失われた黄金の剣
あれから、五年ばかりの歳月が流れた……。
令嬢としての生活に慣れ始めたレイリアは、"ある男"と出会う。
「私の騎士よ。どうか、この国にいつまでも輝ける光を……」
差し出された黄金の剣。
柄に巻かれた極上の飛竜の革が、吸い付くように手の平に馴染む。
ずしりとした冷たい重みは、己の命を懸けて絶対の忠誠を誓うに足る、確かな重心を持っていた。
「我が命に代えましても……」
若き騎士アルティスは、皇妃リリィの白魚のような指先から、恭しく一振りの剣を受け取った。
――その剣を振るう日は、意外にも早く訪れた。
世界は突如として暗転し、皇弟ライオスによる、謀叛の夜。
皇帝ルドルフ16世は討ち死にし、華やかだった宮廷は瞬く間に業火に包まれる。
耳をつんざく怒号と悲鳴。
バルコニーに吹き込む氷のような夜雨が、アルティスの頬を無慈悲に打ち据えた。
全身を分厚い黒鋼の甲冑で包んだその敵兵たちを、アルティスは黄金の剣でなぎ倒す。
ギャリィィィッ!!
しかし、多勢に無勢。敬愛する皇妃リリィを守りきることは叶わず。
「皇妃様……!!」
背中から底なしの暗闇へと真っ逆さまに落ちていく猛烈な浮遊感。遠ざかる炎の明かりの中、手を伸ばすが届かず。
皇妃リリィの姿が、雨のヴェールに溶けていく。
「ぐわっ……は、あ……!」
気管を火箸で焼かれたような大きな吸気とともに、アルティスは跳ね起きた。
あの夜から、すでに五年近い歳月が流れていたというのに、眠りの浅い夜にはその夢を。
嫌な冷や汗が、薄汚れた麻のシャツをべっとりと肌に貼り付かせている。
視界の端で揺れるのは、煤けたランプの鈍い灯り。
鼻を突くのは、酸い焦げた麦酒の匂いと、安っぽい薔薇の香水、それに、古い家屋のカビの臭い。
藁が詰められ、所々が不自然に凹んだ安宿の硬いベッドだった。
「……どうしたのよ、急に大声出して。悪夢でも見たの」
隣で身じろぎした女が、気怠げな声を上げた。けばけばしい紅を引いた唇から、甘ったるい安酒の吐息が薫る。
アルティスはその腕を、無言で乱暴に振り払った。
「痛いわね……なによ、あんた!」
娼婦の甲高い声を無視し、アルティスはベッドの端に腰を下ろして頭を抱える。
手に触れる自分の髪は、脂と泥で汚れきっていた。
かつて『黄金の近衛騎士』としての精悍な面影は、もはや微塵もない。
「そうだ、俺は……剣を、あの剣を手放した。もう、騎士でも何でもない」
昨夜の記憶が、胃液と共にこみ上げてくる。
埃と煙が立ち込める薄暗い賭博場。投げられたダイス。他人の手に渡っていく金貨。
そして、最後にテーブルに置かれた、己の半身とも言える”黄金の剣”。
質屋の親父の、値踏みするような卑しい視線と、カウンターに放り出された端金。
その金で作った、束の間の酔いと、隣にいる女の体温。
「……俺は」
喉の奥から、傷ついた獣の呻きのような声が響く。
あろうことか主君への誓いすらも博打の種にして売り払ったのだ。
吐き気がする。己の存在そのものに。
だが、それ以上に――
あの剣だけは。黄金の剣だけは、薄汚れた質屋の棚で埃を被らせておくわけにはいかない。
あれは、皇妃からの信頼の証、そして最後の希望なのだ。
アルティスは血の滲むほど強く唇を噛み締めると、ベッドの傍らに放り投げられていた擦り切れた革のブーツをひっつかんだ。靴紐を乱暴に結ぶ指先には、まだ悪夢の中の激突の痺れと、強烈な渇きが残っている。
「どこへ行くのさ!」
女の怒声を背に、アルティスは軋む木製のドアを蹴り開けた。
肌を刺すような夜明け前の冷たい風が、彼の熱に浮かされた頭を僅かに冷やす。
泥に塗れようと、這いつくばろうと、あの剣だけは、必ず己の手に取り戻さねばならない。
裏路地の質屋へ急ぐ。
閉じられた扉を、朝っぱらから叩きつけた。
「残念だが、買い戻すにはそれ相応の金が要るんだよ、わかったか。お前に貸した金、手数料と利息を含めて金貨三千枚。あと、ひと月だけ待ってやる。間に合わなければ、あの件は質流れとなるだけだ」
「違う、あれは、あの剣は訳ありなんだ。今すぐ返してくれ」
「ああ、わかっているさ。あの剣は高く売れる。売れたら、また、遊ぶ金を融通してやるよ、アルティス」




