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黄金の剣と若き騎士アルティス


「下がれ、アルティス! 玉座の前へ出るな!」

名君と讃えられた皇帝ルドルフ16世の叫びは、己の血を噴き出す音にかき消された。


金糸の帝国章を染め上げるのは、味方であったはずの『黄金の騎士団』が流した血だ。

襲撃者は外敵ではない。

帝国の誇りである近衛騎士団が、あろうことか皇帝の胸を深々と貫いていた。



(わし)はもう持たぬ……リリィと皇子を連れ、逃げよ。行け、アルティス!」


若き近衛騎士アルティスは、崩れ落ちる皇帝の最期の言葉を聞いた。


城壁を撃ち砕いた攻城砲の轟音が、千年の静寂を誇るステラルプス帝国の皇城を揺るがした。砕け散るステンドグラスが甲高い悲鳴をあげて降り注ぎ、月明かりを浴びて無数の刃となって煌めく。

挿絵(By みてみん)



       ◇


その惨劇の渦中――

大理石の円柱の陰で、ナディールは逃走路を開く術式を床へ刻んでいた。

今ここで姿を晒せば、皇子を城外へ逃がす最後の手段が失われる。


乱れた白銀の長い髪を手早く項の後ろで束ねる。純白のエプロンドレスには、すでに生々しい返り血が斑点となって散っていた。


彼女の不安げな瞳の先では、謀反の兵たちの手により、寝所から引きずり出されようとする皇妃リリィの姿があった。その背後で、リリィは皇子・レナースを固く抱き締めていた。


「ナディール、……この子を」

リリィ妃はレナースをそっと侍女の腕へ託した。兵士たちの隙間を抜けて駆け出すナディ―ルと皇子。


リリィがわざとその反対側へ逃げると、彼女の華奢な肩を兵士たちが乱暴に掴みかかった。



        ◇


「その汚らわしい手を放せ!裏切り者どもめ!」


凶刃の群れを切り裂き、躍り出た影があった。

アルティスだ。

真新しい黄金の甲冑を軋ませ、少年特有のしなやかさを残した身躯で兵を薙ぎ払う。

最年少で近衛騎士団へ入団して間もなく、まだ二十歳にも満たない。


「皇妃様には、指一本触れさせはしない!」


アルティスは荒い呼吸を整え、長剣を構え直した。かつてリリィ妃から直々に下賜された黄金の剣。手の平に滲む脂汗が、丹念に巻かれた柄革を冷たく濡らす。


「アルティス、無事だったのですね」

上質な濃紺のベルベットローブ。胸元を飾るアンティークレースは乱暴に引き裂かれ、純白の麗しい肌に黒々とした煤が一条走っている。銀糸で百合を縫った優美なローブの裾が、血に濡れた床の上で静かに揺れる。


しかし、その立ち姿は、いささかも気品を失っていなかった。

初めて謁見の場で目にした日から、アルティスの胸の奥で密かに灯り続けていた、淡く尊い光そのものだった。


      ◇


「兄上、長きにわたる治世、ご苦労だったな」

白煙を割り、抜身の大剣を引きずりながら進み出てきたのは、皇弟ライオスだった。

近衛の頂点に立ち、兄・皇帝を、この帝国を守るはずの男が、その瞳に底知れぬ野心を宿して嗤う。

「帝国の覇権は我が手で頂く。そして美しき皇妃も、我がものとする」


ライオスの冷酷な指先がわずかに動いた。乾いた爆発音。

彼の持つ魔剣からプラズマが放たれ、空気を裂いて押し寄せた。


「薙ぎ払え、我が黄金の剣よ!」

アルティスは全身の魔力を沸き立たせ、叫んだ。


刃から放たれた鋭利な突風が、荒れ狂う大気の盾となってプラズマの軌道をわずかに()らす。火花を散らして肩当てをかすめ、背後の石柱を砕いた衝撃に右腕が痺れたが、彼の足は止まらない。床を蹴り、煙の中を疾走する。



「見事な太刀筋だ。だが――甘いな、若造!」


頭上を巨大な影が覆った。ライオスが振り下ろした魔剣が、大気を圧殺する轟音を鳴らす。


受け止めれば腕ごと砕かれる。斜めに刃を滑らせ受け流そうとしたものの、それはアルティスの予測を遥かに凌駕していた。


凄まじい金属音が鼓膜を破らんばかりに響き渡り、手首が軋みをあげて長剣が宙を舞った。

直後、鉄靴の重い前蹴りがみぞおちを捉える。


吹き飛ばされたアルティスの背は冷たい大理石を滑り、散らばる硝子の破片が革鎧を裂いて肉に突き刺さった。内臓が焼けつくように痛み、口内に苦い鉄の味が広がる。



「この魔剣によく抗った。だが、ここまでだ」


大剣の切っ先が床を擦る耳障りな音とともに、ライオスが迫る。身体が動かない。


その絶望の淵で、ふわりと甘やかな香りがアルティスの意識を包み込んだ。月下香と清らかな百合が織りなす、皇妃の香りだった。


「――おやめなさい、ライオス!」


リリィ皇妃は乱れたベルベットの裾をひるがえし、彼女はアルティスを庇うように立ちはだかっていた。白く細い指先には、胸元から抜き放った一振りの護身用短剣が握られている。



「ほぉ、女子供が刃を向けるか」


「ルドルフ様を(あや)め、まだ血を啜り足りぬとでも言うの……、ライオス」


振り返ったリリィ妃が、倒れ伏す若き騎士へ向け、儚くも美しく微笑んだ。

「アルティス、よく時間を稼いでくれました。そなたの忠義、決して忘れません」


その濡れた瞳の奥に宿る揺るぎない覚悟を見た瞬間、アルティスは叫んだ。

「いけません……逃げて、皇妃様……!」


「生き延びなさい、若き騎士よ」

リリィ妃の繊細な踵が、足元に転がっていた真鍮のオイルランタンを躊躇なく蹴り倒した。


溢れ出た油が猛烈な勢いで引火し、紅蓮の火柱となってライオスとの間を遮断する。視界を奪われた反逆者の舌打ちが響き、熱風が吹き荒れる刹那

――リリィ妃の両手が、アルティスの胸元を強く押し出した。


背後にあったのは、大砲によって無残に砕け散っていたテラスの大窓だった。



「皇妃、様――」


虚空へ投げ出され、視界が急速に反転する。


見上げる視界の彼方、燃え盛る炎の照り返しの中に立つ気高き皇妃の面影が、そして窓枠に取りすがって忌々しげに咆哮するライオスの凶相が、みるみるうちに小さくなっていく。


凍てつく夜風が叩きつける中、冷たい風圧が少年の意識を白く塗り潰し、アルティスの身体は瓦礫と化した階段を転げ落ち庭園の花壇へ埋もれていった。




つづく

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