死んでも、
タルタロスから離脱した二人。
遠く離れた人気のない山へと降り立つ。
そこには広い洞窟があり、とりあえず一晩は過ごせそうだった。
辺りも暗くなり始め、二人は洞窟で休むことにする。
「……ごめん。重かったよね」
ユキノがぽつりと口を開く。
「さっき、運んでくれて……ありがと」
「え?」
エディルは少し驚いたように振り返る。
「全然。あれくらい余裕だし」
軽く肩を回す。
「ユキノならお安い御用」
いつもの調子。
(またこいつは……)
ユキノは内心で呆れる。
少しして。
完全に日が落ちる。
周囲は闇に包まれ始めていた。
ユキノは近くの枝を集め、エディルが黒炎で火を起こす。
焚き火の灯りが、二人を照らす。
並んで座る。
静かな時間。
火の音だけが、ぱちぱちと響く。
やがて。
ユキノが口を開いた。
「……ずっと気になってたんだけど」
「ん?」
エディルは火を見たまま答える。
「それ」
少し視線を上げる。
「エディルの、本当の姿なんだよね」
角。
翼。
改めて見ると、人間とはまるで違う。
「……ああ」
エディルは短く答える。
少しだけ間。
「……怖い?」
軽く聞いたつもりだった。
だが。
内心では。
(……どう思われてる)
ほんの少し、不安があった。
「……怖くないよ」
ユキノはすぐに答える。
間を置かず。
「むしろ」
少しだけ笑う。
「ずっと守ってくれて、ありがとう」
そのまま。
エディルの角に、そっと触れる。
「ちょっとかっこいいじゃん、それ」
くすっと笑う。
「まあな」
エディルは鼻で笑う。
「俺、色男だし」
当然のように言い返す。
だが。
(……いやちょっと待て)
(それ普通に)
(心臓に悪いんだけど)
顔が熱い。
焚き火のせいじゃない。
赤くなっているのがバレないように。
視線を逸らす。
誤魔化すように。
少しだけ笑った。
そのまま、和やかな空気になる二人。
エディルは魔界での話をし始める。
どれだけ働くのが嫌だったか。
どうやって毎日仕事をサボっていたか。
父親に「働け」と怒鳴られたこと。
くだらない話ばかり。
だが。
ユキノはそれを、楽しそうに聞いていた。
小さく笑いながら。
時間が、ゆっくり流れる。
やがて。
話が途切れる。
少しの沈黙。
焚き火の音だけが響く。
「あ、もう一個聞きたい」
ユキノが、ふと思い出したように口を開く。
「ん?」
エディルは軽く返す。
「今度は俺が親父と大喧嘩した話か?」
少し乗り気になる。
「あれはたしか――二百歳くらいの時でさ」
話し始める。
「違う」
即座に止められる。
「えー!?」
エディルは露骨に顔をしかめる。
「めちゃくちゃかっこいい話なんだけど!?」
「そうじゃなくて……」
ユキノはため息混じりに言う。
少し間。
「なんだよ」
エディルは、少しだけぶっきらぼうに返す。
ユキノは、ちらりと視線を向ける。
少しだけ、間を置いて。
「……さっき」
静かに切り出す。
「私のこと」
焚き火の火が揺れる。
「誰の女だ、って言ったよね」
エディルの肩が、わずかに固まる。
「それに」
さらに続ける。
「俺だってキスしてねえのに、って」
少しだけ首を傾ける。
「……あれ、どういう意味?」
沈黙。
逃げ場のない問い。
焚き火の音だけが、やけに大きく聞こえる。
「あ、それは……」
エディルは視線を逸らす。
言葉が出てこない。
しどろもどろになる。
思い出す。
戦闘の後。
ユキノが無事だったこと。
安堵。
そして高揚。
だが――
他の男に触れられたと知った瞬間。
頭が真っ白になった。
勢いで吐いた言葉。
だが。
ただの勢いじゃない。
あれは――
本音だ。
誰にも触らせたくない。
誰にも見せたくない。
傷つける奴は、許さない。
(……誤魔化せねえな)
エディルは、観念する。
ゆっくりと。
ユキノへ視線を向ける。
まっすぐに。
逃げずに。
「……なによ」
ユキノは少しだけ目を逸らす。
その視線のまま。
続きを待つ。
短い沈黙。
焚き火の音だけが響く。
そして。
エディルは口を開いた。
「……好きだ」
一拍。
言葉を噛みしめるように。
「初めて会ったときから」
さらに、間。
視線は逸らさない。
「……絶対、傷つけさせねえ」
低く。
はっきりと。
「……本気なんだよ」
もう、軽口はない。
いつもの軽薄さもない。
ただ。
一人の男として。
まっすぐに。
ユキノへ想いを告げた。
「……え」
ユキノは固まる。
そのまま。
ゆっくりと、頬が赤く染まっていく。
思い返す。
エディルは、いつも軽口ばかりだった。
最初の出会い。
「可愛いから助けた。ブスなら見捨ててる」
着物から着替えた時も。
「めっちゃ可愛いじゃん!」
そうかと思えば。
他の女にも平気で目を向ける。
ニヤニヤして。
軽くて。
どこか信用できない男。
――なのに。
命を救ってくれた。
集落が襲われた時。
命をかけて戦った。
その後。
一晩かけて、全員の墓を作った。
勇者一行との戦いでも。
いつも。
自分のことより、ユキノの無事を優先していた。
言葉は軽いのに。
やっていることは、ずっと重かった。
全部が、繋がる。
「……」
ユキノは、何も言えない。
だが。
エディルは、言葉を続ける。
「……俺、本気で好きだ」
間。
視線は逸らさない。
「……多分、この先」
少しだけ、言葉を選ぶ。
「俺の方が長く生きる」
静かに。
「でも」
一歩、踏み込む。
「ユキノのことは、絶対忘れねえ」
そして。
「……死んでも愛します」
まっすぐな告白。
逃げ場のない言葉。
(……これって)
ユキノの脳裏に、過去が浮かぶ。
アルディス山。
まだ平和だった頃。
「ユキノ」
優しい声。
「俺がユキノを、死ぬまで愛します」
真剣な眼差し。
「……結婚してください」
ハルキ。
穏やかで。
優しくて。
まっすぐだった男。
その言葉と。
今、目の前にいるエディルの言葉が。
重なる。
まるで別人なのに。
どちらも。
同じくらい、真剣で。
一途で。
逃げずに向き合っている。
だが――
ハルキは、もういない。
目の前にいるのは。
エディル。
「……私」
ユキノは、少し目を逸らす。
「ハルキと、結婚するつもりだったんだけど」
小さく。
だが、はっきりと。
言う。
沈黙。
その言葉を。
エディルは、受け止める。
少しも、迷わずに。
「……それでもいい」
即答だった。
「……お前の中に」
一拍。
「まだハルキがいても」
視線を外さない。
逃げない。
「それでも」
低く。
強く。
「今のお前を守りたい」
そして。
「それが、今の俺にできることだ」
(……なんで)
ユキノの目から、涙がこぼれる。
どうして。
ここまで。
ただの出会いだった。
お互い、大切なものを失って。
復讐を誓って。
気づけば、隣にいた。
相棒みたいな存在。
それだけだったはずなのに。
いつの間にか。
胸の中で。
エディルの存在が、大きくなっていた。
エディルは、その涙を見て慌てる。
「え、ちょ――」
一歩、身を乗り出す。
「俺、なんか変なこと言った!?」
一気にいつもの調子に戻る。
「いや待て、今の流れ的に良い感じだったよな!?」
「あれ、違った!?」
「えーと、えーと……」
ちょっと騒がしい。
その様子に。
張り詰めていた空気が、ふっと緩む。
ユキノは、小さく息を吐く。
そして、口を開いた。
「……本当に」
少しだけ笑う。
「ハルキとは、大違い」
「当たり前だろ」
即答。
迷いなし。
「……うるさいし」
指を一本立てる。
「女好きだし」
もう一本。
「ニートだし」
さらに一本。
「タバコ臭いし」
ぴしっと指さす。
「ここで悪口並べるのやめてくんない?」
エディルは苦笑する。
だが。
ユキノは、少しだけ目を細めて。
静かに続けた。
「……でも」
一拍。
焚き火が揺れる。
「そんなエディルだから」
視線を向ける。
「……私も、好きになったかも」
時間が、止まる。
「……は?」
エディルが固まる。
数秒。
完全停止。
そして。
「……本気か?」
ゆっくりと確認するように。
「今、“好き”って言ったよな?」
一歩、近づく。
「……取り消すなよ?」
逃がさない声だった。
「……取り消さないよ」
ユキノは、まっすぐ言う。
「私も――死ぬまで愛します」
その言葉を聞いた瞬間。
エディルの表情が、弾けた。
「っっっっっっしゃああああああああ!!!!」
洞窟に、絶叫が響き渡る。
「これで俺の女!!」
拳を突き上げる。
「見てるかハルキ!!」
さらに叫ぶ。
「俺が幸せにするからなああああ!!!」
声量がおかしい。
無駄に通る。
洞窟中に反響する。
ユキノは思わず耳を塞ぐ。
「……静かにして」
「無理です!!!」
即答。
テンションが下がらない。
ひたすらうるさい。
(……本当に大違い)
ユキノは、エディルの背中を見る。
正反対の男。
それでも。
それでいい。
自分で決めたから。
この男と、進むと。
しばらくして。
ふと。
エディルが静かになる。
「……え、なに急に」
ユキノが不思議そうに見る。
「……あのさ」
ぼそっと。
「お前、さっき」
少し視線を逸らす。
「収容所で……キスされたんだろ」
「え、あぁ……あったねそんなの」
ユキノは軽く答える。
今の流れで、ほとんど忘れていた。
だが。
エディルは違う。
「……ムカつく」
低く、吐き捨てる。
ユキノの前に座る。
距離を詰める。
「……俺がしたいんだけど」
エディルが、少し詰め寄る。
「なあ」
さらに距離が近づく。
「……いいだろ?」
顔が近い。
焚き火の明かりが、揺れる。
闇の中で。
エディルの表情だけが、はっきりと浮かぶ。
元から整った顔立ち。
だが今は。
それ以上に。
真剣で。
どこか、焦っていて。
少しだけ。
嫉妬と、独占欲が滲んでいる。
“男”の顔だった。
ユキノは、目を逸らせない。
逃げ場がない。
「あ、その……」
言葉を探す。
だが。
最後まで言い切る前に――
エディルの唇が重なる。
「……っ」
一瞬。
思考が止まる。
「ちょっと……」
離れたかと思えば。
すぐに、もう一度。
今度は、逃がさないように。
深く。
そして。
そのまま、抱き寄せる。
強く。
離さないように。
「……本当に勝手」
ユキノは小さく呟く。
呆れたように。
それでも。
どこか、拒んでいない声。
「……何でもいいだろ」
エディルは抱きしめたまま、少し拗ねたように返す。
腕に力がこもる。
離す気はない。
(……ほんと)
ユキノは心の中でため息をつく。
(まじで子供だな、この人)
再び呆れる。
けれど。
そのまま。
そっと腕を伸ばす。
エディルの背中へ。
抱き返す。
少しだけ、力を込めて。
言葉は、もういらなかった。
焚き火の音だけが、静かに響く。
二人の距離は、そのまま。
離れることなく。
ただ、余韻の中で。
同じ時間を過ごしていた。




