ふたりの皇子 後編
聖堂内に、一瞬の静寂が訪れた。
ユリウスの脅しで騎士たちの動きが止まる。
が、狂信的な彼らの怯えは、すぐに怒りに変わる。
「――おふざけを! その魔性の女に惑わされているのですか」
騎士団長が叫び、再び剣を振り上げて踏み出そうとする。
その瞬間、ユリウスの細い腕がすっと上がり、今度はその団長の首すじに冷たい剣先がピタリと当てられた。
「一歩でも動いてみろ。お前のその首を、明日の朝の会議でどんな罪にして吊るしてやろうか。その法律の条文を、今ここでたっぷり読み上げてやってもいいんだぞ」
凍るような低い声だった。
先ほどまで兄の幻にしがみついていた、脆い少年の姿はもうない。
「むっ……」
団長が歯をくいしばり、一歩下がる。
その隙に、レイリアは柱の影からさらに奥へと身を隠した。
追うべきか、引くべきか。
迷う騎士たちの背中で、ユリウスの目は激しく揺れていた。
(追うな……僕が行く。この建物の構造は僕のほうがよく知っている)
心の中でそう叫び、ユリウスは冷たい表情のまま、ざわつく騎士たちをにらみ続けた。
◇
聖堂の裏にある、静かな回廊。
月光が窓の格子をきれいに切り取り、冷たい青い光を床に落としている。
レイリアは足を止め、冷たい壁に背中を預けて小さく息をついた。
(あの子は……変わったようでいて、あの日のままね)
遠い記憶がよみがえる。
まだ小さくて、すぐに泣き出しそうだった弟。兄である自分の後ろにしがみつき、「置いていかないで」とふるえていた少年の姿が、今の冷たい皇子と重なる。
教会や貴族にいいように使われ、「理想の兄」という呪いにしがみついて生き延びてきたユリウス。その中にあるのは、ひどい世界に対する絶望と、誰も愛してくれなかったという深い孤独だ。
「女になってでも生き延びたいのか」
さっきユリウスが言った言葉が、耳の奥でチリチリと痛む。
その時、暗闇のほうから、静かな足音が近づいてきた。
(ひとりで、追ってきたのか……ユリウス)
白銀の衣を着たユリウスの姿が、月の光の中に浮かび上がった。
「――そこにいるんだろう、兄上」
震えるような、でもどこか切ない声だった。
レイリアは闇から姿を現し、逃げずにまっすぐ弟を見た。
「そんなところに隠れていたのか! いったいどういうことだ、説明しろ!」
ユリウスが近づき、レイリアの肩をつかもうと手を伸ばす。
しかし、その指先は服の端に触れたところでピタッと止まった。
目の前にいるのは幻じゃない。女の身体に変わった『兄』の現実だった。
「ふれないのか、ユリウス。女になったこの身体にさわるのは怖いか」
レイリアはわざと意地悪そうに笑ってみせた。
その声は、かつてユリウスが毎晩夢に見た、優しくて強い"遠い日の兄"そのものだった。
「ふざけるな……ふざけるなよ……」
ユリウスの目から、こらえきれなかった涙がひと筋、すっとこぼれ落ちた。聖人のような仮面が崩れ、その下から少年の本当の絶望があらわになる。
「わかったよ、ユリウス」
レイリアはバスタードソードを抜く。刀身に炎が帯びていく、込めた闘気が反応しているのだ。
「面白い、そんな非力な腕で……今の僕を叩きのめせるとでも思うのかい」
応えるようにユリウスも剣を構えなおした。
踊るように跳躍し、華奢な身体から繰り出されたのは、上段からの斜め払いと見せかけ、咽喉へ突き刺す極秘伝の変幻突。「プラズマ・フェニックス!」
「ならば、僕も。プラズマ・フェニックス!」
カキィィィィン。同じタイミングでふたりの同じ技がぶつかり合う。
「負けた……強くなったな、ユリウス」
レイリアは転がり落ちた。
「情けない、真似事のこんな技で倒されるなんて。そう、もう兄の真似じゃない。僕が本物になったんだ、この五年間、鍛え上げたこの技を見たか。違うか……兄の名をかたる女狐め」
「そうだな、その技はもう本物のプラズマ・フェニックスだ。だがな、この五年間、俺もただの令嬢に甘んじていたとでも思うのか。もう一度、撃って来い、お前の本気を」
「いいでしょう。今、楽にしてあげますよ、僕の剣で。これで、眠れ、兄の亡霊よ、プラズマ・フェニックス!」
「俺も、本気で答えてやる……、リフレクティング・プロミネンス!!」
ユリウスの秘剣を受け止め、すべてのエネルギーを、刃の返しとともに解き放つレイリア。
ルドォルルルルルュリュュュュン!!
凝縮された力は、まさに太陽の表面から吹き上がる紅炎
――『プロミネンス』となって爆発的な光条を放つ。
ユリウスは自ら放った威力を倍返しに受けて倒れ伏した。
「これなら、認めてくれるか……我が弟よ」
レイリアはそっとユリウスを抱き起した。
「僕がどれだけ苦しかったか知っているか!? 教会に縛られて、偶像として微笑み、処刑の判子を押し続けながら、いつか兄上が迎えに来てくれることだけを……あの日の約束だけを頼りに、ここまで生き続けてきたんだ! なのに、なんだよその姿は……僕を置いて、勝手に女の子になって、そんな姿で目の前に現れて……」
それは、野心でも、怒りでもなかった。
ただ厳しい世界でひとりで耐えてきた弟が、たったひとつの救いだと思っていたものを奪われたことへの、子供みたいな泣き言だった。
レイリアは、その冷たくふるえるユリウスの体を強く抱きしめ涙を拭ってやる。
「ううぅ……」
思わぬ温もりに、ユリウスの声が詰まる。
包み込むような体温は、まちがいなく彼が五年間探し求めていた『兄』のものだった。
「よくがんばったな、ユリウス」
優しくて心地いい声が耳元で響く。
「お前がこの街でどれだけの血を流し、どれだけの夜にびくびくしてきたか、私にはわかる。……ごめんな、ひとりにして」
「……あに……うえ……」
ユリウスの張り詰めていた糸が、プツリと切れた。
冷たい皇子はどこかへ消え、その場に崩れるようにレイリアの胸にしがみつき、子供みたいに声をあげて泣きじゃくった。五年間ずっとがまんしていた涙が、あふれ出してきた。
回廊を吹き抜ける冷たい夜風が、足もとを通り過ぎていく。
でも、胸のあたりにある熱は、今までで一番確かで、温かかった。
――歪んだ呪縛は完全に溶けた。
教会勢力を動かす最強の頭脳と、帝国を討つ最強の刃が、いま完全にひとつになった瞬間だった。
「もう泣かなくてよい、ユリウス」
レイリアは優しく、でも力強く弟の肩をつかみ、その涙でぬれたきれいな顔を持ち上げた。
碧い目に、強い強い闘志が宿る。
「ここからだ。これからは、ずっと一緒だ。力を貸してくれるか、ユリウス」
「ま、待っていましたよ……兄上」
ユリウスは乱暴に涙を拭うと、その青灰色の目に、強い光を宿して頷いた。




