追い詰められた野良犬
「そうか、ここがあの男の隠れ家か」
アルティスは通路の隅に、倉庫のような部屋を見つけた。
――轟音。
分厚い鉄扉が蝶番から引きちぎられ、ひしゃげた鉄塊となって地下通路に吹き飛んできた。
白煙の向こうから現れたのは、漆黒の鎧――皇帝の右腕、リヒャルト宰相直属の追跡者たちだ。
爆発の数秒前。
アルティスの頸動脈を捉えていた冷たい刃の感触は、ふっと掻き消えていた。
圧倒的な死のプレッシャーは嘘のように霧散し、甘ったるい香木の匂いだけが漂っている。
◇
「探せ! 逆賊と『黄金の剣』はここにいるはずだ!」
号令と共に、黒い重装騎士たちがなだれ込んでくる。
アルティスは傾いた床を転がり、背後から打ち抜いた重石弓の矢を間一髪で躱した。
割れた壁から溢れた地下水が、床板をジュワジュワと濡らしていく。
無手。頼みの剣は奪われたまま。
アルティスは床に目を遣り、赤錆だらけの短剣を拾った。
振り下ろされたハルバード(斧槍)の斬撃をかろうじて逸らすが、腕の骨が軋む衝撃に顔が歪む。
「おい、情報屋!」
剥製を真っ二つにする横薙ぎをしゃがんでかわし、アルティスは叫んだ。
「あんたの『資産』が荒らされてるぞ!」
『くくっ……』
酷薄な笑い声が、真上から降ってきた。
崩れかけた天井の梁の上。コウモリのように、外套を纏ったクロードがしゃがみ込んでいる。
完璧な気配遮断。真下にいる審問官たちは、頭上にこの男がいることにすら気づいていない。
クロードは美麗な赤紫の瞳を細め、手にした『黄金の剣』を弄びながら乱戦を見下ろしていた。
「資産の防衛? いいや、これは投資の『査定』だよ」
十数尺も離れているのに、その声は耳元で直接囁かれたように鮮明に響く。
「皇帝の喉を裂くと言うなら、牙の鋭さを見せてみろ、野良犬。それともお前ごと帝国に売ってやろうか?」
「ふざけるな。情報屋め、俺が野良犬なら、てめえはハイエナか」
アルティスは歯噛みし、傍らの火鉢を蹴り倒した。
赤い炭が散らばり、床の錬金薬に引火する。
瞬間、青白い業火が爆発的に燃え広がり、追跡者たちの悲鳴が上がった。
混乱の隙を突き、アルティスは跳躍。
錆びた短剣を追跡者の首の隙間に深々と突き立てる。生温かい血が拳を濡らした瞬間、酷使に耐えきれず短剣の根元がへし折れた。
――直後、ヒュッと空気を裂く音が頬を掠める。
頬骨に走る熱い痛みと、急速な麻痺。クロードの放った毒針だ。
だが、その針はアルティスをすり抜け、背後から迫っていた別の追跡者の眼窩に突き刺さっていた。
「おっと手が滑った。暗殺部隊上がりなものでね、つい癖が出ちまう」
芝居がかった声。
助けたのではない。動きを鈍らせるための悪辣なテストだ。
「この、イカれ野郎……!」
アルティスは呼吸を浅くして毒の回りを抑えようとした、その時。
青い炎の壁を突き破り、ひときわ巨大な影が姿を現した。
巨大な戦鎚を構える部隊長だ。
「天井のネズミもろとも、叩き潰してやる!」
振り上げられた戦鎚が梁を粉砕する。
ガラガラと崩れ落ちる瓦礫の中、クロードは舞い散る羽のように優雅に宙を舞った。
そして、空中から『黄金の剣』を無造作に放り投げる。
アルティスへ、ではない。
荒れ狂う青い錬金炎の中心――最も熱が渦巻く火の海の中へ。
「さあ拾ってみせろ! 帝国の支配を覆すほどの狂気があるならな!」
歓喜に瞳を輝かせるクロード。
迫り来る戦鎚。視界を奪う青い炎。手足の痺れ。
アルティスは一瞬の逡巡すら見せなかった。
防御を捨て、自ら業火の中へ身を投じる。
皮膚を焼く凄まじい熱波。
だが、アルティスの右手は確かに、炎の中に突き刺さった『黄金の剣』の柄を掴んでいた。
「剣よ、もし、まだ俺をその主と認めてくれるなら……」
その瞬間、剣から放たれた眩い光は、炎に焼かれるよりも早くアルティスの体を包み込む。
その両手には、ずしりとした確かな重み。
「見せてやるよ……!」
炎の中で立ち上がる双眸は、錬金火よりも熱く、暗い野心に燃えていた。
「野良犬が、どうやって皇帝の首を食いちぎるかを!」
上空で体勢を立て直したクロードは、思わず息をのむ。
圧倒的な劣勢の中での、傲慢なまでの悪足掻き。その振る舞いに、腹を抱えて笑い出した。
「はっ……はははは!」
戦鎚が頭上に振り下ろされる。
だが次の瞬間――
炎を切り裂く黄金の閃光が、地下の闇を真っ二つに薙ぎ払った。




