第二話「孤塁の剣」③
「まだ、その剣を手放す気にはなりませんか」
背後から、聞き覚えのない声がした。
ロディが振り返ると、開いた戸口に三人の男が立っていた。
真ん中にいるのは四十半ばほどの小太りの男だ。仕立てのいい上着に指輪をいくつも嵌め、鼻の下には細く整えた口ひげを蓄えている。
老女が露骨に顔をしかめた。
「またあんたかい、バティスタ」
「またとはご挨拶ですね。今日は前より良い条件を持ってきたというのに」
バティスタは勝手に家へ入ると、卓上の布包みへ目を向けた。その後ろから二人の男も続く。
片方は長身で、腰に細身の剣を提げている。もう一人は柄の悪そうな男で、曲刀をぶら下げていた。
「そちらの少年は?」
「客だよ」
「なるほど。同業者ですか」
「俺、商売はしてねえぞ」
「武器収集家という意味ですよ」
そういうことなら間違ってはいない。
バティスタは懐から革袋を取り出し、卓へ置いた。硬い音がいくつも重なる。
「前回の倍です。これだけあれば、残りの人生を不自由なく暮らせるでしょう」
「いらないよ」
老女は袋を見ることすらしなかった。
バティスタの口ひげがわずかに動く。
「中身を確認してからでも遅くはありませんよ」
「何度来ても同じだよ。これは売らない」
「あなたが持っていて何になるのです。手入れもできず、錆びさせるだけでしょう」
ロディの眉が動いた。
老女は答えず、《孤塁の剣》を包み直そうとした。
バティスタの手が伸びる。
「それなら私が――」
「触るんじゃないよ」
老女が手首を掴んだ。
次の瞬間、バティスタはその腕を乱暴に振り払った。
老女の身体がよろめき、椅子へぶつかる。そのまま床へ倒れそうになったところを、ロディが横から抱き止めた。
「大丈夫か?」
「ああ……」
ロディは老女を椅子へ座らせた。
振り返る。
バティスタはもう《孤塁の剣》へ手を伸ばしていた。
「おっさん」
「何です?」
「今、ばあさんが売らねえって言ったよな」
「ええ。困ったものです」
「じゃあ帰れよ」
バティスタが目を細める。
「……フランシス、ディエゴ。この生意気な小僧を外へ出しなさい」
後ろの二人が前へ出た。
長身の男――フランシスが細身のエストックを抜く。ディエゴは口元を歪め、シミターを肩へ担いだ。
「坊主、怪我したくなきゃおとなしく退け」
ディエゴが言った。
ロディは腰の《煌日》へ手をかける。
「俺もその剣、めちゃくちゃ欲しいんだけどさ」
「だったら話が早い。旦那が買ったあとで売ってもらえ」
「そうじゃねえよ」
鞘から《煌日》を抜く。
淡い金色が刀身を走った。
「欲しいからって、持ち主から盗っていいわけねえだろ」
ディエゴが先に動いた。
シミターが横薙ぎに迫る。ロディは身を引いてかわし、《煌日》を下から振り上げた。
刃と刃がぶつかる。
甲高い音とともに、ディエゴのシミターが半ばから折れた。
「は?」
宙を回った刃先が床へ突き刺さる。
ディエゴが目を見開いた。
ロディも一瞬だけ《煌日》を見る。
「お前、やっぱすげえな」
「余所見をするな」
低い声がした。
視界の端で銀光が走る。
ロディは咄嗟に刀を戻した。エストックの切っ先が《煌日》の鍔元を叩き、そのまま手首を捻るように跳ね上げる。
指が開いた。
《煌日》が宙を舞い、床を滑って壁際まで飛んでいく。
「うわっ」
慌てて下がった鼻先を、二撃目の切っ先が掠めた。
フランシスは追ってくる。
速い。
ディエゴとはまるで違う。
ロディは卓を蹴って間へ滑り込ませた。フランシスは回り込む。狭い室内では逃げ続けられない。
「フランシス、傷をつけるなよ!」
バティスタが叫ぶ。
「剣にですよ!」
「分かっている」
「俺はいいのかよ!」
返事の代わりにエストックが飛んできた。
ロディが首を傾けると、切っ先が耳の横を抜ける。頬が熱い。触れれば指先に血がついた。
まずい。
《煌日》までは遠い。
フランシスが踏み込む。
そのとき、背後から声が飛んだ。
「あんた!」
振り向く。
老女が両手で《孤塁の剣》を抱えていた。
「使いな!」
投げられた剣を受け取る。
布がほどけ、床へ落ちた。
ロディの右手が柄を握る。
その瞬間、妙な感覚があった。
重い。
《煌日》とは長さも重心も違う。初めて持つブロードソードなのだから、扱いにくくて当然だった。
なのに、手の中で暴れない。
柄を握る位置。切っ先の重さ。振れば刃がどこを通るのか。
考えるより先に、なんとなく分かる。
誰かの声が聞こえるわけでも、昔の景色が見えるわけでもない。
ただ、この剣はずっと剣として使われてきた。
何人もの手に握られ、振られ、敵の刃を受け、斬り、研がれてきた。その積み重ねだけが、手のひらから伝わってくるようだった。
「……これが、戦歴か」
フランシスの切っ先が迫る。
速さでは勝てない。なら、追わない。
ロディは《孤塁の剣》を大きく合わせた。
エストックを正面から追わず、刃の腹で外へ流す。フランシスの腕が伸びきったところへ踏み込み、肩からぶつかった。
「ぐっ」
体勢が崩れる。
ロディは剣を返し、柄でフランシスの腹を思い切り突いた。
「がはぁッ!」
細身の剣が床へ落ち、フランシスが鳩尾を押さえながら悶絶する。
静かになった室内で、バティスタの喉が鳴った。
ディエゴは折れたシミターを持ったまま動かない。フランシスも立ち上がることはできなかった。
残ったのは一人だ。
「さて」
ロディはバティスタへ向き直った。
《孤塁の剣》の切っ先を向ける。
「おっさんも剣、持ってるよな?」
バティスタの腰にも、装飾の施された剣がある。
「ぬ、抜けばいいんですか?」
「俺は別にいいぞ」
「……」
「やる?」
バティスタは自分の剣と《孤塁の剣》を交互に見た。
口ひげが震える。
「きょ、今日はこれくらいにしておきましょう」
「帰るのか?」
「商人というものは、引き際も心得ているのです!」
バティスタは踵を返した。
「フランシス! ディエゴ! 帰りますよ!」
「待て」
肩が跳ねる。
バティスタが恐る恐る振り返った。
ロディは卓の上に残された革袋を指した。
「金、忘れてるぞ」
バティスタは袋をひったくるように掴むと、今度こそ戸口へ走った。
ディエゴがフランシスに肩を貸し、二人もその後を追う。
三人の足音が遠ざかっていった。
ロディは《孤塁の剣》を見下ろす。
錆びた刀身。
さっきまで卓の上で眺めていた剣が、今は自分の手にある。
「……すげえ」
老女が呆れた声を出した。
「また剣に話しかけてるよ」
「仕方ねえだろ」
ロディは柄を握り直した。
「こいつ、本当にすげえんだから」




