表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この世界はなんかおかしい  作者: 16時間
聖職者 アイリーン
54/78

アイリーンという女 2

それからの二人は――

さらに、愛を確かめ合う日々を過ごしていた。

何度も。

何度も。

時には、少し強引な時もあった。


それでも――

アイリーンにとっては、嬉しかった。

初めて、自分の愛が報われていると感じていたから。


(……幸せ)

そう、思っていた。


――暫くして。

放課後。

アイリーンは、一人で校舎を歩いていた。

帰ろうと、階段へ向かう。


その途中――

踊り場で、見知った声が聞こえた。

彼の声。

友人たちと、楽しそうに話している。


(あ……)

声をかけようと、一歩踏み出す。

その瞬間。


「彼女と最近どうなの?」

足が、止まった。

ぴたりと。

動けない。


「……別に」

興味なさげな声。

いつも自分に向けていたものとは、違う響き。


「えー?やることやってんだろお前ら!」

友人たちが、茶化すように笑う。


「ヤらせてくれるから付き合ってるだけ」


――時間が、止まる。

「ここまで来んの、マジ長かったわ」

「連絡毎日きてうぜえし、なんか手作りの物めっちゃ持ってくるし」

「正直、ヤらせてくれなかったら別れてた」

軽い調子で、笑いながら。

当たり前のように、吐き出される言葉。


「告白したのも、チョロそうだったから」

「ああいうのもいいかなって」


周囲の友人たちが、「ひでぇ」と笑う。

笑い声が、やけに遠く聞こえた。


(……なに、それ)

理解が、追いつかない。

胸の奥が、きしむ。


(……じゃあ)

(私の“好き”は……?)

(あれは……何?)


答えは、どこにもない。

ただ一つ。

確かなことがある。


――“通じていた”と思っていたものは、最初から存在していなかった。


その事実だけが、静かに――

アイリーンの中で、何かを壊した。



そこから、どうやって校舎を出たのか――

覚えていない。

気づけば、ただ歩いていた。

行き先もなく。

足の向くままに。

感覚が、どこか遠い。

何も、考えられない。


――ただ、空っぽだった。

ふと、顔を上げる。


踏み切り。

カン、カン、と警報音が鳴り響く。

もうすぐ、電車が来る。

赤い光が、点滅している。


(……もう、なんでもいい)


そのまま。

何の躊躇もなく――

踏み出した。

迫り来る音と、光の中へ。




――静寂。

ふと、目を開ける。

暗い場所。

何も見えない。

どこかも、分からない。


(……死んだのね)

不思議と、納得していた。

恐怖もない。

ただ、そう思った。


その時。

――声が、響く。

『お前の望むものは、なんだ』


「……望む、もの?」

アイリーンは、小さく首を傾げる。


『何でもいい』

淡々とした声が、続ける。

(望み……?)

(死んだのに……?)

考える。

ゆっくりと。

そして――

浮かぶのは、一つだけだった。


(……愛されたかった)


人に、愛を与えるのは簡単だった。

好きだと言って。

尽くして。

そばにいて。

――それだけでいいと思っていた。

だけど。

返ってこなかった。

一度も。


(……誰かと)

(ちゃんと、愛し合いたかった)

対等に。

同じだけ。

同じ温度で。

強く、願う。

その想いが、暗闇の中で形になるように。

すると。


『ならば、望むものを与える』

声が、応じる。

『それを糧に、力とし――生きるがいい』


その瞬間。

暗闇に、ひびが入る。

光が、差し込む。

――何かが、変わる。

アイリーンの中で。

決定的に。




――目を、覚ます。

視界に広がるのは――山。

見渡す限りの自然。

どこまでも続く緑と、空。

夕日が差し込み、世界は橙色に染まっていた。


(……なに、ここ)

アイリーンは、ゆっくりと身を起こす。

見慣れない景色。

知らない匂い。

感じたことのない空気。


(……私、死んだのよね?)

(ここが……黄泉の国ってやつ?)

混乱する思考。

現実感が、ない。


その時――

「ねえ、迷子?」

不意に、後ろから声がかかる。


振り返る。

そこにいたのは、一人の女性。

柔らかな表情で、こちらを見ていた。


「あ、違います……」

反射的に否定する。

だが。

ここがどこなのか、分からない。

言葉が、続かない。


「そっか」

女性は、特に気にした様子もなく。

「じゃあ、おいで」

迷いなく、アイリーンの手を取った。

その手は、温かかった。

――拒む理由が、なかった。


そのまま、山道を登る。

しばらく歩いた先。

「着いたよ」

視界が開ける。


そこにあったのは――教会。

古びてはいるが、しっかりとした造り。

どこか、静かで落ち着いた空気が流れている。


「……教会に、住んでるの?」

アイリーンは、ぽつりと尋ねる。

女性は、くすっと笑った。

「建物は教会だけどね」

「中身は、孤児院だよ」

優しい声。


「さあ、入って」

促されるまま、足を踏み入れる。

中へ。


「この場所、ちょっと前まで誰も使ってなくてさ」

歩きながら、女性は続ける。

「それなら、孤児院にしようかなって思って」

軽い調子で。

「まあ、少しボロいけど――楽しいとこだから」


大広間へと案内される。

そこには、数人の子どもたち。

年端もいかない男女が、思い思いに過ごしていた。

その視線が、一斉にアイリーンへ向く。


――そして。

ぱっと、笑顔になる。

「ようこそ!」

無邪気な声。

歓迎の言葉。

その空気は、あまりにも温かくて。


アイリーンは――

ほんの少しだけ、息を止めた。

(……ここは)

(……いい場所、かも)

そんなふうに、思ってしまった。


――それが。

すべての始まりだった。



「そういえば、あなた名前は?」

女性が、何気なく尋ねる。


「あ、愛理……」

――しまった。

思わず、本名が口をついて出る。

一瞬、焦りが走る。


だが。

「アイリ?」

女性は首を傾げる。

聞き慣れない響きだったのか、深くは追及しない。


「……アイリーンです!」

とっさに、言い直す。

少しだけ強引に。

女性は気にした様子もなく、にこりと笑った。

「そっか、アイリーンね」


その一言で――

“アイリーン”としての生活が、始まった。

孤児院は、小さな場所だった。

子どもたちも、ほんの数人。

職員は、あの女性ひとりだけ。

だからこそ。

皆で、協力して生活していた。

掃除をして。

食事を作って。

畑を手伝って。

時には、些細なことで喧嘩もする。


けれど――

すぐに仲直りする。

そんな、穏やかな日々。

最初は、戸惑いもあった。

見知らぬ場所。

知らない人たち。

慣れない生活。

身体も、心も、少しだけ疲れる。

それでも。

ここには――


「ねえ、アイリーン」

「これ手伝って!」

「ありがとう!」


自分を呼ぶ声があった。

必要とされる感覚があった。

生前には、なかったもの。

毎日を、必死に生きる。

誰かのために動き。

誰かの役に立つ。

それだけで、十分だった。


(……ここでの生活、楽しいな)

ふと、そんなふうに思う。

いつの間にか。

“愛されたい”という焦りは、少しずつ薄れていった。

誰かを愛することに、執着することも。

なくなっていく。



やがて――

この世界には、“魔法”というものが存在することを知る。

孤児院の職員はもちろん、子どもたちも当たり前のように使っていた。


火を灯し。

水を操り。

簡単な作業をこなしていく。


――だが。

アイリーンだけは、違った。

魔法という概念が、うまく理解できない。

どうやって使うのかも分からず、何もできなかった。


(……なんで、私だけ)

ほんの少しだけ、胸の奥がざわつく。


そんなある日。

一番年下の男の子が、転んだ。

膝を擦りむき、泣きじゃくっている。

大した怪我ではない。

それでも、痛いものは痛い。


「大丈夫、大丈夫……」

アイリーンは慌てて駆け寄る。

布と水を用意し、手当をしようとする。


その時――

傷に触れようと、手を伸ばした瞬間。

淡い光が、ふわりと浮かんだ。

そして。

擦りむいたはずの膝が、ゆっくりと――

癒えていく。


「……え?」

思わず、息を呑む。


「アイリーンすごい!」

男の子は、涙を拭いながら笑った。

そのまま立ち上がり、走り出す。


「アイリーンが魔法使えたよ!」

無邪気な声が、孤児院に響く。


(……今の、なに?)

戸惑う。


だが。

それ以上に――

胸の奥が、じんわりと温かくなる。

どうやら。

自分は、“癒す”ことに特化した魔法を持っているらしい。

攻撃ではなく。

何かを生み出すでもなく。

ただ――誰かを、治す力。


(……人に、尽くせる)

(しかも……迷惑にならない)


その事実が、嬉しかった。

もともと、人のために動くことは好きだった。

けれど。

それが、相手に負担になってしまうこともあった。


――でも、これは違う。

確実に、役に立てる。

誰かを、助けられる。


それから。

アイリーンは、必死に魔法を磨いた。

傷を癒し。

疲れを取り。

倒れた者を助ける。


「ありがとう」

「助かったよ」


その言葉が、積み重なっていく。

誰かに尽くしたい。

誰かのためになりたい。

それは――

決して歪んだものではない。

純粋な、善意だった。

そうして。

穏やかな日々の中で、年月が流れていく。




月日は流れ――

アイリーンは、いつの間にか孤児院の中で最年長になっていた。

かつて一緒に過ごしていた子どもたちは、

自立したり。

里親が見つかったり。

それぞれ、新しい人生へと歩み出していく。


――そして。

気づけば。

この場所に残っているのは、三人だけだった。

少し年老いた女性職員。

アイリーン。

そして、同年代の一人の男性。


ある夜。

三人で、食卓を囲む。

見慣れた光景。

だが――どこか、少しだけ違っていた。


静かで。

穏やかで。

そして、どこか終わりを感じさせる空気。


「……気づけば、私たちだけになったね」

職員が、ぽつりと呟く。

「みんな、自立して……立派になったよ」

その声には、誇らしさと寂しさが混ざっていた。

少しの間を置いて、続ける。


「まだあんた達が残ってるけど」

優しく、二人を見つめる。

「二人なら、それぞれちゃんとやっていけると思う」


そして――

小さく、笑った。

「孤児院は……これで終わりにしようかな」

「私も、歳だしね」

軽く言ったつもりなのかもしれない。


けれど。

その言葉の重さは、十分に伝わっていた。

「あんた達に出会えて」

少し声が震える。

「私は、本当に幸せだったよ」

そのまま、涙がこぼれる。


止めることもなく。

ただ、静かに。

アイリーンも。

隣にいる彼も。

言葉は出ない。

ただ――

同じように、涙を流していた。


三人で囲む、最後の食卓。

いつもと変わらない料理。

いつもと同じ時間。

それなのに。

その一瞬一瞬が、やけに重くて。

愛おしかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ