第二話「孤塁の剣」②
「父があの門の前で振った剣さ」
老女の指先が柄から離れる。
ロディは改めて《孤塁の剣》を眺めた。刀身の中央を走る溝にも錆が入り込み、鍔には細かな傷がいくつも残っている。
「昔はもっと綺麗だったのか?」
「そりゃ今よりはね」
「そうじゃなくてさ。もっとこう……見るからにすげえ剣だったとか」
「いいや」
老女はあっさり首を振った。
「父が手に入れた頃には、もうずいぶん使い込まれてたそうだよ。何人の手を渡ったのかも分からないって言ってたね。兵士が使って、持ち主が変わって、またどこかの戦場へ行って。父が買ったときには名前すらなかった」
「買った?」
「中古の剣をね。安かったらしいよ」
思っていた話とだいぶ違う。
英雄が振るった伝説の剣なのだから、何か大層な由来があるものだと思っていた。王から授かっただとか、名高い鍛冶師が鍛えただとか。
実際は、使い古された兵士の剣をエリックが買っただけだったらしい。
「じゃあ、親父さんは最初からすげえ兵士だったわけじゃないのか」
「本人が聞いたら喜ぶだろうねえ。若い頃は自分が一番強いと思ってたから」
老女が笑った。
壁の肖像へ目を向ける。描かれている男はまだ若く、短く刈った髪に、少しばかり得意げな顔をしていた。
「町の守護兵だったよ。腕は悪くなかったらしいけど、少なくともあの頃は、町の外まで名前が知られてるような人じゃなかった」
「それが、一人でアンデッドを止めたのか」
老女の笑みが薄くなる。
「止めたよ。ただ、あんたが聞いた話ほど格好よくはなかったと思うけどね」
その日は、門の外にいた者たちが次々と町へ駆け込んできたという。
アンデッドの群れが近づいている。
見張りから知らせが届いたときには、すでに遠くにその姿が見えていた。街道にいた旅人や農作業に出ていた者を中へ入れ、防備を整えるには時間が足りなかった。
「父は門の外へ出た」
老女はそこで一度言葉を切り、卓上の剣を見た。
「他の守護兵には、中にいる人たちと門を頼んでね」
「一人で残ったのか?」
「そうする必要があったんだろうね。大勢で外に出たら、今度は町の中が手薄になる。父は自分一人なら、駄目になっても門を閉めろって言ったそうだよ」
ロディは何も言わなかった。
食堂で聞いたときには、豪快な話だと思った。
英雄が一人で門に立ち、押し寄せる敵を片っ端から斬り伏せた。そんな光景を勝手に思い浮かべていた。
だが、実際にエリックがやろうとしたのは、勝つことではなかったらしい。
一夫当関。
不意に、そんな言葉が浮かんだ。ロディがこの世界で覚えた言葉ではない。秀吉の記憶にあったものだ。
一人で門を守り、大勢を通さない。なるほど、よく似合う。
「どれくらい戦ってたんだ?」
「さあ。父は長かったって言ってたけど、時間なんて見てる余裕はなかっただろうね」
「アンデッドは?」
「何体斬ったのか、父も覚えてなかったよ」
五十だ百だと話す奴によって違う。
食堂の店主の言葉を思い出し、ロディは鼻から小さく息を漏らした。
「話、盛られてんな」
「英雄なんてそんなもんさ」
老女は肩をすくめた。
エリックは傷だらけになりながら、それでも門の前から退かなかった。やがて町側の守りが整い、仲間たちが加勢するまで持ちこたえた。
そして、生きて帰った。
「そのあとも守護兵を?」
「ああ。腰を悪くするまでね」
老女が懐かしそうに笑う。
「年を取ってからは若い連中に口うるさくてさ。剣の握り方が悪い、鎧の紐が緩いって。最後まで兵士だったよ」
「最後は?」
「寝台の上。孫とひ孫に囲まれてね」
ロディは肖像を見た。
門前でアンデッドを食い止めた英雄と、腰を悪くした口うるさい爺さんが、どうにも同じ男に見えない。
「じゃあ、《孤塁の剣》って名前は?」
「後からついたんだよ。父は一度もそう呼ばなかった」
老女が剣の腹を指でなぞる。
「父が使い続けてるうちに、いつの間にか周りがそう呼ぶようになったのさ」
ロディは腰の《煌日》へ触れた。
グレンと十年以上を共にし、戦うほど使い手に馴染み、鋭さを増していった刀。
目の前の剣は、それよりさらに前から戦場を渡っている。
「こいつも、戦歴を持ってるんだな」
「知ってるのかい?」
「少しだけな。武器は戦った分だけ、いろんなもんを溜め込むって」
「なら、父の剣が何を覚えたかも分かるかもしれないね」
「何かできるのか?」
思わず身を乗り出したロディに、老女は眉を寄せる。
「近い近い」
「悪りぃ」
身を引く。それでも目だけは剣から離せない。
「父が死んで何年かした頃だったよ。町の近くに死肉を漁る魔物が出たんだ。アンデッドの一種だったらしい」
老女はそこで《孤塁の剣》へ目を落とした。
「守護兵が追っていたら、そいつがこの家の近くまで逃げてきた。でも、あるところから急にこっちへ来なくなったそうだよ。何度近づこうとしても嫌がってね」
「この剣を?」
「そうらしい。それから何度か似たことがあった。詳しいことは私にも分からないけど、アンデッドの類はこいつを嫌うんだとさ」
ロディは錆びた刀身へ顔を寄せた。
元からそんな力があったのなら、エリックが手にした時点で分かっていたはずだ。
けれど、エリックが買った頃には何の変哲もない古い剣だった。それが門の戦いを経て、《孤塁》と呼ばれるようになった。
「……面白え」
気づけば口元が緩んでいた。
「すげえな、お前」
「剣に話しかけるんじゃないよ」
「だって、すげえだろ。最初から特別だったわけじゃねえんだぞ」
ロディは卓へ手をつき、《孤塁の剣》を眺めた。
老女が布の端を持ち上げる。
「もういいかい?」
「あ、待って。もうちょっと」
「見るだけって約束だよ」
「分かってるって」
名残惜しく眺めていると、窓から差し込んだ光が刀身を滑った。錆の隙間に残った銀色の地金が、ほんの一瞬だけ鈍く光る。
「手入れしないのか?」
ロディが尋ねると、老女は困ったように剣を見た。
「父がいなくなってからはね。私も剣の手入れなんて分からないし、何度か人に頼んだけど、そのうちそのままになっちまった」
布がゆっくりと《孤塁の剣》を覆っていく。
さっき見たときと同じ、錆びた古い剣だった。
それなのに今は、古道具屋の隅に置かれていそうだとは思わなかった。




