楽しい共同生活
テンガン地区は、想像以上に辺鄙な場所だった。
人の気配もまばらな山道を、ひたすら登る。
その先――
ようやく視界に入ったのは、大きく整った教会だった。
場違いなほどに、綺麗で静かな建物。
「……はぁ……くそ、だる……」
エディルは肩で息をしながら悪態をつく。
「歩くの本当に嫌い、無理……」
「文句ばっか言ってないで歩きなよ」
ユキノは呆れたように振り返る。
なんとか教会付近にまで辿り着いたところで、ユキノが小声で問う。
「……どうやって入るの?」
「まあまあ」
エディルは余裕ぶった顔で、闇市で買った大きな布を取り出した。
それをユキノの頭に巻き付け、顔と髪を覆うように整える。
目元だけがわずかに見える状態だ。
「ちょっ……なにこれ」
「いいから。とりあえず俺について来い。……あと、お前はひと言も喋るな」
そのまま、何食わぬ顔で扉を押し開ける。
――教会内部。
静かな空気の中、一人の牧師が二人に気づき、歩み寄ってきた。
「どうされましたか?」
穏やかな声だった。
その瞬間。
エディルは一歩前に出て――
「っ……頼む……!」
声を震わせ、顔を歪める。
「俺たち……両親に結婚反対されて……家も追い出されて……勘当されて……!」
(……誰が結婚だ!)
ユキノは横で内心ツッコミを入れる。
だが「喋るな」と言われた手前、ぐっとこらえて黙り込む。
そんなユキノに構わず、エディルは続けた。
「住む場所も仕事もなくて……明日、生きるのにも困ってるんだよ……!」
「仕事はなんでもする……だから、助けてほしい!」
涙を滲ませながら、一気にまくし立てる。
「…………」
牧師は一瞬、言葉を失った。
あまりにも急で、あまりにも芝居がかっていたからだ。
だが――
「……教会は、すべての者に救いの手を差し伸べます」
わずかに困惑を滲ませつつも、静かに頷く。
その視線が、ふとユキノへ向いた。
(……?)
顔を隠していることに、わずかな違和感を覚える。
それを察したエディルが、すかさず口を挟んだ。
「こいつ……親に殴られて、顔中あざだらけなんだ」
「だから……察してくれ」
神妙な面持ちで、さらに嘘を重ねる。
ユキノは何も言わず、俯いたまま。
「……そう、でしたか」
牧師は同情するように表情を緩めた。
「安心してください。ここでは、何も恐れる必要はありません」
その言葉とともに――
二人は、教会の中へと迎え入れられた。
――こうして。
エディルとユキノは、無事に教会への潜入に成功したのだった。
牧師に案内され、エディルたちは白装束を手渡された。
ここで生活する者は、この衣装を身にまとい、神に祈りを捧げる――それが習わしらしい。
(うわ、変なの)
エディルは内心でそう思いつつも、素直に袖を通す。
ユキノもまた、黙ってそれに倣った。
衣装を整えた二人は、そのまま別室へと案内される。
――大広間。
そこには、年齢も性別も関係なく、多くの人間が共同生活を送っている様子が広がっていた。
「ようこそ!」
教会で暮らす者たち、そして信者たちが、一斉に二人を迎え入れる。
(……随分と、普通だな)
警戒していた空気とは裏腹に、そこにあったのは穏やかな日常だった。
そして――
その日々は、あまりにも“普通”に過ぎていった。
朝は早く起き、祈りを捧げる。
皆で協力して朝食を作り、それぞれの役割へと散っていく。
男たちは力仕事や狩り、時には街へ出て食料の調達を担い。
女たちは掃除や炊事、洗濯、畑仕事、そして来客対応を行う。
合間に祈りを挟み、また集まって食事をとる。
他愛もない会話を交わし、やがて眠りにつく。
――どこにでもあるような、共同生活。
その中で、ひとつだけ気になることがあった。
肝心の“アイリーン”が――姿を見せない。
それどころか、この教会に普段はほとんどいないという話だった。
(……なんなんだ、この場所)
違和感はある。
だが、それを裏付ける“何か”は、見つからない。
――そんな生活が、五日も続いた。
エディルとユキノは、痺れを切らしていた。
アイリーンを倒すために来たのであって――
ここで平和に暮らすためではない。
そんなことを、互いに言葉には出さずとも考えていた頃。
エディルは、牧師に声をかけられた。
「エディルくん、だったね?」
「おう、なんだ」
軽い調子で返す。
牧師は、相変わらずの態度に苦笑を浮かべながらも口を開いた。
「君は……もっと“神の寵愛”を受けたいとは思わないか?」
「なんそれ?」
エディルは素っ頓狂な声を上げる。
「いや……だからね」
牧師は少し言葉を選びながら続ける。
「もっと、神のご加護とか……そういうものを――」
諭すような口調。
だがエディルは、露骨に興味なさそうに肩をすくめた。
「俺、あいつと結婚するから」
そう言って、ユキノを指差す。
「……そうだね。君たち、結婚を反対されていたんだったね」
牧師は再び苦笑した。
「そうそう! そういうこと!」
エディルは満足げに頷き、軽く手を振る。
「じゃあ」
そのまま背を向け、自分の持ち場へと戻っていった。
――牧師は、その背中を見つめる。
笑みは、消えていた。
そして。
誰にも気づかれないように――
小さく、拳を握りしめる。
その頃――ユキノ。
女信者と他愛もない会話を交わしていた。
「それでね、サクラちゃん!」
サクラ。
それが、この教会でのユキノの偽名だった。
指名手配されている身である以上、本名を使うわけにはいかない。
(……ほんと、慣れない)
五日間、呼ばれ続けたその名前にも、いまだ違和感が残る。
(誰だよ、サクラって……)
内心でぼやきながらも、表には出さずに相槌を打つ。
「……うん、それで?」
「あ、サクラちゃん。そういえば“噂”って知ってる?」
「……え? なんの?」
何気ない一言。
だが――
その言葉に、わずかに空気が変わった。
女信者は、ふと声を潜めた。
「実はさ……ここの教会って、変な噂あるじゃん?」
(エディルが言ってた、“男は無事じゃ済まされない”ってやつ……?)
ユキノは、あの時の言葉を思い出す。
信者はさらに身を乗り出し、小さな声で続けた。
「なんかね、“秘密の部屋”があるらしいの」
「秘密の部屋……?」
ユキノは眉をひそめる。
「うん。それでね――たまに男の人がいなくなるんだって」
「……いなくなる?」
「牧師さんたちは、“自立しましたから”って言ってるらしいけどさ」
くすくすと笑いながら、どこか楽しそうに話す。
その軽さが、逆に不気味だった。
(……男の人が、消える?)
ユキノはわずかに目を細める。
「……でも、それを実際に見たの?」
問い返すと、信者はあっさり首を振った。
「見てないよ。私も来たの、まだ二週間くらい前だし」
「でもさ、そういう噂があるって聞いたら――ちょっと確かめたくならない?」
目を輝かせながら、どこか無邪気に笑う。
(……なんかあるかも、この教会)
確証はない。
ただの噂に過ぎないのかもしれない。
それでも――
この場所に、何かが隠されている。
ユキノは、そう感じていた。




