朝談話
その日、俺はいつもよりも早くに目を覚ました。太陽だってまだ登りきっていないくらいに早い。時刻にして五時とか五時半くらいだ。チュンチュンと雀のなく声が耳に入ってきた。朝のさえずりが耳に気持ちのよいくらいに甘美に聞こえた。ただそれはポジティブな意味での甘美などではなく、どこか愉悦を感じる甘美だ。わかりやすく言えば酒池肉林の宴だ。
おそらく、これから起こるであろうことに俺の気が立っているのだろう。あるいは動揺しているのか。今日は忠盛公が示した宴の日だ。殿上人となったことを祝い、院にて宴を行うということだが、昨日を使って忠正に酒を注ぎながら色々と聞いてみた。さすがに弟ということで色々と彼は事情通だった。見た目荒くれ者なのに知的な面もあるというのだ。
彼曰く、今回の宴の発起人は高階通憲、という中流貴族らしい。当代随一の学者と呼ばれ、朝廷でも名高い知識人だ。とても温厚な性格の風雅と知的な男、というのが忠正が人づてに聞いた高階通憲という男だ。彼は歴史的にも有名で俗世での名前よりもむしろ坊主としての名前、戒名の方が有名だろう。彼は信西という戒名を持って知られていることだろう。
だが、それは今はどうでもいい。問題はここからだ。
今回の宴にはもうひとり、歴史的に悪い意味で有名な古狸、藤原忠実が来賓として宴に参上するというのだ。さすがにこれには俺も驚いた。まさか”落ちぶれ関白”と名高いあの藤原忠実が来賓として参上するとは思いもしなかった。
彼は武士が大嫌いで古き良き時代、つまり摂関政治の時代を取り戻そうと必死にあがく人間として歴史的には捉えられることが多い。摂関家の人間として生きたにしてはとても惨めで、苦い人生を送った人物だ。政治的手腕、財力、人間的性格などは時代のピースの一つとしてすばらしいのだが、この人物は特に武士嫌いとして知られている人物なのだ。武士は武士、ただの武力を持った犬として見ていて、ホネのみを与えるだけで、決して肉を食わせようとはしない。
その人物が来賓として来るのだ。ただの能見て、舞見て、酒呑んで、華やかな談話ではい終了、という宴なわけがない。きっと何かを仕掛けてくるはずだ。
もっとも、俺が知っている忠実とは全くの別人ということもあり得る。ひょっとしたら武士大好き衆道マニア、かもしれない。
考えても仕方ない。
まだクークー寝息を立てている茜を放って、俺は玄関先へと向かった。もちろん忠盛公から貰った脇差しをベルト穴に差して、だ。
玄関先にはもう何人かの平家の家人、郎党がたむろしていて、どこぞの妬み貴族から忠盛公を殺そうと刺客を送ってくるか、と警戒していた。皆一様に長弓を手に持ち、背中には十を余裕で超える矢が入っている。物々しい武士といった形相で俺が横を通ると全員がまず睨んできた。しかし、俺の腰の脇差しを見ると、目の色を変えてとても温厚そうな笑みを浮かべた。
その中には少し老けた男、平家貞が目を糸のように細めて立っていた。腰には長刀。手には長弓を持ってはいるが、甲冑はつけていない。着ている服も直垂ではなく、直衣と呼ばれる貴族が着るような普段着を着ていた。おそらく、院に行くまでの護衛ということだろう。さすがに鎧甲冑で院に向かう、ということはできないのだろう。
「おお、三条殿。これはこれは」
俺が近づくのに気づくと、大仰な調子で俺に頭を下げた。自分よりはるか年上の、しかも先輩家人に頭を下げられては恐縮してしまう。すぐさま俺も頭を下げた。
「家貞様。私の名前をご存知でいらしたのですね」
「もちろんですよ。忠正様から清盛様の家人にしておくには少々心根が清すぎると伺っておりますれば」
「それは……いえ。お褒め頂きありがとうございます。時に、大殿は寝所でしょうか?」
「いえ?今は執務中であると思いますよ?」
こんな朝早くから執務!平安時代の役人の生活は古典で習ったことあるけど、まさかこんなに早くもう仕事を初めているなんて現代日本の社畜でもびっくりだろう。思えば、日本人が仕事が大好き、というのはここが始まりだったのかもしれない。今でも海外に行けば日本人は仕事大好き人間と言われるらしいし、昔から社畜気質であったのだろう。
「こんなに早くから……。殿上人となられる御方はまことにお素晴らしい」
「しかもその執務の中身は政に直接関わるもの。その他の役人などとは比べようもないものです。しかし、こんなところで立ち話もなんですな。朝のめしはもう食べられたので?」
「いえ。起き抜けに目を覚まそうとしていましたので……」
「それではこちらの干した鹿肉などはいかがかな?これならばすぐに腹は膨れますでしょう」
そう言って家貞さんが取り出したのはビーフジャーキーならぬディアージャーキーだ。見た目は、そう茶色いベーコンみたいだ。もらったとき少し生暖かくて、これまでどこに入っていたのだろう、と飯がまずくなるようなことを考えてしまうほどに俺には馴染みのない料理だった。
そして実際に食べてみて、味はかなり微妙だった。まず、ただ生肉を干しただけだから生臭さが取れていない。味だって乾パンと大差ない。塩でもまぶせば変わったかもしれないが、あいにくとこの場には塩はなかった。これからは塩でも持ち歩こうか?あともう一つ付け加えるのならとても硬い。まるでゴムを食いちぎろうとしている感覚だ。
「なんとも言えぬ味でしょう?」
家貞さんはちょっと意地の悪い笑みを浮かべてどこから取り出したのか、もう一枚ディアージャーキーをかじっていた。そんなに俺は顔に出ていただろうか?鏡がないから自分の顔を見ることができない。
「初めてこれを食べたものはたいていそういう顔をします。なんて微妙な味だ、とね。しかし、ツボにはまればこれはよいものですよ?私はこれがとても好きですからな」
「そんなに顔に出ていたでしょうか?」
「ええ、大いに。……ああ、別にお気になさらず。慣れていますので」
そうは言われてもやはり恥ずかしい。立食の席でワインをこぼしてしまった新米社交会員の気分だ。もっとも、そんな気分がどんな気分かは知りもしないが。
「それにこれは少々硬い。噛みちぎるのも一苦労ですな」
そう言いつつ楽々噛みちぎっているのだからこの人の顎の力は大層なものだ。




