三ヶ月経ち、今
ピーヒョロロー、という鳥の鳴き声が遠くで聞こえた。たしか、サギだかトビだかの鳴き声だったかな。生物のテストは高1の頃、常にギリ赤点回避だったからよくわからないわ。
別に珍しいことじゃないが、あの独特の鳴き声は耳を傾けてしまうものがあるよね。カラスのカーカーとか、スズメのピーチクパーチクみたいな俗っぽくなく、どこか天上から自由を満喫している感があって。
「あ……」
「こりゃ!」
たたんだ扇子の一撃が俺の額に叩きつけられた。ピシャリという音にビビり、俺は額へ手が伸びた。だが、それは悪手だった。
なぜなら俺の手から離れた筆がコロコロと転がり、白紙に歪な黒い蛇行した線を作ってしまったからだ。
「まったく……!おぬしが字を学びたい、というから付き合ってやっておるというのにトビの鳴き声に気を散らすとは!まったく、これで姫様の家人が務まるか!」
ごもっともな叱責に俺は頭が痛くなる。自分で頼んでおいて気を散らして貴重な白紙を無駄にするなど「今の」この日本では恥ずかしく思う行為だ。紙は貴重なのだから。
なにせ時代は平安末期。この日本という国の転換期。物流は壊滅的にぶっ潰れ、政治は情勢不安、地方では荒れた田畑とゴミ国司。京の都は魑魅魍魎が跳梁跋扈するとすら言われる末世振り。そんなすでに詰んでる時代い放り出されてから、もう二ヶ月の時が経っていた。
私こと、三条 夕霧をこの時代に放り込んだ、ナカ・トガとかいう仮面野郎のせいで絶賛俺は苦労の連続、雨の中雨漏りをふせぐために屋根の修繕をしながら、赤ん坊をあやし、片手で飯を作るというスーパー主婦並の生活だ。
なにが大変かって、まず起床時間が早い。現代日本の学生なんて朝六時に起きれば早いほうなんじゃないだろうか?部活をしていたら別かもだけど。この時代はとにかくみんな起床時間が早い。下手をすれば鶏よりも早い。
まだ空が紫がかった頃にもう起床しているという勤勉ぶりである。
まずこれのせいで毎日毎日朝目を開けるのが辛かった。
次に読み書き。
これがある意味では一番きついかもしれない。
古文の授業をうぜー、めんどくせー、と思う人間は多いと思うが、多分あんなのはまだ序の口だ。実際に古文の教科書に書いてあるような、おかしー、とか、あなめでたやー、とかを日常的に書くというのはなかなかに難しい。
しかもこの時代の文体は楷書体ではなくつなぎ文字、いわゆる筆写体だ。一筆書きで一列分の文字を書くという作業は楷書体慣れの身分にはつらい。
あと、読めない。達筆すぎて読めない。し、とか、く、とかもうほとんど棒だし。
さらに俺は平家の家人になった。当然、武道の修練という脳金属性がついて回る。
木刀を持って二、三週間はめちゃくちゃにボカスカ叩かれた。頬は腫れ、俺の顔が変形するんじゃないか、と危惧したほどだ。
ただ、そういった生活も三ヶ月も経てば慣れてくるものだ。
もちろん、まだ苦労は多いが、食住が保証されているのはありがたいことだ。衣?それは自分で用意するしかないでしょう。この時代の人間なんてほとんど風呂も入らないんだし。まじめに。
「ほれ、両の手を出せ。この家貞が仕置きをしてくれよう!」
ただ、いいこともあったかもしれない。
例えば、今目の前で顔を真っ赤にしている平家第一の家人である、平 家貞さんだ。厳しく、ルールに厳格な人だが、この人はとても良識のある人物だ。まぁ、若干厳しすぎrか・…ぁんん!!
「ふん、これに懲りたら、少しは自己の未熟を恥じるが良い、夕霧!」
厳しく叱責しながら家貞さんの扇子がビシビシと俺の手の甲をひっぱたく。赤くなっていく肌を見ながら、いてぇいてぇ、と心の中で連呼した。だって、口に出したら、根性が足りん、とか絶対言うもん。
「さて、もうこれでよいだろう」
大体五分くらい叩かれ、俺のおててはもうまっかかだ。紅葉に見えてきた。しかも、叩いている過程で扇子にヒビが入ったから、途中から鞘で叩いてくるし。下手をすれば両手の骨が折れるかと思うほど痛かった。下克上してやろうか、と思ったがこの厳しい教育のおかげでわずか三ヶ月である程度の読み書きとかはできるようになったわけだしね。
「ときに、姫様の近況いかほどか?」
途端、家貞さんを取り巻く空気が変わった。さっきまでのかっかした姿から溢れた騒がしい音の気配が消え、静かな梢のような気配を漂わせた。気配のスイッチの切り替えがとてもうまい。
それに習い、俺も姿勢を正して家貞さんに改まって向き直った。。
「近頃、茜と共に京の右京へ繰り出し、すごろくあそびなど……」
「なんたることか!平家が棟梁になられるやもしれぬ身でありながら、すごろくあそびなどと!一体姫は何をしておられる。茜もまた同じこと。鱸丸はどうしたのだ?」
「口の端に載せることもはばかられることですが、都を右往左往しておられるようで……」
ああ、と家貞さんは顔を覆って嘆いた。
「鱸丸め!あのたわけが!姫様から片時とて目を離すな、と言ったであろうが!」
「家貞様、鱸丸殿は……」
「いや、守ることなどない。そもそも茜もいかんのだが……。まったく、殿のご心配いかほどか」




