皇子なボクは"侯爵令嬢"になってみた
「ほんとうに……この決断でよかったのか」
重厚な侯爵邸の一室で、美しき少女がため息をついていた。
"レイリア"というなの令嬢として生きることを決めたレナース皇子だが、早くも絶望的な朝を迎えた。
「ほら、お背中を伸ばして下さいませ、レイリア様。ウエストをキュッと絞らなければ、素敵なドレスのラインが台無しになってしまいますわ」
「自分でするから……待て、少しきつすぎる。呼吸ができん」
「高貴なレディは自分でお着替えなさいません!」
ベテラン侍女の手により、容赦なく締め上げられるコルセット。
かつて鍛え上げた屈強な身体が、今はガラス細工のように華奢な肋骨。
それを締め付けるコルセットの苦痛に耐えかねて悲鳴を上げる。
男としての羞恥心と理性が「せめて自分で着替えさせろ」と叫ぶ。
だが、侍女たちの圧倒的な母性と笑顔の前には、皇子の権威も無力だった。
◇
さらなる試練は、毎日のバスタイムという名の「肉体改造行事」だった。
香りの豊かな泡風呂に放り込まれる。
温かなお湯の中で自らの手で体を洗おうとした瞬間、侍女に「お嬢様、お肌が傷つきます!」とピシャリと叱られる。
言われるがまま身を委ねるしかない状況だった。
レイリアの指先は思いがけず触れた自分の太ももの滑らかさや、かつての筋肉が消え去った圧倒的な肉体の軽さに愕然とした。
自分の意思とは裏腹に、熱い湯気の中でみるみる頬が朱に染まり、あまりの恥ずかしさに頭から湯に潜りそうになる。
「レイリア様~、潜ってはダメです。さぁ、隅々まで綺麗に致しますわ」
◇
極めつきは、純白のフリルと幾重ものリボンがあしらわれたドレスの試着だった。
いよいよ、来週は『サロン』へのデビューが決まっている。
レーク侯爵が気合を入れて新調してくれた逸品の白いドレス。
(ずいぶん上質なもののようだ。これなら他の貴族たちに引けは取らないだろうが)
「しかし……この繊細なドレスを俺が着るというのか。くっ、ナディがいたら、さぞ面白がるだろうな」
レイリアは木製のトルソーに掛けられた美しいドレスを眺めていた。
(母上のドレスに似ているなぁ……皇室御用達の職人にでも作らせたのか)
少し触れてみようとした矢先、侍女たちが意気揚々とやって来る。
「まあ……! なんと愛らしい、まるで絵本から抜け出してきた天使のようですわ!」
侍女たちの黄色い歓声に囲まれた。
用意された全身鏡の前に立たされたレイリア。
そこに映し出された金髪碧眼の絶世の美少女の姿に、思わず息をのむ。
整った顔立ち、儚げでありながら気品を湛えた容姿。
(俺、……こんなに可愛いのか? )
見惚れた自分の姿に気づいた瞬間、レイリアのなかの皇子としての自尊心が激しい警報を鳴らす。
思わず、凄まじい自己嫌悪に陥る。
(何を考えているんだ俺は……! これは仮の姿だ、ただのカムフラージュにすぎん!)
鏡の前の美少女は、恥ずかしさのあまり真っ赤な顔で両手で頭を抱え、ベッドの上で頭を抱えて身悶えるのだった。
◇
湖水地方、レーク侯爵邸の大理石テラス。
陽光が降り注ぐ中、色とりどりのドレスを纏った令嬢たちが集う社交場・サロン。
そこは、元・皇子だったレイリアにとって、戦場よりも過酷な拷問部屋だった。
「まあ、レイリア様! 今期の帝都ではどんな刺繍が流行っていたの?」
「ご覧になって、この繊細なレース。最近お近づきになったシャルル子爵がプレゼントしてくださったのよ」
ふんわりと漂う薔薇の香水、カチャカチャと鳴る繊細な磁器の音、そしてキャッキャと弾ける高音の花園。
レイリアは口元に完璧な"侯爵令嬢の微笑み"を作り、小さく頷いた。
「……とても素敵なレースですわね」
(なんだその薄っぺらい布切れは。そんな裁縫の話より、この湖水地方の補給路はどうなっている? 北の山脈からの迂回路に砦を築かなければ、新帝国軍の軽騎兵に半日で突破されるぞ……なにか打つ手はないのか)
心の中では泥臭い防衛策と軍事地図を広げていた。サロンにくれば有益な情報を得られると思っていたのだ。
しかし、そこにあるのは、"乙女"にとっての有益な情報だけだった。
レイリアは出されたマカロンを可憐に口へ運んだ。
(……甘い。脳が痺れるほど甘すぎる )
長旅の干し肉と硬いパンに慣れた口内には、拷問に近い甘糖の攻撃だった。
「レイリア様、お口元にクリームがついていらっしゃいますわ。お取りしましょうか?」
年下の男爵令嬢が、上目遣いにレースのハンカチを差し出してくる。
(待て、それ以上寄るな。俺の男としての理性が……いや、今の俺は女か!? どちらにせよ気まずい!)
「ありがとう、でも自分でできるわ」と苦笑いで辞退するのが精一杯だった。
その時だった。
給仕の侍女が足を滑らせ、熱い紅茶が注がれた銀のティーポットが、隣に座る小柄な令嬢の肩めがけて傾いた。
「きゃあっ!?」
悲鳴が上がる。誰もが凍りつく一瞬。
しかし、レイリアの肉体は思考よりも早く動いていた。
男の頃から叩き込まれた騎士レベルの反射神経。
レイリアは華奢な身体を疾風のように滑り込ませると、令嬢の細い肩をそっと抱き寄せて引き寄せ、空いた右手で空中を落ちるティーポットの取っ手を鮮やかに掴み取った。
一滴の紅茶すら、令嬢のドレスには落ちなかった。
「……あぁぁ」
静まり返るテラス。
レイリアは抱きかかえた令嬢の瞳を覗き込み、皇子時代に身につけた癖で、無意識に低く凛とした声で微笑みかけた。
「怪我はないかい、マドモアゼル? ……すまない、驚かせてしまったね」
(……しまった、皇子の頃の口調が出た!)
レイリアはハッとして青ざめたが、時すでに遅し。
腕の中で頬を真っ赤に染めた令嬢は、熱い吐息を漏らしてレナースの胸元を見上げ、完全に腰を抜かしていた。
「れ、レイリア様……きゃっ……! なんて、なんて格好いいの……!」
それを皮切りに、サロン全体から悲鳴のような歓声が上がった。
「ご覧になった!? あの迷いのない動き!」
「お顔が、お顔が近いですわ! まるで絵本から飛び出してきた騎士様……いいえ、凛々しいお姉様!」
「レイリア様! 私もお助けされたいですわ!」
瞬く間に令嬢たちに囲まれ、キラキラとした尊敬と憧れの眼差しを浴びる。
(違う、違うんだ! 俺はただポットを拾っただけで……! なぜ全員、目がハートになっている!?)
戦場の敵兵よりも恐ろしい「恋する令嬢たち」の熱狂に揉まれながら、元皇子は心の中で涙を流すのだった。
◇
熱狂のお茶会をどうにか乗り切り、自室の重い扉を閉めた。
その瞬間、レイリアの「完璧な侯爵令嬢」の仮面は音を立てて崩れ去る。
「くあぁぁぁ……! 死ぬ、マジで死ぬ!!」
優雅な足取りはどこへやら、ドタバタと地鳴りを立てて天蓋付きベッドへ突進する。
フリルの塊と化したドレスのまま大の字でダイブした。
優美に整えられていたハーフアップの金髪はシーツにぐしゃぐしゃと擦り付けられ、高級なシルクの裾から華奢な生脚が豪快にはみ出す。
「なんだあの空間は! 薔薇の香水と甘いケーキの匂いで頭が痛ぇ! 帝国軍のガス兵器か!?」
天井を見上げ、ガラガラ声で愚痴をぶちまける。
人前での可憐な佇まいなど微塵もない、無骨な元皇子・レナースそのものの姿だった。
この悲惨かつ滑稽な本音を晒せる相手は、部屋の止まり木にちょこんと佇む瑠璃色の小鳥——従者アギルだけだ。
「ピッ、ピピィ……(お疲れ様です、レナース様……)」
アギルが呆れたように、けれど労いを込めて小さく鳴く。
鳥として生きているうちに、人間の言葉は徐々に話せなくなってしまった。
( 俺も、徐々に男性であったことを忘れてしまうのだろうか……)
「なあアギル、俺はいつまでこの『可愛いお姉様』をごっこ遊びしなきゃならんのだ。お前のその羽をむしって、今すぐ戦況報告の伝書鳩にしてやりたい気分だぞ」
侍女たちに強引に脱衣され、ぬるま湯で解されたレイリア。
薄手のネグリジェ一枚という極めて無防備な格好でベッドの端に腰掛けた。
風呂上がりの気怠さから、濡れた銀髪をタオルで乱雑に拭き、胸元の開いた首筋を露わにしながら、冷たい果実水をあおる。
その時、ふと異変に気づいた。
会話の途中で、アギルが急に黙り込み、ぷいっと横を向いたのだ。
毛羽だった青灰色の小さな頭を露骨に逸らし、部屋の壺の模様を必死に観察している。
「……ん? なんだよアギル。鳥のくせに、なんで目を逸らしてんだ?」
レイリアは面白がって、ベッドから身を乗り出した。
「おい、こっち見ろよ。元は男同士だろ? 今更俺の着替えくらいで照れてるんじゃ——」
からかおうと顔を近づけた、その瞬間。
アギル視点での世界は、まったく別の「地獄」と化していた。
目の前に迫ってきたのは、風呂上がりの熱気をまとった絶世の美少女。
微かに香る薔薇の油、湿った銀髪から落ちる水滴が白い鎖骨を滑り落ち、薄い布越しに柔らかな体の起伏が嫌でも視界に飛び込んでくる。
そして、覗き込んでくる紫色の瞳は、上目遣いで濡れたような光を宿していた。
(くうぅぅぅぅ、近づかないでくださいレナース様ぁぁぁ~♡)
アギルの脳内で理性が弾け飛んだ。
いくら内面が男の主君だと分かっていても、小鳥の小さな視界を占有する「圧倒的な美少女の暴力」には耐えられない。
「ピ、ピガッ!?」
鳥の姿のまま全身の羽を逆立て、カチコチに固まるアギル。
「おい、どうした? 息してんのか?」
レイリアが不思議そうにさらに顔を寄せて指先で突くと、限界を迎えたアギルは「ピギャーッ!」と金切り声を上げ、パニック状態で部屋中を高速で飛び回り始めた。
「わっ!? 暴れるなアギル! なんだ急に。落ち着け~落ち着けって!?」
ドタバタと部屋を逃げ惑う小鳥と、ネグリジェ姿でそれを追いかける絶世の美少女。
かつて帝国を背負うはずだった主従の、威厳も何もない夜が更けていくのだった。




