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アルティス、最後の賭博(ギャンブル)

無数の足音が、波のように押し寄せる。

逃げ場のない、絶体絶命の包囲網。


「レイリア!」

近衛騎士の鎧を纏ったアルティスが、群がる衛兵たちの間を割って突入してきた。彼は衛兵の一人を盾で殴り飛ばし、崩れ落ちるレイリアの腕を力強くつかみ上げる。


「一歩も遅れるな、ここから出るぞ!」

「アルティス……!」

二人は、殺気立つ近衛兵の群れを強引に突き破る。

炎と煙の立ち込める寝室から外の廊下へと飛び出した。


だが、続く回廊の前後からも、さらなる増援の漆黒の影が次々と現れ、退路を完全に塞ぎにかかる。

前後不覚。逃げ場なし。

突き当たりの行き止まりとなった城の回廊で、二人は重い鎧の足音に完全に包囲された。


「すまない、アルティス。私が功を焦った、この程度で討てる敵ではなかったんだ」



        ◇


「飛ぶぞ、レイリア!」


「貴様、正気か……前に私が助かったのは魔導のおかげだ。しかも、そんな鎧のまま落ちたら」


背後では黒い甲冑を纏った近衛兵たちが津波のように押し寄せてくる。戟や長槍が床を叩く不気味な足音が、逃げ場のない空間の空気をびりびりと震わせた。


前方も塞がれている。十字路の角を曲がった先からも、鉄兜をかぶった新たな追手の影が漆黒の波濤となって迫っていた。


逃げ場なし。文字通りの完全包囲。

だが、アルティスの双眸には焦燥の色など微塵もない。彼は重い近衛騎士の鎧を鳴らしながら、一瞬の迷いもなくレイリアをその強靭な腕の中に抱え込んだ。


「つかまってろ、ぶっ飛ぶぞ!」

「――!」


思考の隙すら与えられない。アルティスが踏みしめた石畳が、すさまじい踏み込みの衝撃でひび割れ、砕け散った。


次の瞬間、二人の身体は宙へと舞い上がっていた。城の裏手の暗黒の峡谷だ。


アルティスが鎧の重みを乗せ、ステンドグラスの窓へと突撃した。


ガシャアァァン!!


幾千もの色鮮やかなガラス片が、夜の月光を浴びて宝石のように砕け散り、四方八方に弾け飛ぶ。美しい聖者の絵柄が、一瞬にして夜風に舞った。

冷たい突風がレイリアの金色の髪を激しく逆立て、身体を凍てつかせる。


「この高さ……水面は石畳より硬いぞ」


「わかってる、この鎧がどれだけ持つかだ!」


「馬鹿、助かっても沈む……」


「しゃべるな、歯を食いしばれ。運がよければ死なない」


眼下に広がるのは、帝都城壁の直下に口を開けた、切り立った断崖絶壁と険しい峡谷。五年前、レイリアが、いやレナース皇子が、絶望に泣きながら逃げた、血と泥の記憶が染みついた場所。


アルティスは重い近衛騎士の鎧を纏ったまま、迷うことなくその闇の底へ身を躍らせた。


重力と夜風が、耳元で恐ろしいほどの轟音を立てて逆巻く。胃の腑が浮き上がるような強烈な落下感のなか、レイリアは反射的にアルティスの首元に腕を回し、その固い胸板へと顔をうずめた。「アル……」


「俺を信じろ。酒場の賭博で負け続けたのは、ここで運を使うためだったってな」


(レイリアを死なせるわけにはいかない。――ここで終わらせてたまるものか!)



       ◇




「ピピ……!」


岩肌を削るような摩擦音とともに、二人は大河に浮いていた。探しに来たアギルの羽音が聞こえる。



「――お見事。相変わらず荒っぽい仕事だな、アルティス」


闇のなかから、乾いた低い笑い声が響いた。

黒衣に身を包んだクロードが、顔の半分を布で覆った姿で静かに佇んでいる。


その足元では、斥候役の青灰色のムクドリ――アギルがふわりと羽ばたき、クロードの肩にとまって鋭い瞳で頭上の峡谷を見上げた。


頭上のはるか高い城の窓から、無数の近衛兵たちが松明を掲げ、怒号を上げながら顔を覗かせているのが見える。だが、暗黒の峡谷と複雑に入り組んだ地形に、彼らは、もはや正確な追撃の糸口を見失っていた。


「……追手は?」

レイリアはアルティスの腕からするりと降り立ち、その場で呼吸を整えながら冷たく問いかけた。

膝をついた足元の土埃が、冷たい夜風に舞っている。

「峡谷からの出入りは、もう……懲り懲りよ」


計画は狂った。ライオスの『魔剣』なき肉体の異常なまでの強靭さは、事前の見積もりを遥かに超えていた。父の仇をその手で討ち果たすには、今のままでは圧倒的に刃の切れ味が足りない。


だが――。

「ハッ、あんな鉄屑どもが、この険しい峡谷を降りられるわけがねえ。完全に撒いたさ」

アルティスは荒い息を吐き出しながら、邪魔になった重い近衛騎士の黒い鎧を乱暴に引っぺがし、夜空へと投げ捨てた。ガチャリと底知れぬ谷底へ装甲が落ちていく音がした。

「いつか……正門から帰すさ、あんたのお家に」

その精悍な顔立ちは、極限の修羅場を潜り抜けた高揚感で不敵に笑っていた。



つづく

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