黄金と紅蓮の光
「問題は、あのライオスの怪物じみた『肉体』だな」
クロードが影の中から一歩進み出ると、細い指先で自身の短剣の柄を軽く叩いた。
その声には、冷徹な分析と、どこか楽しげな戦慄の色が混じっている。
「魔剣を抜かぬままで、"姫"様の炎の短剣を素手で受け止めた。……あれはただの武術の域を超えている。ライオスは魔剣を持たずとも魔人の如し、とかいう噂、どうやら本当らしいな」
「……ええ。想定以上だったわ」
レイリアは乱れた金色の髪を背中へと払い除け、冷たく鋭い光を宿した瞳を夜の皇城へと向けた。
悔恨はない。
あるのは、さらに研ぎ澄まされた殺意と、次なる一手を導き出すための冷徹な計算だけ。
五年前、すべてを奪われたあの夜から、今日のこの瞬間まで、この命は復讐のためにあった。
今回は罠にかけられ、討ち損じたかもしれない。
しかし、ライオスの寝所に『魔剣』を持ち出させず、その生身の防壁の底を暴いたこと
――それは決して無駄な一歩ではない。
「アギル」
レイリアが低くつぶやくと、肩にとまっていた青灰色のムクドリが鋭く鳴き、再び夜の闇の彼方へと飛び立った。帝都の街並み、そして城内の動向を監視するための新たな斥候の飛行。
「……行こう」
レイリアは侍女服から着替えると平服の白いワンピースの裾を翻し、峡谷のさらに深い闇へと歩き出す。
その後ろに、相棒のアルティスと、影の男クロードが音もなく従った。
復讐の夜は、まだ終わらない。
碧色の瞳は闇夜の中でいっそう妖しく、そして美しく、冷たい星の光を反射して燃え盛っていた。
◇
――湖水地方・レーク侯爵領
侯爵邸の裏手に広がる修練場は、まだ朝霧の冷たさを微かに残していた。
石造りの壁を蔦が這い、梢の隙間から差し込む朝の陽光が、地面に柔らかな木漏れ日の斑紋を描いている。
その静けさを裂くように、澄んだ金属音が鳴り響いた。
「……くっ!」
細い足が小石を蹴り、レイリアの身体が後方へと小さく弾む。
高く束ねた黄金のポニーテールが、宙に煌めく軌跡を描いて揺れた。
手にしたバスタードソードの切先が、かすかに震えている。
「ほらほら、どうした? 踏み込みが甘いぜ、お姫様。そんな小娘のような剣じゃ、俺の腕すら折れやしない」
数歩先で、大剣を肩に担いだアルティスが、からかうように琥珀色の瞳を細めていた。
遊び人のように軽薄な笑みを唇に浮かべてはいるが、その足取りには寸分の隙もない。
黄金の髪を陽光に透かせた姿は、かつて皇家を守護していた若き黄金の近衛騎士と謳われた風格を、隠しようもなく漂わせていた。
レイリアは呼吸を整え、湖の底の静けさを湛えた碧い瞳でアルティスを射抜く。
「口を慎め、アルティス。私は本気で来いと言ったはずだ」
「本気を出せって言われてもなぁ。……見てみろよ、その細い腕を。バスタードソードは重すぎやしないか」
アルティスが視線を落とす。
仕立ての良い練習着の袖から覗くレイリアの手首は、陶器のように白く、あまりにも華奢だった。
かつて男児として――レナース皇子として剣を振るっていた頃の、鋼のような筋肉はもうない。今のレイリアは、どこからどう見ても庇護を必要とする可憐な女の身体そのものだった。
「……わかっている。しかし、両手でも片手でも扱えるこの剣でないと」
通常のバスタードソードよりも軽量にカスタムされていて形状もレイピアに近い。
レイリアは自嘲するように、けれど決して折れぬ光を瞳に灯してつぶやいた。
「女の筋力では、どれほど鍛錬を積もうと、大男の一撃を力でねじ伏せることはできない。ましてや、父上を討ち取ったライオスの剛腕や、ロファードが差し向けるハイエナどもの力任せの凶刃には、到底太刀打ちできん」
だからこそ、編み出さねばならなかった。
力で劣るならば、敵の力を奪えばいい。
剛力をもって叩きつけられる破壊のエネルギーを、そっくりそのまま相手へ送り返す。
「私の研究してきたカウンター殺法――その極致を、今ここで完成させる」
レイリアは細い指でバスタードソードの柄を握り直した。
呼吸を深く沈めると、華奢な身体の奥底から、かつて帝王の血を引く者だけに許された高貴で苛烈な魔力が立ち上る。冷徹な碧の瞳の奥に、チリチリと紅蓮の火花が宿った。
「『リフレクティング・プロミネンス』。……それが、この技の名だ」
「プロミネンス……太陽の紅炎、か」
アルティスの表情から、ふっと軽薄さが消えた。
「相手の放つ物理的な膂力、刃に乗せられた気力、そして魔力……そのすべてを己の切先で受け止め、渦を巻くように巻き取り、倍以上の威力へと増幅させて撃ち返す、攻防一体の決め技だ。跳ね返す熱量は、まさに紅炎のごとき破壊力となる」
「倍以上にして跳ね返す……だと。言うのは簡単だが、理屈が無茶苦茶だ。もし受け流しの角度や魔力の同調が、コンマ一秒でも狂ったらどうなる?」
「……相手の威力と己の増幅させた魔力が、そのまま己の肉体を内側から引き裂く」
レイリアはこともなげに言い放った。
自滅の危険を孕んだ、まさに命を賭した諸刃の剣。
「おいおい、冗談だろ……! そんな危険な技、実戦で使えるわけが――」
「冗談でこんな場所に立っていると思うか!」
鋭い一喝が、朝の空気を切り裂いた。
レイリアのまとう気迫に、アルティスは一瞬、息を止めた。
「私には、時間がない。父上を惨殺され、故郷を奪われ、姿を変えて生き延びた私に残された道は、玉座を奪還することのみ。平穏な令嬢の暮らしに甘んじるくらいなら、この身など惜しくはない! ……打ってこい、アルティス。貴様の全霊の剣を、私に叩きつけてみせろ!」
彼女の背後に、かつて帝国を統べていた先帝ルドルフの、そして誇り高きレナース皇子の覇気が陽炎のように揺らめいた。
アルティスは、深く息を吐き出す。
琥珀色の瞳の奥に、本物の騎士の光が宿る。
「……わかったよ。そこまで覚悟を決めているなら、俺も手加減はしない。死ぬ気で拾いな、お嬢、いや、レナース殿下!」
アルティスが地を蹴った。
その長身からは想像もつかない神速。
黄金の闘気を刃に纏わせ、上段から振り下ろされる渾身の一撃は、空気を爆ぜさせ、轟音とともにレイリアの頭上へと迫る。並の戦士であれば、その重圧だけで腰を抜かすほどの威圧感。
だが、レイリアは一歩も引かなかった。
(――引きつけろ。もっと、極限まで……)
迫り来る刃の軌道、アルティスの筋肉の収縮、魔力の奔流。
世界のすべてが、まるで氷が張り詰めたようにスローモーションへと減速していく。
レイリアはバスタードソードを斜めに構え、刀身に魔力の皮膜を極薄に展開した。
激突の刹那――。
カギィィィィンッ!
甲高い金属の絶叫が響き渡る。
アルティスの剛剣が放つ破壊の威力が、レイリアの細い刀身へとなだれ込んだ。
その瞬間、レイリアの腕の骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げる。途方もない運動エネルギーが、か弱き女の身体を押し潰そうと荒れ狂う。
(恐れるな……呑み込め! 私の炎で、すべてを従わせろ!)
レイリアは切先をわずかに螺旋を描くように旋回させた。
激突する力を直線で受けるのではなく、円の軌道へと滑らかに導く。
アルティスの黄金の闘気と、自らの内に秘めた紅蓮の魔力が、バスタードソードの切先で激しく絡み合い、圧縮され、熱量を何倍にも膨れ上がらせていく。
火花が散り、青白い朝の光が、見る間に灼熱の朱へと染まりゆく。
「いっ……けぇぇぇぇ、『リフレクティング・プロミネンス』!!」
レイリアの凛とした叫びが木霊した。
受け止めたすべてのエネルギーを、刃の返しとともに解き放つ。
凝縮された力は、まさに太陽の表面から吹き上がる紅炎――『プロミネンス』となって爆発的な光条を放ち、アルティスへと逆流した。
「なっ……!?」
アルティスの目が見開かれる。
自分が叩きつけたはずの数倍の衝撃と熱波が押し寄せてきたのだ。
ドォォォォンッ!
轟音とともに強烈な衝撃波が吹き荒れ、修練場の敷石が放射状にめくれ上がった。
アルティスの手から大剣が弾き飛ばされ、弧を描いて石壁深くに突き刺さる。自身もまた、その凄まじい風圧に抗いきれず、数メートル後方へと押し戻されて両足で深く土を削った。
巻き上がった砂煙が、朝の風に吹かれてゆっくりと晴れてゆく。
その中心に、レイリアは立っていた。
サーベルを中段に構えたまま、ポニーテールの毛先を焦がす熱風のなかで、肩で息をしている。
両腕は激しい負荷で小刻みに震え、手のひらからは微かに血が滲んでいたが――その瞳は、確かな手応えと勝利の光を宿し、眩いほどに輝いていた。
「……ははっ、嘘だろ」
アルティスは痺れて感覚のなくなった己の右手を呆然と見つめ、それから天を仰いで苦笑した。
「倍返しどころの騒ぎじゃないぜ。……完全に、俺の負けだ」
膝をつくこともなく、誇り高く立ち尽くすレイリアの元へ、アルティスはゆっくりと歩み寄る。
そして、からかうような色をすっかり消し去った真摯な礼を執り、深々と頭を垂れた。
「お見事でした、殿下。……これなら、ライオスの首にだって届く」
レイリアは切先を静かに下ろすと、ふっと息を抜き、薄い唇に微かな笑みを浮かべた。
「まだ……一撃を通したに過ぎん。だが、道は見えた」
朝霧がすっかり晴れた空から、柔らかな陽光が降り注ぎ、ふたりの黄金の髪を神々しく照らし出す。
過酷な運命に抗うための紅蓮の刃は、今、確かにその産声を上げたのだった。




