ドレイクという男
思い出す、ドレイクの、昔の記憶。
住んでいたのは、狭いアパートだった。
古びた公営団地。
壁は汚れ、廊下は軋む。
昼でもどこか薄暗く、湿った空気がこびりついている。
そこで、幼い頃から暮らしていた。
母親は、ろくに働かない。
風俗で金を稼ぐか、
ギャンブルに溺れるか。
それだけの生活。
男に縋って生きていた。
新しい男ができる。
しばらくして、妊娠する。
そして――逃げられる。
それが、何度も繰り返された。
堕ろす金なんてない。
だから、産む。
また男が来る。
またいなくなる。
同じことの繰り返し。
気づけば、ドレイクには
父親の違う弟や妹が四人いた。
当然のように。
母親は、世話なんてしない。
泣いていても放置。
腹を空かせても無視。
家にいるのに、いないのと同じだった。
だから。
全部、ドレイクがやった。
食事。
面倒。
寝かしつけ。
全部。
まだ子供なのに。
小学校すら、ろくに通えない。
毎日が、それどころじゃなかった。
ドレイクが高校生になる頃。
当たり前のように、学校には通っていない。
それでも。
弟や妹たちは、ドレイクに懐いていた。
笑いかけてくる。
名前を呼ぶ。
手を引いてくる。
まっすぐな感情。
それだけで。
ドレイクにとっては、十分だった。
それだけで、幸せだった。
――ある日。
母親が、男を連れ込んだ。
いつものこと。
そう思っていた。
だが。
今回は違った。
その男は、出ていかなかった。
そのまま、居座った。
母親は言う。
新しいお父さんだと。
だが。
中身は、母親と同じだった。
ろくでなし。
昼間から働かない。
ギャンブルか、惰眠。
そして夜になると。
母親と、平然と情事に及ぶ。
子供がいる前で。
隠しもしない。
だが。
本当に地獄だったのは――そこじゃない。
暴力。
それが、日常になった。
理由なんてない。
機嫌次第。
気分次第。
ドレイクは殴られる。
だが、それ以上に。
弟や妹たちが殴られる。
小さな体が、簡単に吹き飛ぶ。
泣いても。
叫んでも。
止まらない。
終わらない。
母親は――笑っていた。
見ているだけだった。
何も言わない。
止めもしない。
ただ、笑っていた。
だから。
ドレイクは前に出る。
弟や妹の前に立つ。
殴られる。
それでも、下がらない。
庇う。
何度でも。
何度でも。
時折、騒音で警察が来る。
だが。
注意だけで終わる。
すぐに帰る。
そして。
また、始まる。
同じことの繰り返し。
終わらない日々。
それが、当たり前になっていた。
ある時だった。
夏の暑い日。
弟や妹が、アイスを食べたいとねだった。
ドレイクは一人で買いに行く。
コンビニ袋を手に、団地へ戻る。
その途中。
入口の下で、弟たちが泣いていた。
しゃがみ込んで、震えている。
「……どうした」
ドレイクは駆け寄る。
すると、弟の一人が顔を上げた。
涙でぐしゃぐしゃになった顔。
「兄ちゃん……唯が……」
その一言で、血の気が引いた。
嫌な予感が、頭をよぎる。
ドレイクは、そのまま走り出した。
階段を駆け上がる。
部屋へ向かう。
ドアの前。
中から、泣き声が聞こえる。
小さな声。
必死に抑えたような、泣き声。
(……くそが)
理解した。
最悪の想像が、頭の中で形になる。
それを否定するように、心の中で叫ぶ。
(違えよ……頼むから……)
ドアを開ける。
勢いよく。
――そこにあった光景。
床に押し倒されている、妹。
服を乱暴に剥がされている。
泣いている。
声を押し殺しながら。
その上に、覆いかぶさるように乗っている男。
父親だった。
一瞬で、理解する。
何をしているのか。
何をしようとしているのか。
頭の中が真っ白になる。
次の瞬間。
「ふざけんな!!」
怒号が部屋に響いた。
ドレイクは迷わず飛び込む。
父親を引き剥がし、そのまま押し倒す。
馬乗りになる。
そして――
殴る。
殴る。
殴る。
拳が顔面にめり込む。
骨に当たる感触。
鈍い音。
血が飛び散る。
最初、父親は抵抗した。
腕を掴み、押し返そうとする。
だが。
力でねじ伏せる。
体格も、力も。
もうドレイクの方が上だった。
殴る。
止まらない。
殴る。
拳が裂ける。
皮が破れる。
血が滲む。
それでも。
止めない。
殴る。
殴る。
殴る。
血飛沫が飛ぶ。
顔が潰れていく。
それでも――
ドレイクは、殴り続けた。
どれだけ殴ったのか、わからない。
気づいた時には。
ドレイクは、警察に取り押さえられていた。
腕を押さえつけられ、床に伏せられる。
呼吸が荒い。
拳は血まみれ。
それでも。
頭の中は、真っ白だった。
そのまま。
ドレイクは連れて行かれた。
――少年院へ。
弟や妹たちは、まだ幼い。
そのまま児童養護施設へ送られたと聞かされた。
離れ離れ。
もう、一緒にはいられない。
そして。
少年院に入ってしばらくした頃。
父親の安否を知らされる。
重傷。
だが――生きている。
「殺人にならなくて、よかったね」
軽い口調で、そう言われた。
その言葉が、やけに耳に残る。
(……何が、よかっただ)
静かに、思う。
(死ねばよかったのに)
心の奥で、吐き捨てる。
そして。
(……唯、ごめんな)
浮かぶのは、妹の顔。
泣いていた顔。
守れなかった、あの瞬間。
ドレイクは何度も思い返す。
あの時。
もし、もっと早く帰っていれば。
もし、もっと強ければ。
もし――
考えても、意味はない。
それでも。
止まらない。
残された弟たち。
妹たち。
これからどうなるのか。
ちゃんと生きていけるのか。
それだけが、頭から離れない。
守れなかった。
守りきれなかった。
その事実だけが、胸に残る。
そして。
ドレイクは、初めて思った。
自分は――弱かったのだと。




