大将軍との再会、女になってしまったボクはただ見つめることしかできなかった
「そこまで……だ!」
低く、夜気を凍りつかせるような重厚な声が、関所に響き渡った。
空気が一変する。
響いてくるのは、重く、確かな革靴の踏みしめる音。兵士たちがぎょっとして振り返る。
色褪せた血赤の外套を風になびかせた、圧倒的な体躯を誇るその青年。
煤けた軍衣の上からでも窺える鋼のような筋肉、
そしてその背には、人の背丈ほどもある異形の巨大な両手剣が無造作に背負われている。
「な、なんだ貴様は……! 我らは帝都の新体制を……」
言葉は最後まで続かなかった。
男が外套の裾をわずかに払った瞬間、大気が爆ぜるような凄絶な殺気が放たれたのだ。
「貴様らの振る舞いは、秩序の維持でも国家の防衛でもない。ただの飢えた獣の浅ましさだ」
「鎧の左肩に狼の彫刻『赤い狼』だぁ」
「ひっ……大将軍、ジョアン・ルブラルプス!」
「 なぜ閣下がここに――」
誰かが恐怖に引き攣った悲鳴を上げた瞬間、真紅の外套が揺らめいた。
目にも留まらぬ踏み込み。
巨大な剣が鞘走る音さえなく、男の振るった剛腕の裏拳一撃。
レイリアを組み敷いていた兵士の兜ごと頭部を粉砕せんばかりに叩き伏せる。
兵士はくぐもった悲鳴を上げて石畳を転がり、昏倒した。
「くそぉ、野郎、やりやがったな! 斬れ、斬り殺せ!」
我を取り戻した兵たちが白刃を煌めかせ、四方から男へと殺到する。
骨の砕ける鈍い音と、男たちの絶叫が夜霧を切り裂く。
「がはぁ……!?」
隊長らしき男は白目を剥き、巨躯を折り曲げて石畳に崩れ落ちた。
わずか数十秒の蹂躙。
関所を固めていた十数人の兵は、一人残らず苦悶の呻き声を上げて地に伏していた。
◇
静まり返った石畳の上に、硝煙と夜霧の匂いだけが漂う。
男――大将軍・ジョアンは、呼吸ひとつ乱さず、冷徹な双眸を足元の惨状へと落とした。
そして、乱れたドレスを必死に手で押さえ、恐怖と羞恥に震えながら見上げるレイリアの前へと、静かに歩み寄った。
(あ……ジョアン、お前は。ジョアン、僕だ……お前の前にいるのは、このレナースなんだ)
レイリアは息をのみ、小さく身を縮こまらせた。
宮廷の練兵場で何度も何度も剣を打ち合った。父の臣下であり、憧れの英雄だった、ジョアン・ルブラルプス。
男は静かに膝をつき、レイリアの視線の高さまでその身を屈めると、戦ダコに覆われた無骨で巨大な右手を、そっと差し出した。
「……怪我はないか、お嬢さん」
無骨で巨大な手が差し伸べられた。
関所の兵たちを瞬く間に打ち伏せた男
――『赤い狼』ジョアン大将軍は、苛烈な殺気を綺麗に削ぎ落とし、低く落ち着いた声でレイリアを見た。
「あ……はい……」
それしか言えなかった。震える白く小さな指先を重ね、レイリアは立ち上がった。
見上げるほど巨大な男の佇まい。鍛え抜かれた鋼の肉体と、背に差した巨大な大剣。
かつて自分が目指し、そしていまや削ぎ落とされてしまった「男の強さ」の象徴がそこにあった。
男に守られているという羞恥と、圧倒的な頼もしさへの安心感が、レイリアの胸を激しく揺さぶる。
「ありがとうございます……なんとお礼を申しましょうか」
ナディールが息を整えながら深々と頭を下げた。ジョアン男爵は無雑作に外套の塵を払うと、惨状と化した検問所を見渡す。
「礼には及ばん。ただの気まぐれだ。……だが、ここはすぐに帝都からの増援で埋め尽くされるぞ。おい、娘さんたち。急いだほうがよい」
「あなた様は……?」
「俺は追手の注意をここで引きつけておく。可憐な女子供が、こんな泥臭い戦場に転がっているのを黙って見過ごせん」
ジョアン男爵はそれ以上何も聞かず、豪快に背を向けた。
「お待ちください……騎士様。これを……」
呼び止めたレイリアは、ジョアン大将軍に近づき、青い飾り紐を手渡した。
「ほお、これはなんと綺麗な細工物だ。大切にする」
ジョアンは剣の持ち手にそっと結んだ。
去り際、男の鋭い双眸がほんの一瞬だけレイリアの碧色の美しい瞳と交錯する。
( ただの乙女ではない……この方は、いったい )
瞳の奥に宿る気高い光を悟ったようだったが、野暮な追及はせず、男は闇の中へと疾風のように消え去っていった。
(ジョアン、この恩は忘れん……また会おう、いつの日か)
「……参りましょう、レナース……いいえ、レイリア様! 追手が気付く前に!」
「あ、ああ……急ごう、ナディ、アギル!」
二人は崩れた関所を抜け、闇の深まる西の街道へと駆け出した。




