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「それでも、命を捨てるな」  作者: あーちゃん


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4/5

「死ねって言葉は、刃物より痛い」


人は刃物だけで傷つくわけではありません。

何気なく投げられた言葉が、命の灯りを消しかけることもあります。



 その通報は、夕方の交番に入った。


「高校生の娘が帰ってこないんです」


 電話の向こうで、母親の声が震えていた。


 家出かもしれない。友達の家にいるのかもしれない。そう思おうとしているのに、声の端には明らかな恐怖が滲んでいた。


 湊は住所と名前を確認し、すぐに周辺の捜索に出た。


 女子高校生の名前は、春川莉子。


 十七歳。


 母親によると、ここ数日ずっと部屋に閉じこもっていたという。学校にも行けず、食事もほとんど取らず、スマホだけを握りしめていた。


 原因は、SNSだった。


 莉子が投稿した一枚の写真が、悪意ある形で拡散された。


 最初は小さな誤解だった。


 けれど、誰かが面白がって言葉を足した。


 誰かが勝手に決めつけた。


 誰かが嘘を本当のように語った。


 そして気づけば、莉子の名前も顔も学校も、知らない人間たちの暇つぶしになっていた。


『消えろ』


『生きてる価値ない』


『死ねば?』


 湊は母親から見せられた画面を見て、息が詰まった。


 たった数文字。


 けれど、それは人の心を壊すには十分すぎる刃物だった。


 湊は走った。


 莉子が行きそうな場所を、母親から聞いた。


 通っていた塾。


 友達の家。


 近所の公園。


 そして最後に、駅の近くの歩道橋。


「昔から、嫌なことがあると、あそこに行く子でした」


 母親はそう言った。


 湊は雨の中、歩道橋へ向かった。


 夕方の街は車のライトで滲んでいた。傘を差す人々が足早に通り過ぎる。誰もが自分の生活に急いでいて、誰かの絶望に気づかない。


 歩道橋の階段を駆け上がると、そこに莉子はいた。


 制服姿で、濡れた髪を頬に貼りつけ、欄干のそばに立っていた。


 湊は息を整えながら、ゆっくり声をかけた。


「春川莉子さん?」


 莉子は振り向かなかった。


「来ないでください」


 声は小さかったが、鋭かった。


 湊は足を止めた。


「分かった。ここで止まる」


「警察なんか呼ばないでって言ったのに」


「お母さんが心配してた」


「心配してるなら、もっと早く気づいてよ」


 その言葉に、湊の胸が痛んだ。


 蒼の母の声と重なった。


 なんで気づかなかったの。


 湊は雨に濡れながら、静かに言った。


「ごめん」


「あなたが謝ることじゃないでしょ」


「それでも、ごめん」


 莉子は笑った。


 泣きながら笑った。


「みんな簡単に言うんです。死ねって。消えろって。ブスとか、嘘つきとか、気持ち悪いとか。私のこと何も知らないくせに」


 湊は黙って聞いた。


「最初は無視しようと思った。でも、無理だった。寝ても覚めても通知が来る。学校に行ったら見られてる気がする。友達の笑い声も、自分の悪口に聞こえる。鏡を見るのも嫌になる」


 莉子の声が震えた。


「私、何かそんなに悪いことしましたか」


 湊は答えられなかった。


 悪くない。


 そう言うのは簡単だった。


 けれど、莉子を傷つけた世界は、そんな簡単な言葉では消えない。


 莉子はスマホを握りしめていた。


「死ねって言われ続けると、本当に死ななきゃいけない気がしてくるんです」


 湊はその言葉を聞いた瞬間、拳を握った。


 怒りだった。


 誰に向ければいいのか分からない怒り。


 無責任な言葉を投げた人間たち。


 それを面白がって眺めた人間たち。


 止められなかった大人たち。


 そして、今また何もできずに立っている自分。


 湊は一歩も近づかなかった。


 ただ、声だけを強くした。


「死ななくていい」


 莉子が少しだけ顔を上げた。


「あなたを傷つけた言葉の責任を、あなたが命で払う必要はない」


「でも、もう無理です」


「無理なら、無理でいい。学校に行けなくてもいい。スマホを見られなくてもいい。泣いてもいい。逃げてもいい。でも、死ぬな」


 莉子の肩が震えた。


「そんなの綺麗事です」


「そうだよ」


 湊は即答した。


「綺麗事だ。でも、綺麗事でも言わなきゃいけない時がある」


 雨音が強くなった。


 歩道橋の下を車が流れていく。


 湊は蒼の手紙を思い出していた。


 死ぬなって、強く言ってやって。


「君に死ねって言った奴らは、明日も普通に飯を食う。笑う。寝る。君がいなくなっても、たぶん責任なんか取らない」


 莉子の目から涙が落ちた。


「だから、そんな奴らのために死ぬな」


 湊は声を震わせながら続けた。


「生きて、逃げて、休んで、怒っていい。許さなくていい。でも、自分の命だけは、そいつらに渡すな」


 莉子はその場に崩れるように座り込んだ。


 スマホが手から滑り落ちた。


 湊はゆっくり近づき、傘を差し出した。


 莉子は泣き続けた。


「私、死にたいわけじゃない」


「うん」


「ただ、もう傷つきたくない」


「うん」


「消えたいだけだった」


 湊はその言葉を胸に刻んだ。


 死にたい。


 その奥には、いつも別の言葉が隠れているのかもしれない。


 助けて。


 痛い。


 苦しい。


 もう傷つきたくない。


 誰か気づいて。


 湊は莉子の隣にしゃがみ、静かに言った。


「帰ろう。今夜だけでいい。今夜を越えよう」


 莉子は小さく頷いた。


 その後、莉子は保護され、母親の元へ戻った。


 問題はすぐに解決しなかった。


 投稿は完全には消えなかったし、学校に戻るにも時間がかかった。


 加害者全員が反省したわけでもなかった。


 けれど莉子は、生きた。


 それだけで十分な夜がある。


 交番に戻った湊は、濡れた制服のまま椅子に座った。


 佐久間が缶コーヒーを置いた。


「よくやった」


 湊は首を横に振った。


「俺は、言葉をかけただけです」


「その言葉で踏みとどまる人間もいる」


 湊は缶コーヒーを見つめた。


 言葉は人を殺す。


 けれど、言葉は人を繋ぎとめることもある。


 その夜、湊は蒼の手紙に触れながら呟いた。


「少しだけ、言えたよ」


 返事はなかった。


 でも、雨上がりの窓の外に、街の灯りが揺れていた。


 その灯りは、誰かがまだ生きている証のように見えた。



第4ページを読んでくださりありがとうございます。

言葉は見えない刃物にも、救いの手にもなります。

湊はここで初めて、誰かに「死ぬな」と伝えることができました。

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