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ふたりの皇子 前編

白亜の大聖堂。

月明かりがステンドグラスを通り抜け、床を青と赤のモザイクに染めていく。

お香の甘いにおいが鼻をつく。

けれど、ここにあるのは祈りの声じゃない。

張りつめた殺気だ。


「――どうしてだ、兄上」

静けさを切り裂いて、その声が響いた。


祭壇の前に立つ影は、月のように儚い。

白と銀の聖職者の服をまとい、絵から抜け出してきた聖人のように整った顔立ちの青年――ユリウス。

その淡い青灰色の目は、怒りと絶望でゆがみ、目の前に立つ女騎士の姿を見つめている。


レイリアは、足もとの象牙色のワンピースの裾を少し揺らした。

碧色のきれいな目が月光を浴びて潤む。

その視線は、静かな切なさをこめてユリウスを見つめていた。


「皇帝の座を奪ったライオスを倒す。そのためには、教会勢力を動かせるお前の力が必要だ」


ふたりで手を組み、戦力を五分以上にすること。それがレイリアの策だった。

帝国を覆う闇をぶち壊すため。この聖堂にひとりでやって来た。


しかし、再会した弟の反応は、レイリアの予想を完全に外した。


「答えろよ……!」

ユリウスの声が、聖堂の高い天井に響く。

彼はきれいな顔をゆがめ、信じられないものを見る目でレイリアをにらんだ。


「この五年、僕が誰を信じて生きてきたと思ってるんだ。僕を縛り続けた『理想の兄』は、もっと堂々として、圧倒的な力で僕の前にいたはずだ。なのに何だ、その姿は……!」


ユリウスの記憶にあるのは、昔からずっと憧れたまぶしい兄の姿。

教会や貴族に冷たい仮面をつけられ、孤独にで押しつぶされながらも、レナースという絶対に崩れない理想を支えにして生き続けた。


冷たい処刑の紙にサインしながらも、夜の暗い部屋でひとりで犠牲者の名前を呼び、正気を保ち続けていたのは、いつかあの"兄"が迎えに来てくれると信じていたからだ。


それなのに。

目の前に現れたのは、美しく変わり、女の身体になった"兄"だった。


「女になってまで、生き延びたいのか」


しぼり出すような声には、怒りだけじゃない。

積み上げてきた人生のすべてをめちゃくちゃにされたような、激しい拒絶が混ざっていた。


「皇子の、騎士の、男のプライドはどうしたんだよ、兄上……!」


剣の先が、レイリアの喉元にピタリと向けられる。


ユリウスの思考が、冷たく告げている。

この「変わってしまった兄」と手を組むことは、味方からの反発を買い、自分の立場を一瞬で危うくするものだと。

何より、心の支えだった「憧れ」が消えてしまった今、これを受け入れることは、自分のすべてが崩れることを意味していた。


(ダメだ。理屈じゃなくて、感情がこの子を縛ってる……!)

レイリアは一歩、大理石の床を踏みしめた。

ライトゴールドの髪がふわりと揺れる。

話そうと口を開けた、その時だった。


重い扉が、轟音とともに内側へと蹴破られた。


「――そこまでだ、異端の女狐め!」


怒声とともに飛び込んできたのは、銀の鎧を着た教会の聖堂騎士たちだった。

その数、十数人。

手にした剣が、冷たい月光を浴びてギラギラと光る。

先頭にいる騎士団長の目が、レイリアをとらえてぎらついた。


「月影の皇子ユリウス様を狙う不貞な輩め! 殺しても構わん!」


まさかの奇襲。

聖堂の外は完全に囲まれていた。

「待て、勝手に――」

ユリウスが止めようとするのも聞かず、騎士たちは一斉にレイリアへ向かう。


絶体絶命のピンチ。

しかし、レイリアの碧い目が鋭く光った。


    ◇


騎士たちの抜いた剣が一斉に青い光を放つ。

それはもう迷いのない、本気の殺気だった。


「――どけ」


張り詰めた空気の中、ひときわ冷たい声が響いた。


それは騎士たちではなく、祭壇の前に立つユリウスの声だった。

銀の髪を揺らし、冷たい目を光らせた月影の皇子は、手にした剣を騎士たちに向け直した。

その指先はまったく震えていない。


「ユリウス様! お下がりください! その女狐があなたを――」


「誰の許可をもらって、僕の聖堂に入ってきた?」


低い声が、騎士団長の言葉を遮った。


頭が良くて権力を持つ彼にとって、勝手に暴れる教会なんて邪魔な犬でしかない。

宮殿のドロドロした権力争いを生き抜いてきた彼にあるのは、ただの臆病な魂じゃない。

冷たい仮面の下に隠された、本当の野心と狂気だった。


「この人は、僕が自分で尋問する。一歩でも入ってきたら、お前らの首を異端審問に差し出すぞ」


そのすごい迫力に、騎士たちが怯む。


レイリアはその隙を見逃さない。

(今だ……!)

ワンピースの裾をひるががえし、足もとの石畳を蹴ると、壁の柱へと一気に走った。


「逃がすか……!」

ひとりの騎士が斬りかかってくる。

ギリギリのところで身をかがめてかわす。風を切った剣が、レイリアの髪を何本か切った。


ただ逃げるだけのレイリアじゃない。

目的は、ユリウスと手を組み、この腐った帝国をぶっ潰すことだ。

ここで捕まったら終わり。


レイリアは柱の影から、まっすぐユリウスを見据えた。

大きな碧の目が、揺れる弟の目をとらえる


「ユリウス! いつまで昔の幻に縛られてるつもりだ!」


澄んだ声が、高い天井に響く。


「私が男だろうと女だろうと、お前がこの腐った帝国で何をしたいのか、そんなものは変わらないはずだ!」


その言葉に、ユリウスの体がピクリと止まった。


五年もの間、教会や貴族に道具のように扱われ、「理想の兄」という幻だけを頼りに生きてきた彼の心に、大きなヒビが入る。


ユリウスが怖かったのは、兄が女に変わったことじゃない。

「理想の兄」がいなくなった自分が、またひとりぼっちの人形に戻ってしまうことだったのだ。


「うるさい……! お前は僕の……僕が求めた兄じゃない……!」


叫びながらも、ユリウスの剣はレイリアではなく、まわりの騎士たちの足もとへ向けられた。

カキィィィンとすごい音がして、火花が散る。


「手出しをするなと言ったはずだ。この女のことは、僕が決める」


狂気と理性がごちゃまぜになった弟の背中を見て、レイリアは確信する。

――この子はまだ壊れていない。利用されながらも、自分の意思を持った弟なのだと。


「だったら証明してみせろ、ユリウス。私を殺すか、それとも……私と一緒に来るか」


レイリアが手を差し出す。

その指先には、ふたりだけが知る約束のような、強い強い光があった。


窓を打つ夜風が激しくなった。


つづく

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