「加害者になった親友」
過去に救えなかった親友が、今度は事件の加害者として現れます。
湊の時間が、再びあの冬へ引き戻されます。
事件が起きたのは、六月の蒸し暑い夜だった。
雨は降っていなかったが、空気は重く湿っていて、街全体が息苦しい膜に包まれているようだった。
湊が交番で書類を整理していると、無線が入った。
『刃物を持った男がコンビニ店内に立てこもり。人質あり。現場は南町三丁目、ミヤザキビル一階』
湊は椅子から立ち上がった。
佐久間がすぐに無線へ応答する。
「神崎、行くぞ」
「はい」
パトカーに乗り込むと、サイレンの音が夜の街を切り裂いた。
現場に近づくにつれて、人だかりが見えてきた。規制線が張られ、警察官たちが周囲を押さえている。コンビニの明かりは白々しく、店内の様子が外からうっすら見えた。
男が一人。
刃物を持ち、店員らしき女性をそばに立たせている。
湊はその横顔を見た瞬間、息が止まった。
見間違いだと思った。
そんなはずがないと思った。
けれど、身体が先に覚えていた。
少し猫背気味の立ち方。
濡れたような黒髪。
笑う前に一瞬だけ目を伏せる癖。
「……蒼」
湊の口から、声が漏れた。
佐久間が振り向く。
「知ってるのか」
湊は答えられなかった。
コンビニの中にいる男は、白石蒼だった。
高校二年の冬、自分の命を手放そうとした少年。
手紙を残して消えた親友。
その蒼が今、刃物を握り、人を傷つける側に立っている。
湊の頭の中が真っ白になった。
どうして。
生きていたのか。
どこにいたんだ。
何があった。
なぜ、そんな場所にいる。
現場責任者が状況を説明していた。
犯人は二十四歳男性。
入店後、突然刃物を取り出し、店員一名を人質に取った。
金品要求はなし。
逃走要求もなし。
警察が到着してからも、具体的な要求を言わず、ただ「近づくな」と繰り返している。
湊はそれを聞いて、嫌な予感がした。
金が欲しいわけでもない。
逃げたいわけでもない。
なら、蒼は何をしたいのか。
死にたいのか。
それとも、誰かに止めてほしいのか。
湊の胸が激しく痛んだ。
現場責任者が拡声器で呼びかける。
「中にいる男性、聞こえますか。刃物を置いてください。人質を解放してください」
店内の蒼は反応しなかった。
人質の女性は泣いていた。
蒼の手は震えていた。
湊には分かった。
あれは、人を傷つけたい人間の手ではない。
自分をどう扱えばいいか分からなくなった人間の手だ。
だが、それでも刃物は刃物だった。
どんな理由があっても、人質を取っていいことにはならない。
湊はその事実に苦しんだ。
被害者がいる。
守らなければならない人がいる。
そして、加害者になった親友がいる。
佐久間が湊の肩を掴んだ。
「お前は下がれ」
「でも」
「知人なら尚更だ。冷静さを失う」
「俺なら話せます」
「話せる保証はない」
湊は黙った。
佐久間の言う通りだった。
自分は冷静ではない。
心臓がうるさい。
手が震えている。
けれど、それでも思った。
あの時、聞けなかった。
今度も聞かないのか。
数十分が経った。
交渉は進まなかった。
蒼は何も要求しない。ただ時折、人質の女性に「ごめん」と呟いていた。
その言葉が、湊をさらに追い詰めた。
ごめんと言いながら、人を傷つけるな。
ごめんと言うくらいなら、刃物を置け。
そう叫びたかった。
だが同時に、湊は知っていた。
人は壊れきった時、正しい順番で助けを求められない。
迷惑をかけたくないと言いながら、誰かを巻き込むことがある。
死にたいと言いながら、本当は止めてほしいことがある。
現場に緊張が走った。
蒼が刃物を自分の方へ向けたのだ。
人質の女性が悲鳴を上げる。
湊の身体が勝手に動いた。
「蒼!」
規制線の内側で、湊は叫んでいた。
周囲の警察官が驚いて振り向く。
コンビニの中の蒼も、ゆっくり顔を上げた。
目が合った。
何年ぶりだろう。
蒼の目は、記憶の中よりずっと暗かった。
それでも、その奥に、あの頃の少年がいた。
「……湊?」
ガラス越しに、蒼の唇が動いた。
湊は一歩前に出た。
すぐに佐久間に止められる。
「下がれ!」
けれど湊は叫んだ。
「俺だ! 神崎湊だ!」
蒼の表情が歪んだ。
笑うような、泣くような顔だった。
「なんで、お前が警察なんだよ」
湊は答えられなかった。
蒼は刃物を握りしめたまま、力なく笑った。
「最悪だな」
「蒼、刃物を置け」
「命令すんなよ」
「命令じゃない。頼んでる」
蒼は俯いた。
「頼むなよ。お前に頼まれると、困るだろ」
湊の喉が詰まった。
人質の女性が震えている。
蒼も震えている。
誰もが限界だった。
湊は言った。
「俺が入る。話をさせてくれ」
周囲は当然止めた。
だが蒼が反応した。
「湊だけなら、入れていい」
現場が騒然となった。
危険すぎる。
許可できない。
交渉担当を待て。
様々な声が飛んだ。
けれど蒼は人質の女性から少し距離を取り、ガラス越しに湊を見た。
「来いよ、湊。お前にだけ、聞いてほしいことがある」
湊は息を吸った。
怖くないわけがなかった。
でも、ここで逃げたら、あの冬と同じだった。
湊は蒼を見つめた。
「分かった。行く」
佐久間が低い声で言った。
「神崎、これは責任問題じゃ済まない」
「分かってます」
「死ぬかもしれないぞ」
湊は蒼の手紙を思い出した。
死ぬなって、強く言ってやって。
「だから行きます」
コンビニの自動ドアが、ゆっくり開いた。
冷たい店内の空気が、湊の肌に触れた。
蒼がそこにいた。
加害者になった親友が。
救えなかった少年が。
湊を待っていた。
第6ページを読んでくださりありがとうございます。
蒼は被害者でありながら、加害者になってしまいました。
ここから湊は、“救う”ことの本当の難しさに向き合います。




