愛してるから
その頃の、勇者一行。
王都、勇者の控室。
乱暴にドアが開く。
魔導師マリンが苛立ちを隠そうともせず中へ入る。
その後ろから、勇者レックスが続いた。
「本当に忙しすぎ!」
「なんでこんなに仕事増やされるの!」
マリンは吐き捨てるように言い、そのまま椅子に腰を落とす。
いつもの冷静さは影もない。
「……本当にね」
レックスも短く返す。
普段なら余裕のある笑みで場をまとめる男だが、今はその面影も薄い。
わずかに疲労の滲んだ表情。
控室の外は、すでに夜の闇が薄れ始めていた。
窓の向こう、空が白み、朝日が差し込む。
徹夜だった。
それが、マリンの苛立ちをさらに煽る。
「ドレイクの奴……」
マリンの口から、思わず名前が零れる。
抑えきれない怒りが滲んでいた。
ドレイクの収容所――タルタロス。
エディルとの激闘の末に崩壊。
その混乱に乗じて、多数の凶悪犯が逃亡。
さらに、本来収容されるはずのない――
無実の一般市民までもが囚われていたことが発覚した。
王都ではすでに大きな問題となっている。
対応に追われる兵。
責任の所在を巡る議論。
終わらない会議。
そのすべてに、マリンとレックスは呼び出されていた。
「なんで私たちがこんなことしないといけないわけ?!」
「ったく……死んでも迷惑かけんなよ、あの脳筋が!」
マリンは吐き捨てるように言う。
レックスは何も言わず、それを聞いていた。
「それだけじゃない!」
マリンは苛立ちのまま、言葉を続ける。
「アイリーンだって、あの気持ち悪い宗教施設の件……!」
「表に出かけたの、全部私たちで揉み消したでしょ?!」
「ノヴァもそう!」
「アルマ地区で街ごと吹き飛ばしかけて……その後始末、誰がやったと思ってるの?」
「始末書だって全部こっちよ!」
「それで結局――」
一瞬、言葉が詰まる。
「全員死んで!」
「変な魔族とあの女に負けて!」
「ふざけんじゃないわよ!!」
ドンッ、と机を叩く。
衝撃が部屋に響いた。
肩で息をするマリン。
怒りはまだ収まらない。
「……大丈夫だから」
その声は、静かだった。
レックスがぽつりと返す。
「なにが大丈夫なの?」
即座にマリンが噛みつく。
レックスは少しだけ視線を落とし、
それでも淡々と答えた。
「俺が、なんとかしとくから……」
疲労は隠せていない。
それでも、その言葉だけは揺らがなかった。
「何とかしとくからって、なに?」
マリンは再びレックスに詰め寄る。
「いつもそうやって言って……」
「結局、何も出来てないじゃない……」
「……それは、これからやるから大丈夫だよ」
レックスは少し困ったように笑みを浮かべる。
安心させるような、いつもの調子。
その態度が、逆にマリンの感情を揺らした。
「どうしてそんな余裕でいられるのよ……」
声が震える。
目には涙が滲んでいた。
「……マリン」
レックスが名前を呼ぶ。
「だって……!」
マリンは声を荒げる。
「皆のことが全部露出されて!」
「……わたしのことだって、いつか……」
言葉が途切れる。
声が弱くなり、震える。
それを聞いたレックスは、ゆっくりと立ち上がり――
そのままマリンを抱き寄せた。
「……マリンのことも大丈夫だから」
マリンは何も言わない。
ただ、レックスの胸元に顔を埋める。
「心配してたんだね」
「……うん」
ぽつりと答えた瞬間、涙がこぼれ落ちた。
「俺がいるから」
「……今日はもう休もう。午後からまた会議行けばいい」
優しく背を撫でながら言うレックス。
そのまま部屋へ促そうとする。
だが――
マリンは動かなかった。
「……レックス」
その目は、わずかに潤みながらも。
どこか縋るように、そして熱を帯びている。
「今日、ダメ?」
静かな問い。
「……さすがに疲れてるんだけど」
レックスは苦笑する。
だが。
マリンの指が、レックスの服の裾を掴む。
離さない。
その仕草だけで、十分だった。
レックスは小さくため息をつき、苦笑する。
「……わかったよ」
少しだけ、声が柔らぐ。
「じゃあ、俺の部屋においで」
マリンは無言で頷く。
二人はそのまま控室を後にし、
レックスの部屋へと向かっていった。
――しばらくして。
レックスの部屋。
ベッドの上、余韻に浸る二人。
先ほどまでの熱は、少しだけ冷めていた。
マリンがぽつりと口を開く。
「……当たって、ごめん」
「別に?」
レックスは軽く笑う。
「いつものことでしょ」
マリンは少しだけ恥ずかしそうに、レックスの胸を軽く叩いた。
静かな時間が流れる。
やがて。
「……これから、どうするの?」
マリンが問う。
「とりあえず、俺が何とか口裏合わせてさ」
「問題は、上手く収まるように話つけるよ」
「……ほんと、“何とか”ばっかり」
マリンは小さく笑う。
その言葉に、レックスは少しだけ眉を動かした。
次の瞬間。
ぐっとマリンを引き寄せる。
「マリン」
低い声。
「今までも、これからも」
耳元で囁く。
「頼れるのは、君だけなんだ」
マリンの頬が赤く染まる。
レックスは続ける。
「これから俺は、王都の仕事で忙しくなる」
「だから――君にしか任せられない」
一拍。
「他の連中がいなくなった今」
「君しかいないんだ」
そして。
「……出来るよね?」
確認するような声。
マリンは少しだけ視線を逸らし、答える。
「“君しかいない”って……」
「皆死んだんだから、そうなるでしょ」
皮肉混じりの言葉。
レックスは乾いた笑いを漏らす。
「はは……まあね」
だが、すぐに。
声のトーンが変わる。
「大丈夫」
「俺たちは、“選ばれた人間”だ」
静かに。
「神様の加護を受けた、特別な存在」
「だから出来る」
「そのための犠牲は……仕方なかったんだ」
「俺たちは、ここで終わるわけにはいかない」
マリンを強く抱き寄せる。
その腕の中で。
マリンは、ゆっくりと息を吐いた。
安心したように。
レックスの背中へ腕を回し、抱きしめ返す。
「……愛してるから」
耳元で、囁く。
マリンは何も言わない。
ただ、耳まで赤く染めたまま離れない。
その様子を見て――
レックスは。
口元を、静かに歪めた。




