禁断の罠、漆黒の猟犬 前編
「ジョアンめ、これで終わりだ。二度と帝都には戻れないだろう。しっかり見届けてこい、ザイム」
「はっ、お任せください。あいつらを確実に地獄へ送ってやります」
リヒャルト宰相の部下であるザイムは、軍師としてジョアンの部隊に入り込んでいた。
もちろん、彼がまともな作戦を出す気なんて一ミリもない。
◇
深夜の帝都。
冷たい雨が降りつけるなか、五十人の『赤狼騎士団』がしずかに出発していた。
ガチャガチャと重い鎧が擦れ合い、馬がベチャベチャと泥を踏みしめる音だけが暗闇に響く。
兵士たちの顔には、いきなりの出撃に対する不安と、決意が入り混じっていた。
「将軍、本当にこのままモンブラン領へ向かうのですか?」
そう話しかけてきたのは、副官のザイムだ。
雨に濡れた顔は、蒼白に見えた。
「帝都から配給された食料は、たったの3日分です。補給も期待できないまま山を越えれば、戦う前に全滅してしまいます!」
「分かっているさ、ザイム。苦労をかけるが、お前の知恵でなんとかしてくれ」
ジョアンは馬の手綱を握り直し、雨に濡れた毛皮をサッと払った。
(ライオス皇帝め……俺たちを伯爵の城にぶつけて、そのまま死なせるつもりだな)
ジョアンは、胸元から一通の手紙を取り出した。
出撃の直前に、こっそり届けられた密書だ。
差出人は――モンブラン伯爵。
『赤狼よ。若き皇帝の毒は、すでに帝国中に広がっている。俺の首が欲しいなら来ればいい。だが本物の武人なら、この遠征の裏にある恐ろしい真実を見極めてみろ』
伯爵もまた、皇帝ライオスのたくらみに気づいていた。
これはただの反乱じゃない。
伯爵は、ライオスが皇帝になるときに使った「絶対の秘密」を握っているのだ。
(伯爵と合流して、ライオスの悪事を暴く。それしか俺たちが生き残る道はない!)
ジョアンは馬を止め、後ろを振り返った。
暗闇のなか、ずらりと並ぶベテランの兵士たち。
叩き上げの自分を信じ、地獄までついていくと言いたげな、熱い視線を送ってくる。
「お前たち、よく聞け!」
ジョアンの腹から響くような大声が、雨の音をかき消した。
兵士たちがピタリと足を止め、一斉にジョアンを見上げる。
「この遠征は、甘いお散歩じゃない! だが安心しろ! 俺はお前たちを犬死にさせるために連れてきたんじゃないぞ!」
一息置いて、ジョアンは力強く叫んだ。
「全員でメシを食い! 全員で生きて帝都の酒を飲む! 俺の背中だけを見てついてこい!」
「「「オオオオオッ!!」」」
地鳴りのような大歓声が上がった。
兵士たちの目から不安が消え、闘志の炎がメラメラと燃え上がる。
だが――その熱気を冷やすように、一瞬で夜の静寂が打ち破られた。
シュッ――!
闇の奥から飛んできた一本の黒い刃が、ジョアンのすぐ隣にいた兵士のノドを深く貫いた。
「ぐわぁ……!?」
ボトボトと血が飛び散り、ジョアンの頬を濡らす。
兵士が馬から転げ落ちると同時に、道路の両脇にある深い森から、ゾロゾロと「異形の集団」が飛び出してきた!
それは帝国の正規軍ではない。
全身を真っ黒な魔法の鎧で包み、人間離れした動きで迫ってくる怪人たち。
――皇帝直属の秘密暗殺部隊『漆黒の猟犬』だ。
(な……!? なぜここに皇帝の刺客が……!?)
「ハハハ! 流石は“レッドウルフ”、いい声で部下を煽るじゃないか!」
木々の間から、甲高いバカにしたような声が響いた。
黒い仮面をつけた男が、枝から枝へとジャンプしながら姿を現す。
その手には、不気味な紫色の毒気を放つ湾刀が握られていた。
「ライオス陛下からの伝言だ!『遠出する手間を省いてやる。モンブラン伯のところへ行く前に、ここで全員死ね』とな!」
ライオスは、共倒れすら待つつもりはなかったのだ。
出撃の混乱に乗じて、帝都を出た瞬間にジョアンの首を斬る。
これこそが、皇帝の冷酷な計画だった。
「囲め! 一人も生かして返すな! レッドウルフの首を取った奴には、爵位と金貨千枚をやるぞ!」
闇の中から、数百を超える黒い刺客たちが、腹をすかせた狼のように襲いかかってくる!
ジョアンの部隊は隊列を分断され、大混乱に叩き落とされたのだった――。




