女の御機嫌とりなら御免だぜ
「な……」
アルティスは声さえ出なかった。
呆然と立ち尽くすアルティスを見上げ、令嬢は面白そうに片眉を上げた。
「どうした? 幻影でも見た顔をしているぞ」
「こ、皇妃様、いや……そんなはずはない。貴女は……誰なんだ?」
「そう怯えるな。私の名はレイリア。お前の父上、レーク侯爵の養女となった身だ。つまり、貴様の義妹ということになる。よろしく頼むぞ」
「冗談だろう、父上からは何も聞いていない。それよりあんた、見かけによらず只者じゃないな。何者だ?」
「何者であろうと関係あるまい。侯爵から護衛を命じられたのだろう? だが、護衛など不要だ。私が欲しいのは本物の騎士だけだ、アルティスとやら」
レイリアは流れるような所作で壁に歩み寄ると、掛けられていた二振りのサーベルのうち、一振りを手挟み、もう一振りを容赦なく放り投げた。
「くっ……何の真似だ!」
とっさに宙を舞う柄を掴み取った瞬間、空気が凍りつく。
(私を失望させるなよ……これが母上の見込んだ希望の騎士だとはなっ)
鋭い破空音とともに、レイリアの細い切先が居合斬りのごとき神速でアルティスの間合いへ踏み込んできた。
反射的に引いたわずかなステップ。ひやりとした刃の気配が頬を掠め、切断されたアルティスの金髪が数本、ふわりと光の粒のように宙を舞った。
「ほう……よく躱したものだ。ならば次は、貴様から打ってこい」
「おいおい、腕試しってわけか? 冗談じゃない、女に刃を向ける趣味はないよ」
「甘いな。では、私が打つ……避けられると思うな」
レイリアの身体が右へ動く。
アルティスも右へ距離をとるが、しかし、レイリアのサーベルが別方向から襲い掛かる。
一本の件を駆使した疑似的な二刀流。
ぎりぎりのところで受け流すアルティス。冷や汗が顎に伝う。
「なぜだ。その構え……なぜ貴女が、その剣術を知っている?」
「ふふっ、なんとか止めたか。しかし、これはどうかな」
レイリアの姿が消えた。電光石火の動き、上段に構えていたはずのサーベルが、下方向から斬り上げられて来る。後方にステップして外すつもりのアルティスだが、レイリアの剣の軌道は斬るから突くに変化した。
「奥義・鳳閃――!!」
「うっ……」
アルティスの喉元にサーベルの切先がピタリと吸い付いて止まった。
「なんというコントロールだ。この剣技は……剣聖直伝の剣術。かつて、あまりの才能から将来は『皇帝』か『剣聖』かと呼ばれた方がいらしたが」
「ようやく気づいたか。貴様も"天才"と呼ばれた男の一人だろ。母上がお前を"天才"と呼んだのは、少々買いかぶりだったらしいな」
「母……、まさか……」
「名乗るのが遅れたな――今は女の身だが、かつてレナース・ルドルフ・フォン・ステラルプスと呼ばれた男だ」
硬質な石造りの床に、カラーンと乾いた金属音が虚しく木霊した。
手から滑り落ちたサーベルが転がっていくのも構わず、アルティスは声すら失い、ただ口元を震わせる。
「……レナース……殿下……?」
「おい、そこまで驚くか? というか、荒唐無稽な名乗りをよくもあっさりと信じられたものだな」
呆れ顔を浮かべたのは、むしろ名乗ったレイリアのほうだった。
「信じるに、決まっている……」
震える息とともに、アルティスの唇から熱い言葉が零れ落ちた。
「その光の奔流のように煌めく黄金の髪、湖の底の静けさを湛えた澄んだ碧の瞳……若き日の皇妃、リリィ様の生き写しではないか。それだけではない。騎士という無数の星々を輝かせる唯一の太陽、自ら熱と光を放つ至高の存在――皇帝ルドルフ陛下と同じ覇気。貴方様がレナース皇子でなければ、この世のどこに真の主がおられようか」
膝をつきアルティスは、拾い上げたサーベルをわが胸に向け、剣を捧げた。
見つめる令嬢の瞳に、かすかな揺らめきが宿った。
「待て、お前が捧げる剣はそれではないだろう。取り戻して来るといい、……黄金の剣を」




