湊だけなら、入れていい」


 現場が騒然となった。


 危険すぎる。


 許可できない。


 交渉担当を待て。


 様々な声が飛んだ。


 けれど蒼は人質の女性から少し距離を取り、ガラス越しに湊を見た。


「来いよ、湊。お前にだけ、聞いてほしいことがある」


 湊は息を吸った。


 怖くないわけがなかった。


 でも、ここで逃げたら、あの冬と同じだった。


 湊は蒼を見つめた。


「分かった。行く」


 佐久間が低い声で言った。


「神崎、これは責任問題じゃ済まない」


「分かってます」


「死ぬかもしれないぞ」


 湊は蒼の手紙を思い出した。


 死ぬなって、強く言ってやって。


「だから行きます」


 コンビニの自動ドアが、ゆっくり開いた。


 冷たい店内の空気が、湊の肌に触れた。


 蒼がそこにいた。


 加害者になった親友が。


 救えなかった少年が。


 湊を待っていた。



第6ページを読んでくださりありがとうございます。

蒼は被害者でありながら、加害者になってしまいました。

ここから湊は、“救う”ことの本当の難しさに向き合います。

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