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女装だけじゃなくって……性転換までするなんて

宮廷に侍女として仕えながらも、ナディールはこの日に備えていた。


城下町の外縁、崩れかけた地下倉庫に設けた小さな隠れ家。

従来は、魔導の道具や雑貨を補完するための場所であった。


そこには、指示通り城の混乱を突いて先回りしていた従者のアギルが、息を弾ませて待っていた。


「ナディール先生! レナース様……! ご無事でしたか……!」


「ええ。……アギル、例のものを。早く」


ナディールが用意させていた手荷物の包みを解くと、そこには象牙色の上品なドレスが収められていた。彼女が少女時代に着ていた上質なドレスで大事に保管されている。王侯貴族のドレスよりは劣るが、仕立ての良い逸品であった。

「さあ、行きましょう。日が明けぬうちに帝都を出ます」



      ◇


冷たい夜霧が、しっとりと石畳を濡らしていた。


闇の奥から微かに響くのは、水浸しの路面を蹴る三つの足音。


城下町の出口を塞ぐ関所には、赤々とした篝火がいくつも焚かれ、夜空を不気味に焦がしている。

甲冑が擦れ合う冷酷な金属音が響く。



「息を潜めてください、レナース様、ナディール先生。……検問は、もう目と鼻の先です」


崩れかけた瓦礫の影に身を滑り込ませ、小声で囁いたのは従者の少年アギルだ。


素朴な衣服に身を包んだ彼は、ナディールが小間使いとして雇っている少年だ。

皇子レナースにとっても同年代の、数少ない気心の知れた遊び相手でもあった。


その背後で、黒い外套のフードを深く被ったレナースが、荒い息を殺す。

母である皇妃リリィの面影を色濃く受け継いだレナースは、誰もが息を呑むほどの絶世の美少年である。


今、大通りを見通す検問所は、尋常ならざる殺気に包まれている。

狡猾で抜かりのないことで知られる宰相リヒャルト公爵が放った伝令が、すでに届いているのだ。


――『逃亡中のレナース皇子は稀に見る美少年である。女装して関所をすり抜ける可能性が高い。女子供であっても老若を問わず、骨格や喉仏に至るまで入念に検分せよ』



鉄兜を被った衛兵たちが、通行人一人ひとりの顎を乱暴に持ち上げ、首筋の骨張りを執拗に撫で回している。


肩に担がれた火縄銃の銃身が、篝火を反射して鈍く光った。



「変じゃないかい、アギル」

金髪の長い(ウィッグ)を被って見せるレナース。皇子服に付いていた紋章や飾りはすべて外した。

せっかく用意していた象牙色のドレスは、丈夫な肋骨が邪魔をして着られなかったのだ。

「ズボンを脱げば、女性のワンピースに見えないだろうか。マントもあるし……」


「……無理ですよ」アギルが苦渋に満ちた呻きを漏らす。

「あいつら、女の喉仏まで指で探ってる。いくら顔立ちが綺麗だろうと、男子としての骨格までは隠しきれないよ」


退路を振り返れば、巡回兵の足音が狭い路地を塞ぎつつあった。

進むも退くも地獄。包囲網は確実に狭まっている。



「ふふ、残念ね。この程度のごまかしでは、リヒャルト公の放った猟犬たちの鼻は欺けないわね」

女魔導士の冷ややかな絹を裂くような、澄んだ声が影の中から落ちた。


夜色のローブを優雅にまとった女魔導師ナディールが、静かに歩み出る。彼女の紫色の瞳が、青ざめるアギルをじっと見据えた。


「――万物流転、小さき器へ命を託せ。アギル、まずは空から様子を見ておいでなさい」

ナディールが細い指先を払うと、淡い燐光がアギルを包み込んだ。


「うわっ、ちょ、ちょっと待って……! どうせなら格好いい鷲か鷹にしてくれよ――」


少年の抗議は小さな鳴き声へと溶け、手のひらに載るほどの、青みがかった灰色のムクドリへと姿を変えた。


主の無事を案じるように小さく羽音を鳴らした後、小鳥となったアギルは夜空の闇へと飛び去っていく。


               ◇


残された路地の暗がりで、ナディールはレナースの前にしなやかに膝をついた。

彼女の細長い指が、レナースの青白い頬を滑る。ひやりとした爪の感触に、レナースの肩がびくりと跳ねた。



「魔導で出来ることなど催眠術程度というのが世の常識。変身の魔道など、この世に存在しない――誰もがそう信じ込んでいるからこそ、完璧な隠れ蓑になる。……覚悟はいいですか、我が皇子?」


「……ああ。父上の仇を討ち、囚われた母上を救い出すためなら、どんな屈辱にだって耐えてみせる。さあ、やってくれ……ナディ」

レナースは己の胸に手を当て、気丈に頷いた。


指先には日々の修練で培った剣ダコがあり、細身ながらもしなやかに引き締まった筋肉が全身を覆っている。

それこそが、ルドルフ十六世の血を引く男児としての誇りだった。


だが、ナディールが魔法陣を作り、唇の奥で失われた古代の禁忌を紡ぎ始めた瞬間、その誇りは容赦なく崩壊の熱へと呑み込まれていく。



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