遠き夜明けへの飛翔
ズドォォォンッ!
激しい破壊音が、夜の空を揺らした。
なんとライオスの剣が叩きつけたのは、ナディールの体ではない。
限界まで魔力を注ぎ込まれ、破裂しそうになっていた足元の石床だった。
反魔の剣と高密度の魔力が激突し、凄まじい爆発が巻き起こる!
ガシャーン!
バルコニーの床が蜘蛛の巣状に砕け散り、崩れ去った。
「なんだと!?」
体勢を崩したライオスが手を伸ばすが、もう届かない。
足場を失ったナディールとレナースは、砕けた石の塊と一緒に、真っ暗な谷底へと真っ逆さまに落ちていった。
ごうごうと吹き荒れる風の音が、すべての音を消し去る。
落ちていく――
そう認識した瞬間、世界がひっくり返った。
(ただのクッションじゃダメ……ね! そんな魔法を使ったら、あの男に気取られる……!)
ナディールが空中で作り出したのは、優雅な風の壁ではない。
あえて不規則に荒れ狂う、小さな風のうねりの群れだった。
「……く、あうぅぅぅ!」
激しい風がふたりを乱暴に包み込み、落下のスピードを強引に削っていく。
右へ、左へ、上方へ。
身体があちこちに弾かれ、千切れそうなほどの衝撃が襲う。
(殿下だけは……絶対に守る……!)
ナディールはレナースをぎゅっと抱きしめ、自分の背中を落ちてくる岩や崖の岩肌にぶつけた。
ガツンと鈍い音が響き、背骨と肋骨に激痛が走る。
視界が真っ黒に染まりそうになる。
(まだ……倒れるわけには……いかないの)
意識が途切れそうになるギリギリで、血の混じった唇を開いた。
「――水よ(ア・ク・ア)!」
どぼぉぉぉぉん!!
耳がつんざくような、重い水音が響き渡った。
ふたりが飛び込んだのは、谷の底を流れる冷たい大川――『大帝河』だった。
水面にぶつかる衝撃を魔法で減らしたものの、あまりの勢いにナディールの意識はそこで途絶えた。
◇
冷たい水と砂の感触で、ナディールは目を覚ました。
「ごほっ! げほっ……」
飲んだ水を吐き出しながら、冷たい河原へ必死に這いあがる。
全身が引き裂かれるように痛い。
それでも彼女は、抱きかかえていたレナースをそっと砂の上に横たえた。
「殿下……! 殿下、お願いです……!」
蒼白になった少年の胸に、濡れた耳を押し当てる。
静寂のなか――
トクン。
……トクン。
小さくても、確かな命の鼓動が聞こえた。
ナディールの目から、ボロボロと大きな涙がこぼれ落ちる。
(生きてる……! 私の賭けに、勝ったんだ……!)
「……ふ、ふ……あはは……レナースさま」
激痛と安堵、そしてこみ上げる感情が混ざり合い、掠れた笑いが漏れた。
泥と血で汚れたメイド服の襟元を、残った力で破り捨てる。
服の下から現れた深緑のワンピースは、冷たい月明かりを浴びて静かに輝いていた。
濡れた髪が頬に張り付いていたが、その紫色の瞳は、夜空の星よりも強く激しく輝いている。
ナディールは眠り続ける美しい少年をそっと抱き起こし、立ち上がった。
「……参りましょう、殿下。いいえ――レナース様」
もう、命令に従うだけの侍女ではない。
ここに立つのは、正統な皇子を守り、偽りの皇帝をたたき落とすために立ち上がった一人の『女魔導士』だった。
遠くで赤く燃える城を、一度だけ冷たく見据える。
(奪われたものは、絶対にすべて取り戻す!)
その横顔には、もう迷いも絶望もなかった。
寒々しい谷の底から、新たな未来を告げる冷たい風が、静かに吹き抜けていった。




